大島渚の1978年作品「愛の亡霊」は、「愛のコリーダ」とくらべると地味な映画です。「愛のコリーダ」は、好き嫌い、見た見てないはともかく、映画好きなら題名くらいは知っているでしょう。この映画が公開された時は、(私は同時代で知っているわけではありませんが)社会的なセンセーショナルを起こしてさまざまな場で大いに語られました。なにしろこの映画のスチール写真を掲載したシナリオ本が、警察によって取締りを受けて大島と出版社の社長が起訴されたくらいです。
とても刑事事件にするようなものではなく無罪が確定していますが。1969年生まれの大島の次男(大島新氏、フジテレビ勤務後、現在はフリーのドキュメンタリーディレクター、大島渚プロダクション代表)も、物心ついた時からこの映画については世間で話題になっていてそれでいろいろ心配されたりした(いじめられたり、からかわれたりしないかということです。ご本人は、そういうことはないと語っていました)という話を過日(3月日池袋新文芸坐で行われたトークショーより)していました。長男(大島武氏、現大学教授) の方は、ずばりいじめられたと小山明子が著書で書いています。
「愛の亡霊」は、公開当時成人映画のあつかいでしたが、個人的には、成人映画というほどのことはないと思います。
で、この映画は、当然ながら「愛のコリーダ」と対をなしています。題名も日本題名の類似はいうまでもなく、フランス語題名は、「愛のコリーダ」が「L' Empire des Sens」(官能の帝国)、「愛の亡霊」が「L' Empire de la passion」(情熱の帝国)です。というわけで、実際にはそうでもないんですが、宣伝が「愛のコリーダ」のようなハードコアポルノであるかのような印象を持たせるところがあったようで、編集を担当した浦岡敬一はそういった点に不満を持ち、この作品をもって大島と袂を分かちます(こちらの書籍より)。浦岡は、大島の初期作品から大島映画の編集を手がけた大島の片腕格のスタッフで、松竹社員時は、「白石末子」の変名で非松竹製作の大島映画に参加していたほどです。浦岡と大島の関係からすれば、白石=浦岡というのは、たぶん公然の秘密だったのでしょうが。それ以後は、「東京戦争戦後秘話」にも出演していた大島ともよ(大島監督とは血縁関係はないようです)が担当しました。wikipediaによると、大島ともよは浦岡の弟子とのこと。
それで、私は「愛のコリーダ」より「愛の亡霊」のほうが好きな映画なんです。どうしても「愛のコリーダ」の影にかくれる地味な映画なのは否めませんが、「愛のコリーダ」よりこちらのほうがけれんみのないわりとまともな映画で、正直大島はこのような映画を作りつづけてくれればよかったなと感じます。大島が脳梗塞で倒れたのが1996年で、「愛の亡霊」が1977年の撮影、78年発表ですから、20年弱の時間があったわけで、その間大島は「戦場のメリークリスマス」と「マックス、モン・アムール」の2本しか監督していません。「ハリウッド・ゼン」などの大作ねらいでなく、このような映画を作り続けてくれたほうが大島ファンとしては幸せだったでしょう。なお、私がちょっと不思議なのは、この映画では製作実務を若槻繁が担当していることです。製作資金を拠出したアナトール・ドーマンは「製作総代」とされています。つまりは今で言う「製作総指揮」ですね。なお昨年亡くなった若松孝二監督は「製作協力」として名前をつらねています。私が不思議なのは、なぜあまり大島と関係なかった若槻が製作実務を担当しているかということです。小林正樹監督の「怪談」で若槻がプロデューサーをつとめていて、そして宮島義勇が撮影を担当しているから、あるいは宮島を起用するのに若槻を通して話をきいてもらう必要があったのかなと思います。
実は、この「怪談」では、美術が大島の右腕である戸田重昌、音楽が武満徹です。なんと、まるっきり「愛の亡霊」の主要なスタッフと同じじゃないですか(驚)。もちろんこれは偶然ではないのでしょう。詳細は知りませんが、大島自身の著述(こちらの著作より)によると戸田重昌を通して宮島カメラマンに依頼した旨が書かれていますが、それと平行して若槻ルートからも依頼した、あるいは宮島起用に若槻がプロデュースする必要があったというのもそんなに突飛な発想ではないと思います。
