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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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聖書を、外国語の勉強に使うということ

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最初に断っておきますと、私はキリスト教徒ではありません。形式的には仏教徒(一応檀家となっている寺もあるので)ですが、実質的には無神論者です。それは最初に明言しておきます。

過日「はじめての聖書」という本(未成年向きの本です)を読んでいたら、著者が次のような趣旨のことを書いていました。図書館から借りてきた本なので、実物が手元にないので、趣旨ということでご了解いただきます。

(大要)やさしい英語で読めば、聖書の勉強にも英語の勉強にもなる。

私は、すでに英語の勉強のために聖書を読むという段階ではありませんが、しかし英語以外の言語でしたら、そういうことをするのも外国語勉強の手の一つです。聖書は、コーランと違って、ヘブライ語やギリシャ語の原典なければいかんというものでもないようですから(コーランは、神の啓示ということになっていますので、アラビア語以外はコーランでないことになっています)、翻訳の地位が高いわけです。

それで私の場合、多少なりとも読める言語は、日本語と英語以外にはフランス語しかないわけで、それ以外の言語を勉強する際は、聖書というのはいい勉強の材料になるというものです。

ところで聖書の日本語訳に関しては、口語訳聖書が版権切れですので、ネットにアップロードされています。これが現在もっぱら発売されている新共同訳より特に悪い訳というわけでもないようですから、アンチョコ、テキスト、訳本、模範解答(?)としてはこれを使うと便利なわけです。対訳ではありませんが(つまりどちらかの言語を対照しているわけではない)、どちらも同じテキスト(旧約はヘブライ語、新約は古代ギリシャ語にて書かれています。もちろんテキストに異同はたくさんあります)からの翻訳ですから、いろいろ役に立ちます。

そこでいいのは、聖書はネットでアップロードされているので、テキストを入手するのも容易なことです。英語やドイツ語、フランス語などのメジャーな言語はもちろん、スウェーデン語やオランダ語などの言語でもテキストがアップロードされているので、ダウンロードも簡単にできちゃいますから、たとえば新約聖書の福音書だけ読めればいい、ほかはいらん、というような読者(つまり私)には、非常にありがたいと思います。

もちろん現在、版権が切れている書籍等は物好きがいろいろアップロードしてくれているし(「青空文庫」「プロジェクト杉田玄白」「Project Gutenberg」など、いろいろあります)、私がフランス語の勉強で読んでいるアルベール・カミュの書籍だってネットに上がっています。たとえば「異邦人」はこちらで原文がアップロードされています。

いやあ外国語の勉強をするにはいい時代になりましたよね。私みたいな人間にはありがたいことです。

しかしその中でも、聖書の場合、いろいろな点で勉強には好都合なところがあります。

①そんなに難しくない→基本的に複文とか、たとえばフランス語でいえば接続法などもあまり使われないので、勉強するには難易度がそんなに高くありません。ただ内容は、基本的にうそばっか書いてあるわけですから、私のような信仰心のない人間には読みにくいところがあります。

②上にも書いたように訳本がある→したがって自分の誤解釈などを容易にチェックできるので勉強しやすいわけです。

③翻訳がそれなりに信用できる→参考書として役に立つということです。

ところで日本語の聖書は、聖書協会が新しい翻訳を出すとのことですね。口語訳は1955年、新共同訳が1987年発表で(ただし「共同訳」という訳が、1978年に新約のみ発表。旧約は発表にいたらず)、次の訳は2016年中の発表を予定しているとのことですから、だいたい30年で新しい訳が出るんですかね。そういえば、村上春樹が、レイモンド・チャンドラーの本を新たに訳した上で、建物でいえば、25年くらいでメンテナンス、50年くらいで建て直しという感じで翻訳は考えたほうがいいのではないかという趣旨のことを書いていました。すみません、どの本で書いているのかは忘れました。

いずれにせよ外国語の勉強というのもしやすい時代だと思います。けっこうなことです。


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