本日は、函館旅行の続きを記事にする予定でしたが、これは至急記事にしないと。
毎日新聞2019年5月14日 17時35分(最終更新 5月14日 17時55分)
出演映画が海外の映画祭で次々と賞を獲得したことから「グランプリ女優」と呼ばれた女優の京マチ子(きょう・まちこ)さんが12日、心不全のため死去した。95歳。すでに密葬を営んだ。
大阪生まれ。1936年に大阪松竹少女歌劇団(後のOSK日本歌劇団)に入団し、娘役として人気に。49年に大映で女優デビューした。ベネチア映画祭グランプリを受賞した「羅生門」(黒沢明監督)で知られる。
そうですか。お亡くなりになったのですね。ちなみに原節子も95歳で亡くなりました。彼女は1920年生まれです。それではもう少し詳しい記事を。
>京マチ子さんが死去、心不全、95歳、「羅生門」「雨月物語」、密葬済ませる
5/14(火) 17:13配信 デイリースポーツ
映画「羅生門」などに出演した戦後の日本を代表する女優、京マチ子(本名・矢野元子=やの・もとこ)さんが12日午後0時18分、心不全のため入院先していた都内の病院で亡くなったことが14日、分かった。かねて療養中だった。東宝が発表した。95歳。大阪出身。
1924年3月25日生まれ。小学校を卒業後、大阪松竹歌劇団をへて49年に大映入社。同年、安田公義監督「最後に笑う男」でデビューした。
初めは歌劇団で鍛えた均整の取れた肉体美が売り物だったが49年の木村恵吾監督「痴人の愛」あたりから演技に開眼。ベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞した黒澤明監督「羅生門」で盗賊に襲われながらも反抗する女性を堂々と演じ、世界的に注目された。
映画の主な出演作に、溝口健二監督のベネチア国際映画祭金獅子賞受賞作「雨月物語」、吉村公三郎監督「偽れる盛装」、衣笠貞之介監督のカンヌ国際映画祭グランプリ受賞作「地獄門」、マーロン・ブランドの相手役を務めたハリウッド映画「八月十五夜の茶屋」などがある。
東宝の「喜劇離婚」、「大家族」など数々の舞台にも出演。最後の舞台は2006年9月、橋田壽賀子氏作、石井ふく子氏演出作品「女たちの忠臣蔵」での瑶泉院役だった。
遺志により、石井氏ら数名の友人の立ち会いで、14日に密葬を済ませたという。石井氏によると、数年前に京さんが元気だった頃に大好きなハワイへ行き、自ら手配したお墓に入るという。
最近は、結婚されたとか(事実かどうかはわかりませんが)、ハワイ在住とか聞いていましたが、日本でお亡くなりになったのですね。そういえばフランス在住と伝えられていた「愛のコリーダ」に主演した松田英子さんもお亡くなりになったのは日本でした。フランスでの生活を(理由はともかく)切り上げたのか、生活の本拠はフランスのままですが、最後の闘病は日本で・・・という考えだったのかはつまびらかでないですが、京さんはハワイのお墓に入るおつもりのようですね。大好きなハワイの地で安らかにお眠りいただければと思います。
それでは例によって彼女の写真を。
2006年の彼女です。
これも最近亡くなった赤木春恵、あと石井ふく子と。やはり京マチ子って背が高いんですね。ほかの2人も大柄ではないでしょうが。
1951年の彼女。
上に同じ。
1966年の彼女。
1989年の彼女。
1959年の映画でのスチールです。
1969年の映画より。
京マチ子という方は、山本富士子のようなストレート美女というより、個性的風貌といった趣があります。それで実は彼女は、溝口、小津、黒澤の3巨匠(ついでに山田洋次も)の作品に主演クラスで出演した女優なわけです。このような役者は、実は彼女だけです。3巨匠の作品すべてに出演した人はほかにもいますが、主演クラスは彼女しかいません。黒澤の「羅生門」より。
溝口作品より。「雨月物語」を。
溝口の遺作、「赤線地帯」より。
小津作品では、「浮草」で、若尾文子らとともに出演しました。
ラストシーン、中村鴈治郎と。
彼女は寅さんにも出演しています。
これはオフショットですかね。いい写真です。彼女は、渥美清より年上です。
時代が違うから仕方ないとはいえ、やはり黒澤と小津の映画には、もっと出てほしかったという気がします。彼女が寅さんに出演したのは、1976年です。
京マチ子さんのご冥福を祈ってこの記事を終えます。そういえば、「羅生門」の脚本を担当した橋本忍も昨年100歳でお亡くなりになりました。まさにスタッフ、キャストが、100歳とか95歳とかでお亡くなりになるくらい昔の映画だということですね…。
京マチ子(1924-2019)