伝説的なサッカー界のスーパースター、オランダサッカーの権化、ヨハン・クライフが亡くなりました。記事を。
>オランダの英雄クライフ氏が68歳で死去…3度のバロンドール受賞など数々の功績
SOCCER KING 3月24日(木)21時51分配信
オランダの英雄クライフ氏が68歳で死去…3度のバロンドール受賞など数々の功績
68歳で亡くなったクライフ氏(写真は2011年のもの) [写真]=VI Images via Getty Images
元オランダ代表のヨハン・クライフ氏が24日に亡くなった。68歳だった。公式ツイッターが発表した。
「空飛ぶオランダ人(フライング・ダッチマン)」の異名を持ち、「トータルフットボール」の申し子として知られるクライフ氏は、現役時代に3度のバロンドールを受賞し、史上最高の選手の一人として名高いレジェンド。アヤックス時代にはUEFAチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)の3連覇に貢献し、オランダ代表ではチームを1974年ワールドカップ西ドイツ大会の決勝まで導いた。指導者としても、バルセロナのクラブ史上初のチャンピオンズカップ優勝、リーガ・エスパニョーラ4連覇などを達成していた。
現役時代からヘビースモーカーとしても知られていたクライフ氏は1991年に心筋梗塞で倒れ、バイパス手術で一命を取り留めた後は医師の指導によりタバコを断っていた。禁煙を始めてからはチュッパチャップスを舐めるようになり、カタルーニャの若者に向けた喫煙防止のコマーシャルにも出演。キャンペーンのコマーシャルには、「フットボールは私の人生に全てをもたらした。タバコはそのほとんど全てを奪った」というメッセージが映っていた。
1996年以降はしばらく監督業から遠ざかっていたクライフ氏だが、2009年から2013年までカタルーニャ選抜の監督を務めた後、再び現場を離れていた。昨年10月に肺がんを患っていることを公表していた。
SOCCER KING
クライフの体調が悪いのは私も知っていました。だから、それなりの覚悟はしていましたが、しかしやはりクライフの死はショックですね。私はオランダサッカーのファンですが、それはやはりクライフがキャプテンを務めた1974年のオランダ代表が好きだからなわけで、クライフなくして私のオランダサッカー好きはないわけです。そういう人は、私以外にも少なくないはず。たぶんポストクライフの様々なオランダ人サッカー選手たちも、クライフの存在が大きな目標であり、またクライフなくして今にいたるまでのオランダサッカーの存在はあり得ません。
それにしてもクライフは、ワールドカップには74年大会しか出場せず、78年大会は、予選は出場したものの本選には出場しませんでした。当時のアルゼンチンが軍事政権下だったので抗議して出場しなかったのだとかいろいろ言及されましたが、Wikipediaによると、その前年の子どもの誘拐未遂事件が問題だったとのこと。
>大会の前年に子供の誘拐事件が発生した。私は犯人からライフル銃を突きつけられ妻と共に拘束されたが、子供に危害は与えられなかった。その後、4か月間は自宅周辺や子供の通学路では警察の警護を受ける状況となった。家族のことが心配となりオランダ代表としてワールドカップの舞台でプレーする気にはなれなかった。人生には何より代え難い物がある。
代表での実績は、国際Aマッチ48試合出場33得点で、出場試合が少ないのは時代の制約もありますが、得点の多さはさすがです。
それにしてもクライフが監督するオランダ代表、ほんと見たかったですね。それが成功したかどうか(たぶん成功したと思います)は神のみぞ知るというものでしょうが、ベッケンバウアーが監督した西ドイツ代表(当時)はあったのだから、クライフの監督するオランダ代表は、世界中のサッカーファンが見る夢だったのかもしれません。そしてそれが実現することはありませんでした。そう考えると、上の78年大会不出場もそうですが、彼は有り余る才能を出し惜しみした人間だったのかもしれません。
あらためて、ヨハン・クライフ氏のご冥福をお祈りいたします。なおオランダ代表の写真は、(たぶん)どれも74年のワールドカップの際の写真です。