このブログでこだわっている映画俳優にビョルン・アンドレセンがいます。「ベニスに死す」で一世を風靡した彼ですが、その成功は彼を大いに苦しめました。これらについては、特にこちらの記事をご参照ください。
ビョルン・アンドレセンについての2003年の記事(1) ビョルン・アンドレセンについての2003年の記事(2)なかなか日本で彼の「その後」が報じられることもないのですが、ななんと(と言っていいでしょう)、彼の最近の写真も紹介している雑誌記事がありました。
>「心優しきヴァイキング」ビョルン・アンドレセン■戸倉みゆき
「ショパン」というのは、ピアノ関係の雑誌ですが、なぜ彼がピアノ雑誌に登場するのかと疑問に感じる方もおられましょうが、彼は俳優というよりミュージシャンンである側面が大きいわけです。彼は、音楽学校を出たくらいの人物で、バンドなどではもっぱらピアノ(キーボード)を演奏しているわけです。筆者の戸倉みゆきさんは、
>・・・彼にとってははなはだ不本意なことであると思うのだが、その音楽活動についてほとんど何も知られていない。今回、ビョルン・アンドレセン氏本人には記事を掲載することを快く了解してもらい、ビョルンについての取材記事は真っ先に『ショパン』に書く、という故内藤アイ氏(前㈱ハンナ専務取締役)との以前からの約束を果たすために、特別に紙面を割いていただいた。(P.82)
と書いておられます。
彼は音楽学校に通っていたのですが、人前でピアノを弾いたら、
>あなた、本当にピアノが弾けるのね!(p.83)
とひどく驚かれて、それがものすごく彼を傷つけたという話も紹介されています。これは、私も上の(2)で紹介した「ガーディアン」の記事でも触れられています。
それで、最近の彼の近影も掲載されています。今年、ウィーンで戸倉さんがお撮りになった写真です。ネットには出回っていないようなので、雑誌の写真を直接撮影したものであることをご理解ください。
それでは、私が見つけた最近の彼のお姿をご紹介します。
これは、2016年にスウェーデンで公開された「Hotellet」という映画で、これはホテルについてのドキュメンタリーで、彼は、「ベニスに死す」の撮影に使われたホテルを再訪したみたいですね。これも、彼がそのような心境になった表れなのでしょう。なお上の記事の典拠はこちら。
Hotellet TRAILER
こちらはこの映画の予告編ですが、残念ながら彼の姿は確認できませんでした。
それにしてもあまりの容姿の変化にちょっと驚きました。いやかなり驚きました。ほとんど絶句ものです。前にご紹介した、2005年の写真とも大違いじゃないですか。
これは2012年に撮影されたというもので、デンマークのドラマでのものとのことですが、どうもこれは、「The Lost Ones」というドラマのようですね。2016年に放送されたとのこと。これは、主演級のドラマのようですね。こちらにそのドラマのHPをリンクしておきます。予告編では、彼のセリフも聞けます。
これは2016年のスウェーデンのドラマ「Springfloden」の彼。スウェーデンではかなりの人気ドラマの模様。
ひげと長髪は、役柄に合わせているのかもですが、これも過去の払しょくの一つなんですかね。
戸倉さんは、1997年から2002年にかけて、数回ビョルンと会われています。97年の際は、
>もうあの映画とは関係ないし、今後も一切関わりたくない(p.83)
と語るくらい、タッジオの影を背負い続けていたようですが、2002年に最後に彼に会った際は、それまでになく明るく、充実した人生を送っていることがうかがえたといいます。この5年間の間にどのような理由で心境の変化があったのかはわかりませんが、
>事実この直後から、あれほどかたくなに一切の取材を拒否してきたビョルンの名が、主にヨーロッパのメディアを通して散見されるようになったのである。(p.83)
ということになったわけです。事実私が翻訳したガーディアンの記事は2003年、シュテルンのインタビューは2002年のようですので、まさにこの時期に彼はメディアに向けて口を開くようになったわけです。なお上の写真は、同じく戸倉さんが、97年に当時ストックホルムで営業していた日本料理のレストランで撮影したものだそうです。雑誌の写真を直接私が写したものであることをご了解ください。
なお現在ビョルンは、ドキュメンタリー映画を製作中とのことです。大の日本びいきという彼が、また日本の地を踏む日がくるかもです。ガーディアンのインタビューでも、日本で女の子に追っかけられたことを語っています。
では最後に、私がこの記事を読んでいて心を打たれたアンドレセンの言葉を引用してこの記事を終えます。これからも彼についてはこだわっていきます。戸倉みゆき様に深く深く感謝を申し上げてこの記事を終えます。
>ストックホルムの音楽学校でピアノを教えていた時、学年末に生徒たちから花を贈られ「指導は厳しかったけれど、あなたは一番良い先生だった」と感謝されたことがある。その言葉を聞き、ビョルンは感動のあまり涙をこぼしたという。
「あの子たちは、あの映画のことなど何も知らない。ただ純粋に僕自身を評価してくれたんだ」(p.83)