ついでながら武満は、上にもだした「東京戦争戦後秘話」から大島映画の音楽を担当していましたが、「愛のコリーダ」では音楽を担当しませんでした。どうもハードコアポルノ映画の音楽を担当するのを躊躇したようです。が、映画を見て断ったのを後悔した武満は、この映画の音楽を引き受けたとのこと。個人的には、「愛のコリーダ」で武満が音楽を担当したらどんな音楽になったか、かなり興味があります。いや、三木稔のあの尺八とかの音楽はわりと好きですけどね。武満が大島の劇映画の音楽を担当したのはこれが最後ですが、これまたすさまじい傑作を作曲してくれました。さすが武満徹です。なおこの映画のサウンドトラックは、CDでも発売されました。
なお、以下ストーリーを書きますので、知りたくない方は以下読まないでください。
さて、ある意味徹底的に現実の享楽を描いたといっていい「愛のコリーダ」に対して、この「愛の亡霊」は題名どおり幽霊が出てくる映画であって、大島作品の中でもかなり特異な作品のように思います。この映画自体は実話をもとにしているので、幽霊はともかく、殺人事件は実際に起きたものです。
原作は、中村糸子という無名の人が書いた小説です。この事件を長塚節が小説化しようとしたのですが果たせず、茨城県の郷土作家である中村が取材をした上で小説化したものです。で、この小説を著者が大島渚に送って、大島が感銘を受けて映画化したわけです。地元ではともかく日本全体では、中村糸子の名前は、大島のこの映画の原作者ということのみで知られていると思います。
映画の舞台は茨城県ですが、ロケーションは、滋賀県の廃村で行われました。美術の戸田重昌が探してみつけたそうです。私はそういうことに詳しくないのでよく分かりませんが、たぶん家の形状などは茨城県のものとは違うと思います。また、茨城県は映画のような大雪の降るところではありませんが、あくまでこの映画は
>Un village au Japon(日本の(とある)村)(映画の最初にでる字幕スーパー)
が舞台であるわけで、特に特定の場所にこだわる必要はないわけです。また、スタジオ撮影は、前作「愛のコリーダ」と同じく大映京都撮影所(現在は閉鎖、跡地は住宅地)で行われています。
最初に予告編を。
『愛の亡霊』 予告編
1978年の映画にしては、ずいぶん無骨というか華麗さのない予告編ですが、「愛のコリーダ」と比較しても、かなり泥臭い映画ではあります。
1895年、日清戦争後の日本の農村、その村に塚田儀三郎(田村高廣)という人物がいます。儀三郎は、人力車の運転手を生業としている働き者の善人です。彼には、50近いのですが、見た目は若いせき(吉行和子)という名の奥さんがいます。ほかに奉公にいっている娘と幼い息子がいます。
儀三郎は、仕事の終わった後酒を飲んでさっさと寝てしまうので、せきは性的に満たされません。そこに、戦争帰りの若者豊次(藤竜也)が親しげに「あねさん、あねさん」と を慕います。
30代半ば(1941年生まれ、撮影は1977年)の藤では若い兵隊あがりの青年役はさすがに年齢的にどうかと思いますが、藤の知名度のほかに、彼が「愛のコリーダ」以降事実上仕事がなかった(こちらの記事参照)ための大島による救済という部分も起用の理由にあったかと思います。
で、こと細かな経過は省略しますが、2人は不倫関係になり、豊次は儀三郎を殺してしまおうと話を持ちかけます。さすがに良心がとがめるせきですが、豊次の申し出を断りきれず、ある夜、大酒を飲ませて眠り込ませた儀三郎の首に麻縄をまきつけて、2人でそれを引っぱります。儀三郎は激しい苦悶の末死んでしまいます。2人は雪の中儀三郎を引きずって古井戸に彼の死体を投げ込みます。
対外的には、儀三郎は東京へ出稼ぎに行っているんだと話をします。豊次は、儀三郎を捨てた古井戸にせっせと枯葉を入れて死体を隠蔽します。そんなある日、近隣の旧家の若旦那(河原崎建三)がそれを見かけてちょっと豊次と話をします。
