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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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子の因果が親に報う

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社会時評といっても、この記事で書いたように政治関係の記事ではありません。あしからず。

先日、正確には総選挙のあった日、こちらの本を読みました。

日本殺人巡礼

それで「おいおい」というくだりがありました。引用します。つまり2002年に群馬県で、1件の誘拐殺人事件があったわけです。事件の概要は、本から引用してもいいのですが、こちらから。

> 2002年7月19日午後、無職坂本正人被告は、終業式を終えて群馬県大胡町内の路上を帰宅途中だった女子高生(当時16)に道を尋ねるふりをして無理やり乗用車に乗せ連れ去り、約5キロ離れた同県宮城村の山林で首を手で絞めたあと、さらにカーステレオのコードで絞めて殺した。殺害後の同日夜から翌日昼ごろまでの間、数回にわたり、女子高生の携帯電話を使い、「50万円を用意しろ。娘がどうなってもいいのか」などと自宅に脅迫電話をかけ、同県内の路上で身代金として23万円を受け取った。犯行の動機については、児童相談所にいる別れた妻や子に会うため、職員に面会を強要する手段として女子高生を人質に取ろうとした、などと説明した。前妻らは坂本被告から家庭内暴力を受けたため、保護されていた。

 他に前橋市の民家で約10万円を奪った強盗罪などにも問われた。

1審では坂本は死刑求刑で無期懲役の判決、検察が控訴して東京高裁では死刑判決となりました。これが2004年で、彼は上告せず死刑が確定しました。上のサイトによると、

>弁護人によると、控訴審判決後、裁判所内で同被告と約20分間接見。上告の意向を伝えると、同被告は「しないでください」と要請した。淡々とした様子で弁護人に謝意を述べ、「刑事訴訟法では判決確定から6カ月以内に執行(命令を)しないといけないと聞いた。早く執行してもらいたい」とも話したという。

とのこと。すでに希望を失っていたのでしょう。2008年に彼の死刑は執行されています。この事件については、こちらの本でも紹介されていました。

日本の路地を旅する (文春文庫) 

それでこういうことは書きにくいのですが、上の本で紹介されているということでわかるように、坂本は被差別部落の出身だったということです。その犯罪が被差別部落出身であることとどういう因果関係があるかはまた別として、いろいろその方面では彼も苦労をしていたのかと思います。

それで私が驚いたのがこちらの記述です。

>この事件には後日談があり、二〇一四年、坂本の父親が、食事をつくらなかった妻に腹を立て顔を踏みつけ殺害した。私は、坂本が誘拐殺人事件を起こした直後に父親に会っている。加害者の親族の中には、取材者に対して声を荒げる者も少なくなかったが、父親は終始冷静で、もの静かな印象を受けただけに殺人を犯したという一報には驚きを覚えずにはいられなかった。(p.52)

この事件自体は、路地の本その他で知っていたのですが、坂本の父親が奥さんを殺したというのは初耳でけっこう本気で驚きました。ネットで調べてみました。引用はこちらから。

>2014/04/21 12:39 

群馬県警前橋東署などは20日、前橋市粕川町込皆戸、無職坂本嘉根央容疑者(76)を傷害の疑いで逮捕した。 
発表によると、坂本容疑者は18日午後6時頃、自宅で、妻の輝子さん(69)の顔を踏みつけるなどしてけがを負わせた疑い。 
救急隊員が駆けつけた時、輝子さんは死亡しており、司法解剖の結果、死因は外傷性ショックと判明。
同署は傷害致死容疑に切り替えて調べる。
坂本容疑者は「夕食を作らなかったので顔を踏んだ」と話している。

読売新聞

私の調べた限りでは、この後この人物がどのような刑事処分を受けたかは定かでありませんでした。起訴されたのか不起訴処分だったのか、その後についてそんなに真面目に調べたわけでもありませんがネットで情報を見つけられませんでした。いずれにせよ本の著者は「殺人」と書いていますが、刑法の犯罪としては殺人でなく傷害致死ですね。

