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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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象徴的な選手が引退した

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すでに過去の人ですが、岡野雅行が引退しました。1997年にマレーシアのジョホールバルでの対イランの試合で、ゴールデンゴール(この制度もあんまり評判がよくなく早々に打ち切られました)を決めた人です。

“野人”岡野引退 鳥取GM就任へ25日にも発表
スポニチアネックス 12月25日(水)5時31分配信

J2鳥取の元日本代表FW岡野雅行(41)が今季限りで現役を引退し、同クラブのGMに就任することが24日、明らかになった。既に条件面で合意しており、25日にも発表される。

クラブは来季から新設されるJ3降格が決まっており、関係者は「1年でのJ2復帰に向けて、岡野GMに懸かる期待は大きい」と語った。

 岡野は日大を中退して94年に浦和入り。爆発的なスピードや野性的な風貌から「野人」の愛称で親しまれた名物選手だ。日大時代にはバスケットシューズで100メートルを走り「10秒8」のタイムを記録。野良犬に追いかけられて走り勝つなど数々の伝説を持つ。日本が初のW杯出場を決めた97年11月16日のW杯アジア第3代表決定戦(マレーシア)では、2―2の延長後半13分に日本のサッカー史に残る決勝弾を挙げ「ジョホールバルの歓喜」の立役者となった。

 その後は神戸や香港リーグなどを経て、09年から当時JFLの鳥取に加入した。J2で戦った今季は10月に右太腿肉離れを起こすなど故障に苦しんで10試合無得点。20年のプロ生活に終止符を打つことを決断した。12年に米子市に新設されたサッカー専用スタジアムが岡野のニックネームにちなんで「チュウブYAJINスタジアム」と命名されるなど今でも知名度は抜群。1年でのJ2復帰に向けて岡野の人気や経験がピッチ外でも必要と判断したクラブ側から、GMのオファーを受けて快諾した。来季はスーツ姿でビシッと決め、チーム運営に携わる新たな一面を見ることができそうだ。

 ▼岡野 雅行(おかの・まさゆき)1972年(昭47)7月25日、横浜市出身の41歳。日大を中退して94年に浦和入り。神戸などを経て09年8月に当時JFLの鳥取に加入した。J1通算301試合36得点、J2通算69試合6得点を記録。日本代表で国際Aマッチ25試合に出場して2得点。96年Jリーグベストイレブン。利き足は右。1メートル75、71キロ。血液型B。

さて、岡野といえばジョホールバルのゴールですが、人物紹介にもあるように、彼は実は日本代表としては2得点しかあげていないわけです。FWが25試合プレーして2点だけというのはやはりもの足りません。岡野は、ジョホールバルでのゴールで日本サッカー史に永遠に名を残すプレーヤーとなりましたが、残念ながらそれ以外ではあまりインパクトを与えることが出来ませんでした。もちろんジョホールバルのゴールだけでも大したものですが、たぶん彼自身あまり好成績が出せずに忸怩たる思いもあったのではないかと感じます。

このブログのネタ元の一つである「バース・デイ」というテレビ番組でも彼が取り上げられたことがありまして、東京から奥さんとお子さんを呼び寄せていました。っていうことは、長きにわたって彼自身は単身赴任をしていたのかいなという気がします。家族を呼び寄せたということは、鳥取に本格的に拠点を構える、っていうことなんでしょうね、きっと。

41歳という年齢といい、ここ最近の成績といい、引退自体は仕方ないというか、遅いといってもいい状況でしょうが、98年のフランス・ワールドカップに出場した選手たちも引退が進んでいます。GKの川口能活も、ジュビロ磐田を退団しましたしね。彼は、まだ引退表明はしていませんが、もう彼も38歳ですからね。GKとはいえ、そんなに長い現役の時間が残されているわけではありません。

で、川口は、1975年の8月15日生まれですから、フランスワールドカップ期間中は22歳の若さだったわけです。その選手が38歳ですから、ずいぶん長い時間がたったものです。また、岡野とか川口というのは、Jリーグ発足後にプロになった選手のわけです。つまり日本リーグ時代を経験していないプロのさきがけだったわけで、Jリーグ発足同時あるいは直後にプロになった世代の選手たちも現役を退く年齢です。

それにしても代表2ゴールのうち、1ゴールが日本の初ワールドカップ出場を決定したゴールですか。代表だけでなく、その後の岡野のサッカー人生は、あのゴールの日の栄光を追い求めるものだったのだろうなと(勝手に)考えます。彼が40を過ぎても格落ちのJ2でプレーした理由の一つは、あの日の栄光を忘れることが出来なかったことなのでしょう。あのゴールがなければ、彼も現役をもっと早く退いていたのでは。あるいはやめざるをえない立場になったかもしれません。

いや、彼のサッカー人生はまだ終わりではありません。記事にもあるように、彼は現所属チームのGMになります。たぶん指導者としての人生を今後歩むはず。いろいろなチームで指導をすることになるでしょうが、資格も取らなければいけないしなかなか大変だと思います。ぜひ彼にはがんばってほしいと祈念いたしまして、この記事を終えます。


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