本日の60年前の1956年8月24日、映画監督の溝口健二は亡くなりました。58歳でした。
ヌーヴェルヴァーグの旗手ジャン=リュック・ゴダールは溝口をたいへん尊敬しており、『気狂いピエロ』では、『山椒大夫』のラストを引用したり(ラストで、カメラが海にパンするシーン)、『メイド・イン・USA 』では、ドリス溝口なる登場人物まで出てきます。別に説明する必要もないでしょうが、ドリスとは、ドリス・デイのことです。
ゴダールは、1966年に来日した際、溝口の墓まで訪れています。
当方、もっとクリアな写真を知っていますが、それはネット上で見つけることができませんでした。ゴダールも感慨深いものがあったのでしょう。なお上の写真の出典はこちら。
溝口の死因は、急性白血病でした。当時の医学では、白血病はまったく手に負えない病気で、溝口もほぼどうしようもない状況で入院3か月にて亡くなりました。小津安二郎も60歳の誕生日で亡くなりましたが、この2人がそれなりに長生きすれば、たぶん黒澤明以前に文化勲章を受章していたと思います。なお、映画監督で文化勲章をもらった新藤兼人は溝口の弟子です。
溝口は暴君で権威主義者で、ある意味非常に嫌な人間だったようですが、まさに天才と何とかは紙一重の人だったのでしょう。私も溝口の映画というのは不完全にしか見ていませんので、これからもっともっと勉強していきたいと思います。
それにしても溝口が亡くなってから60年ということは、溝口の映画に出演したことのある俳優も、存命者もだいたい80を超えているということですね。長い時間が経ちました。昨年『祇園囃子』と『赤線地帯』が若尾文子の映画祭で上映されましたが、若尾も1933年生まれですからね。京マチ子はすでに92歳です。