河原崎建三は、大島の「儀式」で主人公を演じていました。「愛の亡霊」では、彼は結婚式と葬式両方のシーンがあるのですが、これってやっぱり「儀式」を意識しているんですかね。たぶんそうです。なお「儀式」では、彼の葬式のシーンはありませんが、結婚式のシーンはあります。しかしそれは、花嫁が逃げ出して新郎のみがいるという茶番劇です。もちろんこれは映画での話ですが、いやだな、そんなの(笑)。
さて3年たち、姿の見えなくなった儀三郎について、徐々に村人たちが不審に感じはじめます。村に赴任した駐在(川谷拓三)は、あるいは儀三郎は殺されたのではないかと怪しみ、いろいろ捜査をします。時に床下に入ったり、せきや周囲の人間に話を聞いたりします。
そして・・・せきのもとに儀三郎の幽霊が出てくるのです。
せきは、儀三郎のために酒を買ってあげたり、あるいは幽霊の儀三郎が走らせる人力車に乗ったりします。殺されたのに、儀三郎はまったくせきを恨む様子を見せません。
世の中いろいろな幽霊が映画にも出てきたでしょうが、さすがに殺されてもまったく犯人の奥さんを恨もうとしない幽霊というのは多くはないかなと考えます。人(いや霊か)がいいにもほどがあるという気もしますが。
そうこうしているうちに、若旦那は、豊次がどこかの古井戸に枯葉を入れていたことを思い出します。もしかしたらあれは、儀三郎の死体でも入れたのではないかと勘のいい若旦那は気づきます。古井戸を覗き込んでいる若旦那を、豊次は殺してしまいます。
それでこれも経緯は省略しますが、いよいよ怪しいと考えた駐在は、ついにある早朝、せきの家に踏み込むと、そこには抱き合っている豊次とせきがいます。
場面は変わって真昼間、木につるされた2人は、棒でたたかれて拷問を受け、ついに儀三郎を殺して古井戸に投げ込んだことを白状します。古井戸から、無残な儀三郎の死体があげられて、映画は終わります。
この映画では、やはり田村の演技が抜群に秀逸です。この映画は、いろんな資料によって出演者の冒頭に記されている人が違うのですが(藤のもあれば、吉行のもあり、田村のもあります)、個人的には藤や吉行も田村の演技力にはまったくかなわないという気がします。この映画自体は、亡霊の出現以外はきわめて現実的というか、社会の営みをわりと写実的にとらえていますが、そこに善人を演じる田村の演技がたくみにマッチし、さらに「亡霊」としての田村の出現が、ほかの写実的なシーンと強烈な対比になっていて激しく心をゆさぶります。
そしてこの映画の最高の売りは、撮影監督宮島義勇の撮影です。これはマジですごい。基本的にこの作品は、昼間の屋外シーンでもローキーで撮影されているのですが、ラスト近くの拷問シーンはいきなりハイキーで鮮やかな色彩です。藤と吉行の血が強烈です。その直前の、藤と吉行が明け方の日(いや、月光か?)の明かりのもと抱き合っているシーンなど、すばらしいの一言に尽きます。上に貼り付けた予告編の動画でもその一端がわかると思います。
なお、大島自身は、「愛のコリーダ」の撮影に宮島を起用したかったようですね。若松監督がそのように語っています(こちらの本より)。が、けっきょく上の武満と同じく宮島がそれを断り、実現はしませんでした。宮島の起用を大島が望んでいたのなら、「愛のコリーダ」でのクライマックスシーン(定が吉蔵を殺すシーン)は、宮島カメラマンでしたら、カメラマンをふくむ他のスタッフをスタジオの外に出して大島自身が撮影するのでなく(こちらの記事を参照してください)宮島が撮影したかもしれませんね。大島は、宮島に最大級の敬意をしめしていますから。
ところで最後の疑問を。ラストのナレーションで、せきと豊次の2人が死刑になったといううわさを村人たちがきいたということが語られますが、儀三郎としてはこれは満足だったんですかね?
なお、こちらのサイトは参考になりますので、よろしければごらんになってください。また「愛の亡霊」のシナリオ本も発行されています。