先週話題になったこちらの裁判の記事を。記事は読売新聞です。
>「津波襲来予見できた」大川小犠牲、学校に過失
2016年10月26日 22時03分
東日本大震災の津波で犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校の児童23人の遺族らが市と県を相手取り、計23億円の損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁は26日、市と県に対し、計約14億2658万円の支払いを命じる判決を言い渡した。
高宮健二裁判長は、当時、市の広報車が高台への避難を呼びかけていたことなどから、現場にいた教員らには「津波が襲来することを予見し、認識できた」とした上で、すぐそばの裏山へ避難させずに児童らを死なせた過失があったと認定した。
訴えていたのは、死亡・行方不明となった児童23人の遺族ら29人。判決によると、地震発生後、教員らの指示で児童は校庭に避難した。児童らは校庭に待機後、約150メートル離れた交差点付近の「三角地帯」と呼ばれる北上川堤防近くの高台への移動を開始。川をさかのぼった津波が堤防を越え、移動開始直後に巻き込まれた。児童74人、教職員10人の計84人が死亡・行方不明となり、当時学校にいて助かったのは児童4人と教員1人だった。
この事件での、原告側勝訴、市・県の敗訴は妥当だと思いますが、ただ行政側は控訴する見通しのようですね。上にもありますように、Wikipediaの「石巻市立大川小学校」の記述を借りますと
>2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波が地震発生後およそ50分経った15時36分頃、三陸海岸・追波湾の湾奥にある新北上川(追波川)を遡上してきた。この結果、河口から約5kmの距離にある同校を襲い、校庭にいた児童78名中74名と、教職員13名中、校内にいた11名のうち10名が死亡した。スクールバスの運転手も死亡している。
学校の管理下にある子どもが犠牲になった事件事故としては戦後最悪の惨事となった。
ということです(注釈の数字は削除。以下同じ)。
さらに
>地震発生から津波到達まで50分間の時間があったにも関わらず、最高責任者の校長不在下での判断指揮系統が不明確なまま、すぐに避難行動をせず校庭に児童を座らせて点呼を取る、避難先についてその場で議論を始めるなど学校側の対応を疑問視する声が相次いだ。普段から避難に関する教育を徹底し児童らだけの自主的避難により99.8%が無事だった釜石の全小中学校や、地震直後より全員高台に避難させ在校児童が全員無事だった門脇小学校と対照的とされた。宮城県が2004年3月に策定した第3次地震被害想定調査による津波浸水域予測図では、津波は海岸から最大で3km程度内陸に入るとされ、大川小学校には津波は到達しないとされていた。そのため大川小自体が避難先とされていたケースもあり、実際に地震の直後高齢者を含む近所の住民が大川小学校に避難してきた。石巻市教育委員会は2010年2月、各校に津波に対応するマニュアル策定を指示していたが、被災後の議論で教育委員会は、学校の危機管理マニュアルに津波を想定した2次避難先が明記されていなかった点で責任があると認め、父母らに謝罪している。
ということです。つまりまともに避難せずに、教職員と生徒が、ほぼ全滅に近い被害を出したのは、この大川小学校くらいだったようで、それも遺族たちにとっては、ひどく心が痛むところです。それで、この件について、inti-solさんが非常に参考になることを書いておられます。
>刻々と津波が迫る中、40分以上の時間を空費した挙句、間違った結論を出したことは、最悪というしかありません。ただ、それが人間のもつ抗し難い性質の一つであることも事実です。
津波警報が出ているけれど、本当に津波は来るのか、来ないんじゃないか、そう思った(あるいは思いたかった)から、一刻を争うという危機感が乏しかった。津波が来たらみんな飲まれて死ぬ、という、あまりに深刻すぎて想像もしたくないような危険性に実感がなく、子どもを裏山に避難させても結局は津波は来ず、けが人でも出たら、後で保護者からクレームが、というような「より身近に感じられる」危険性が判断を左右した、案外そんな心理だったのではないでしょうか。ある種の条件下では誰もが陥る可能性のある、心理的陥穽でしょう。
この件に関しては、この記事を読んでいるあなたがもし大人だったら(たぶん大多数の人はそうでしょう)、自分がこのとき大川小学校の教員だったらどう行動したかなと考えるのも有益かと思います。はたして私(あなた)は、このとき「そんなこと言っている場合じゃない。すぐ(より高い)裏山に避難しよう」と言えたか。言って、もし他の教員たちが賛同しなかったらどうしたか。いろいろ考えさせられます。
inti-solさんは続けて、
>私が個人的にこの一件から汲み取ったのは、
としたうえで、
>避難マニュアルやハザードマップは参考にするにしても、そこに書いていないことも起こり、書いていない場所にも被害が及ぶことも当然あると認識すべき
避難はとにかく時間が命
希望的観測は、そこに根拠となるものがあるかどうかを理詰めで考えるべき
群集心理、他人に流されるのではなく、自分が危険と判断したら、せめて自分自身とその影響力が及ぶ範囲だけでも、ただちに行動すべき
と書いておられます。
それで、私が思い出したのが、今シーズンの「午前十時の映画祭」でも上映された映画「ポセイドン・アドベンチャー」です。原作は読んでいないので、映画の話をさせていただきます。
「ポセイドン・アドベンチャー」では、豪華客船ポセイドン号が、海底地震による大津波で転覆してしまいます。それでニューイヤーズイヴのパーティーが開かれている会場も、当然反転してしまいます。船のスタッフは、救援隊が来るまでここで待機しようと主張し、主人公である牧師(ジーン・ハックマンが演じました)は、もはや救援隊など来ない、いずれ浸水して死んでしまうから、いまのうちに船底(この場合船の最上部)に行こうと訴えます。
けっきょく8人だけが牧師に続き、残りの人たちはその直後に起きた浸水により、水に飲まれてしまいます。
もちろんこれは映画であり、パーティーの会場の客たちと大川小学校の生徒たちでは立場も何も違いますが、しかし上のinti-solさんがお書きになっていることとだいぶ話が重なるような気がします。
>避難マニュアルやハザードマップは参考にするにしても、そこに書いていないことも起こり、書いていない場所にも被害が及ぶことも当然あると認識すべき
船のスタッフは、船が転覆するなどということを想定していなかったわけです。それだから、救援を待とうという間違った判断をしてしまいました。
>避難はとにかく時間が命
映画では、牧師の説得を受けなかった人は助かるに至りませんでした。まさに時間は命です。
>希望的観測は、そこに根拠となるものがあるかどうかを理詰めで考えるべき
牧師についてこなかった人たちは、まさに根拠のない希望的観測に流されてしまったのだと思います。それが命取りになりました。
>群集心理、他人に流されるのではなく、自分が危険と判断したら、せめて自分自身とその影響力が及ぶ範囲だけでも、ただちに行動すべき
まさに、自分の考えで行動した人が助かったわけですし、また映画に出てくる歌手(キャロル・リンレイ)は、声をかけてくれた雑貨商(レッド・バトンズ)の説得に応じて、九死に一生を得ることができたわけです。
原作者のポール・ギャリコや脚色したスターリング・シリファントらが、どれくらい人間心理を取材して小説を書いたり脚本を書いたのかは知りませんが、このあたりはさすがだと思います。名作とされている映画は、やはりそのあたりはしっかりしています。
大川小学校で犠牲になった教職員、生徒のご冥福をお祈りすると同時に、この記事に全面的にアイディアをいただいたinti-solさんに感謝を申し上げてこの記事を終えます。