それでこの事件についてろくな情報がないので詳細は不明ですが、あるいはこの人物は認知症のたぐいで怒りっぽく、自分の感情をコントロールできなかったのかもと考えます。何がどうしてこうなったのか見当もつきませんが、いまさら奥さんの顔を踏むなどということをするほどのことでもないでしょう。もしかしたら家庭内暴力が恒常化していたのかもしれません。そのあたりよくわかりませんが、たぶんですが、自分の息子が女子高校生を誘拐殺人して、それで死刑になって執行されるなんていう事態にならなければ、このようなひどい事件は起きなかったのではないかなと考えます。

報じられているところによると、宮崎勉の父親は自殺したそうです。Wikipediaの宮崎勤には、

>家族は宮﨑の逮捕から1年後に引越をした。宮﨑は父親に対して私選弁護人をつけてくれるよう要請したがこれを拒絶。4年後の1994年に父親は自宅を売って、その代金を被害者の遺族に支払う段取りを付けると、東京都青梅市の多摩川にかかる神代橋(水面までの高さ30m)から飛び降り自殺を遂げた。

とあります。自宅を売るというのは、かの大久保清もなかなかの資産家の家だったようですが、土地を売って弁償しています。その土地は、地元の農協が買い取りました(一般人は買ってはくれません。事情が事情だから農協も無理に購入したのでしょう)。もっともこれは、Wikipediaにも載っていませんが。

坂本の家は、上原の本によれば事業に失敗したとのことで、弁償する資産などがなかったのかもですが、そのあたりはともかく、成人の犯罪だったら親がその件で被害者に弁償する必要はないと私は思いますが、いずれにせよ宮崎の父親は自殺し、大久保の親は老人ホームに身を隠しました。それで連合赤軍の事件でも、あさま山荘にたてこもった5人のうち、超法規措置で国外へ去った坂東国男の父親は自殺しました。ほかの犯人たちの親も、職場を退職しています。子どもの不始末で職場を追われた親は少なくないはず。

後に「食卓のない家」という小説を円地文子が書き、それを小林正樹が監督した映画が制作されましたが、これは連合赤軍事件の「その後」をテーマにしていて、そのあらすじは次のようなものです。Wikipediaより。

>電機メーカーに研究員として勤務する鬼童子信之は、妻と3人の子どもを持つ平凡な男であった。長男の乙彦は優秀であったが、進学した大学で、学生運動に熱中する。やがてセクトのリーダーとなった乙彦は、八ヶ岳の山荘で人質・籠城事件を起こして警察に逮捕されてしまう。逮捕の後、セクト内では同志殺人を起こしていたことが判明し、逮捕された学生たちだけでなく、その親たちにも世間の非難が集中した。彼らの中には退職したり、ついには自殺に追い込まれるものも出た。しかし、信之は「成人となった子どもの責任を負う理由はない」という姿勢を貫き、頑なに乙彦との面会を拒否し、謝罪も行わないことを明言した。そうした態度により信之はさらに激しい批判を受けることになる。

私もものの考えとしては、当然この小説の主人公の考えを支持します。成人した子どもの責任を親は負えません。しかし現実問題としては、日本というのはそういう考えをなかなか許してくれない国だと思います。まさに子の因果が親に報うのです。人間どんな人も1つの人生しか歩めません。今の人生があなたにとってどれだけいい人生かはわかりませんが、いい悪いは別として、あなたの人生に別の人生はありません。今あげた親たちの人生も、ほかの人生はあり得ないのですからどうしようもありません。その子どもたちの不始末に親の責任がないことはないのかもですが、さすがに「そういうことをしろ」と教育したわけではないでしょうから、それは子どもが最終的には自分の考えでしたわけです。そしてそれが、親に対しても降りかかってくるのです。

「親の因果が子に報う」ということわざの意味は、

>親が行った悪いことは、その子供に及び、結果として、 何の罪もない子供が、苦しむこと。

だそうですが、子どもの不始末で災難をこうむる親は気の毒だと思います。特に公安事件などですとさらにいらぬ苦労をします。当然私も、そんな苦労はしたくありません。


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