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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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50年代~60年代の日本映画を見て、自分のことを名前で呼ぶ女性があまりに多いことにうんざりした

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最近1950年代~60年代の日本映画を見る機会がわりと多いのですが、見ていて、どうも女性の登場人物で、自分のことを名前で呼ぶ役が多いと思います。

若尾文子の映画なんか、いろんな映画で彼女が自分のことを名前で呼んでいます。たとえば川島雄三監督の「女は二度生まれる」でも、すでに若尾は30近い年齢ですが(笑)、全編ではありませんが、自分のことを名前で呼んでいます。

もちろん現実の若尾が「文子」と自分のことを呼んでいるわけではなくて、役でそう呼んでいるだけですが(笑)、私のように「自分のこと名前で呼ぶ女性大っ嫌い」と常にわめきちらしている人間からすれば、若尾さんが自分のことを役名とはいえ名前で呼んでいるのをえんえん聞くと、非常にストレスがたまるわけです。いや、いまはさすがにそんなことはないでしょうけど、昔の若尾文子が、自分のことを「文子」と呼んでいたかどうかは存じ上げませんが(笑)。なお下の本はなかなか面白い本ですので、興味のある方はご一読をお勧めします。

若尾文子〝宿命の女〟なればこそ

それでひどかったのが、先日見た市川崑監督の「あの手この手」です。ここでは久我美子が主人公を演じていまして、だいたい全編自分のことを「アコ」と呼んでいます。そういうのを聞いていると、私としてはヒステリーを起こしたくなるわけです。これは1952年の映画です。

で、前ご紹介した記事に、最近、自分のことを名前で呼んでいる女性が増えているというのがありました。

そうなの? そうすると、日本は私にとっては非常に生活しにくい社会になる

その記事によると

>実は今、自分のことを「下の名前」で呼ぶ若い女性が増えている。

だそうです。この話が正しいのかどうか知りませんが、私が見た限りでは、いまから60何年前から半世紀前の日本も、映画のセリフではじゅうぶんたくさんの女性が自分のことを名前で呼んでいます。それがどれくらい、現実の当時の女性の会話を反映していたかというのが問題なのかもです。

ところで日本人の多くが読んだ小説と思われる「坊っちゃん」では、清さんが自分のことを名前で呼んでいました。最後のところです。引用は、青空文庫より。

>死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。

この小説は20世紀初頭の発表ですから、当時の日本ではすでに、自分のことを女性が名前で呼ぶのは、ごくありふれたことだったんですかね。そうとなると、日本における、自分のことを名前で呼ぶという行為は、相当に根深いものがありそうです。

そう考えると、昔の私は、小学生になったら自分のことは私と呼べとわめいていたのですが、どうもそれは現実性がないと認めざるを得ません。最近は妥協して、中学を卒業したら、自分のことは私と呼ぶべきだと考えるようにしました。本来だったら、中学生で自分のことを名前で呼ぶなんて、論外、愚劣、非常識、幼稚、しつけや教育が悪い、注意しない他人が悪い、その他あらゆる罵詈雑言を浴びせたいのですが、私もいろんな女性にさんざん注意して、結果は嫌われただけという惨憺たる有様です。これではどうしようもないにもほどがあるというものです。

いずれにせよ、私が生きている限り、自分のことを名前で呼ぶ女性に私は悩まされそうです。困ったものです。というわけで、この記事を読んでいる自分のことを名前で呼んでいるあなた(いるかな?)、せめて義務教育が終わったら、外では自分のことは「私」と呼びましょう。「かわいい」とばかり思ってくれる人間だけじゃないよ。私みたいに大っ嫌いな人間もいるわけです。


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