知名度の高いお2人の(元)俳優・(元)女優がお亡くなりになりました。今日は、俳優の方の話をします。まずは記事を。
>ピーター・オトゥールさん死去、「アラビアのロレンス」主演
CNN.co.jp 12月16日(月)9時47分配信
(CNN) 映画「アラビアのロレンス」で主役を演じた俳優のピーター・オトゥールさんが14日、病院で死去した。81歳だった。広報担当者が明らかにした。
2012年に引退を宣言し、最近は闘病生活が続いていた。最期は安らかだったという。
オトゥールさんはアイルランドに生まれ、10代の時にイングランドで舞台デビュー。テレビや映画に出演するようになり、アラビアのロレンスのT・E・ロレンス役で世界的スターとなった。
62年の同作品をはじめ、「ベケット」(64年)、「冬のライオン」(68年)、「チップス先生さようなら」(69年)などの作品でアカデミー賞の主演男優賞にノミネート。70年代にはアルコール依存症でしばらく舞台から遠ざかっていたが、「スタントマン」(80年)で復帰し、「ヴィーナス」(2006年)に至るまで計8回、主演男優賞にノミネートされながら、すべて受賞を逃した。
03年のアカデミー賞では名誉賞を贈られ、「その素晴らしい才能で、映画史上最も記憶に残る登場人物の数々を演じた」とたたえられた。
アイルランドのヒギンズ大統領はオトゥールさんの訃報を受け、「アイルランドと世界は、映画・演劇界の巨人の1人を失った」との追悼談話を発表した。
ピーター・オトゥールは、1932年にアイルランドで生まれました。お亡くなりになるまで国籍はアイルランドだったようですね。ただし英国リーズ出身であるという説もあります。母は、スコットランド系の看護婦(という表記にしておきます)でした。父親は、パトリック・ジョゼフ・オートゥールというファーストネームからして典型的なアイルランド人です。幼いころからリーズで育っていたので、彼自身はどちらかというとアイリッシュというよりは英国人に近い文化だったのかもしれません。
オトゥールは地元の新聞社で見習い記者兼カメラマンをしていましたが、海軍に入隊、除隊後の1952年から1954年まで王立演劇学校に学びました。ここの先輩、後輩には、リチャード・アッテンボロー、ヴィヴィアン・リー、ジョン・ギールグッド、ロバート・ショウ、デヴィッド・マッカラム、ケネス・ブラナー、ジョナサン・プライス、グレンダ・ジャクソン、アンソニー・ホプキンス、イアン・ホルム、アラン・リックマン、ロジャー・ムーア、レイフ・ファインズ、クライヴ・オーウェンらがいます。
実は、彼は奨学金をもらってここに入る前にダブリンのアベイ座の演劇学校に入ろうとしたのですが、アイルランド語(ゲール語)ができないために果たせませんでした。 王立演劇学校では、同じクラスにアルバート・フィニーもいたとのこと。オトゥール曰く「学校史の中でも最も特筆すべきクラスだった、でも当時は大して重視されなかった。ぼくたちはまともじゃないと思われていたからね」とのこと。
1954年からテレビドラマに出演し、またシェイクスピア俳優としての活動も行い、1960年ごろから映画出演をはじめます。ディズニー映画の「海賊船」、ジョン・ギラーミン監督の「The Day They Robbed the Bank of England」、ニコラス・レイ監督の「バレン」という映画にも出演しています。ちなみにこの映画には、谷洋子という人も出演しています。フランス出身の日本人(国籍については未確認)ですが、日本語のWikipediaにものっていない人です。日本公開はされましたが、日本ではソフト化されていません。うーん、どんな映画なのか見てみたい。どのような映画なのか興味のある方は、英語版Wikipedia、あるいは英語に弱い方は、こちらをご覧になってください。ついでながら主演がアンソニー・クインというのも、「アラビアのロレンス」つながりで、奇妙な縁ではあります。
そして1962年のデヴィッド・リーン畢竟の大作「アラビアのロレンス」の主人公役に大抜てきされます。もっともこれ以降彼は、これを超える作品に出演することはできませんでした・・・というのは当たり前な話で、あのようなすごい映画のすごい役に人生2度つくというのも難しい話です。ある意味この映画に出演した後の彼は、自分が演じたT・E・ロレンスを追い求めるようなものでもあったのかもしれません。
さて、ではこのブログお得意の、あの役をあの人が演じていれば・・・をやってみます。ロレンス役は、アルバート・フィニー、マーロン・ブランド、アンソニー・パーキンス、モンゴメリー・クリフトらが候補でした。ほかにアレック・ギネスも候補でしたが、年齢が合わないというので、ファイサル王子の役に回りました。オトゥールが主役を射止めた理由は、彼の容姿がロレンスに似ているところが大きかったようですね。オトゥールは長身でロレンスは背が低かったのですが、容姿が近いところは彼を起用するに十分な理由になったということです。
ではロレンスのお顔を。写真の出典は、Wikipediaから。
ね、似てるでしょ。ピーター・オトゥールに。
1968年のオトゥールです。やっぱり顔が似ている。出典は英語版Wikipediaより。
この映画で(当然ながら)彼は、アカデミー主演男優賞にノミネートされましたが、受賞はできませんでした。受賞したのは、「アラバマ物語」のグレゴリー・ペックです。たしかにあの映画だったら、受賞してもおかしくない演技をペックはしているわけで、「アラビアのロレンス」で受賞できなかったオトゥールは、その後7回ノミネートされてついに受賞することはありませんでした。その後のノミネートされた年の受賞者を見ても、69年に「チップス先生さようなら」でノミネートされた際は「勇気ある追跡」でのジョン・ウェイン、72年の「The Ruling Class」では「ゴッドファーザー」のマーロン・ブランド、80年の「スタントマン」では「レイジング・ブル」でのロバート・デ・ニーロなど、やや相手が悪かった気がします。69年は「ウェインに取らせてやろう」という雰囲気がいっぱいでしたし、「ゴッドファーザー」は、まさに「アラビアのロレンス」なみに世界的に評価の高い映画でしたし、80年のデ・ニーロの演技は映画史に残るものですから、やや彼は不利だったといわざるを得ないでしょう。2003年にアカデミー名誉賞を受賞しています。
2012年の引退宣言はおどろきましたがすでに体調が悪かったのでしょうね。晩年の写真を見ると相当やつれています。写真は、どちらも2011年4月のもの。
やはりガンか何かを患っておられたのでしょうかね。
いずれにせよ偉大な俳優が亡くなりました。謹んでピーター・オトゥールさんのご冥福をお祈りいたします。なお、拙ブログでも定期的に記事を書いている「新・午前十時の映画祭」でも「アラビアのロレンス」を上映(来年2月8日より)しますので、よろしければご覧になってください。また彼についてのデータや「アラビアのロレンス」のトリヴィアは、英語版Wikipediaを参考にしました。