不定期連載です。
それで最初に、私はいかにも怖そうな指導員(つい「教官」といいたくなります)が来て、それで彼が最初に運転席に座って教習所の場内を1周しました。そして運転席に座るよう話して、それで私に言いました。
指導員「さあ! 運転してください!」
え!? もう運転するの、というところです。エンジンかけて、レバーを動かして・・・なんてのは教えてくれない。しょうがないからブレーキをゆるめるとAT車ですのでクリープ現象でのろのろ動き始めます。この時は、やはり未知の体験でした。大学4年生、しかも卒業間際にして、初めての自動車運転です。
で、この時はほとんど教習所内をぐるぐる回っただけだと思いますが、障害物をよける際、ウィンカーを出して右に車を寄せて、さらに左にウィンカーを出して元のコースに戻る際だったかに、教官(とつい書いちゃいます。面倒だから、以下「教官」と「指導員」を適当に気分で書き分けます)から「安定していないよー」と注意されたことを記憶しています。それで教習が終わった際、私がサイドブレーキを上げて、ブレーキの上のボタンを押してあげたら「あああ!」と怒られました(苦笑)。
そして最後に一言。
「だんだん慣れてくるから」
それはそうでしょうが、この日の50分の教習で、私はまるっきりやる気を失いました(笑)。
が・・・やっぱり通わないわけにもいかないので、ふうふう教習所へ行きましたが、「気が小っちぇえにも程がある!!!」などなかなか厳しいことを言われてしまい、しかも大学を卒業して社会人になったら、やはり初社会人で仕事も忙しいので、3か月教習所へ通いませんでした。正直当時の私は、教習所側からすると、典型的なドロップアウト予備軍だったと思います。
今は時代が違うので、教習所でも上の私のような罵倒はそうはされないでしょうけど、当時はまだそういう厳しい指導がありでした。
が、やはりこれではいけないと考えて、私は学科には行くことにし、さらに我慢して場内を回りました。3か月ぶりに私が乗った際、私を担当した教官は、その人が担当してくれたのは、その日が最初で最後だったのですが、3か月ぶりなので今日はすすめることはできないけど頑張ってねという趣旨のことを言ってくれました。たぶんけっこう私が大変だなと思ったのでしょう。
それで、私のブランクがあまりにひどいので、私の台帳を見た指導員が顔を半分引きつらせたこともありました。というわけで、やはり教習所というのは、集中して行った方がよさそうです。
同時に学科も受けました。この教習所は、学科専門の人が2人いて、1人は自衛隊で運転教官をしていたという人、もう1人はMさんという人で、犬塚弘そっくりな方でした。この方には、いろいろ親切にしてもらいました。私は運動は苦手ですが、勉強は嫌いではないので、これはそんなに苦もせず受けられました。
それで、やはり怖い教官は、それなりの年齢の人が多かったと思います。当時だと、だいたい40歳くらいが一つの境目だったかなと思います。当時30くらいの教官に、のちには指導してもらえるようになりましたが、その人たちのほうがさすがに親切でした。
それで車の免許を取る際に一番の難関がたぶん坂道発進だと思いますが、私はAT車の教習でしたので、単にブレーキをかけてた後サイドブレーキをかけて、アクセルをふかしてサイドブレーキを解除して発進するだけでした。そんなに難しくなかったのですが、のちにATの限定解除をした際は、やはり戸惑いました。その件は後日記事にします。
それでようやく仮免許取得にこぎつけましたが、けっきょく私は、場内で最低時間の2倍かかりました。我ながらひでえ運動神経だなと思いました。
さてそんなとき、上に書いたMさんが、私に声をかけてくれました。Mさんは、かつて私に「なぜATで?」と聞いてきました。当時は、まだ男性はMTで取ることが当然の時代でした。私は、「運転に自信がないので、力をつけてからMTにしようと思いまして」と答えたところ、そういう人が事故を起こさないのだと私に語りました。あるいはこのころから、私に目をかけてくれていたのかもしれません。
でとある学科教習の際、その終了後にMさんは、私に「McCrearyさんは、どうも運動神経は必ずしもよくないようで」いい、私が「あまりよくないです」と苦笑したところ、某教習生が間違って超過分の教習チケットを買ってしまいあまらせてしまったので、割引で買わないかと声をかけてくれました。それは私にとっても、こんなありがたい話はないっわけです。Mさんに大変感謝しました。
Mさんは、いろいろ私のことを気にしてくれていたようでした。世の中こういう親切な人がいるんだなという気がします。
それでいよいよ一般道を走ります。最初は左回りのコース、だんだん難しくなってきます。なんとか走れるようになると、高速教習もありました。高速道路を走るのはものすごく緊張しましたが、まあでもなんとか走れました。走れなかったら、こんな記事今書いていません。救命の教習もあり、ついに卒業検定になりました。この時点で、教習所にいられる期限は、あと20日くらいでした。
それで私以外の人は、MT車で検定を受けました。私の目の前で女の子が最後の瞬間に連続エンストして落ちました。検定員もさすがに同情して、「××さんごめんね」といいました。「な、みんな見ていたよな」とも言いました。縁起でもないと思いましたが、私は特に問題もなく合格をもらえました。
自分の運転免許取得記を書いていて、実にひどい苦労をしたことが改めてわかりました。我ながら大変な目に合ったものです。実は私もひところは指導員から、典型的なドロップアウトするパターンだとまで言われたし、今にしてみれば確かにそうだと思いますが、でもなんとかかんとかです。最後は、配車の担当の人から、「ぜひ卒業してください、お願いします」といわれました。そういうことをほかの教習生も言われたのだろうか(苦笑)。
そういうわけで、前述のMさん、ほか私を担当してくれた教官の方々、事務の方々ほかありがとうございましたとあらためてお礼を申し上げておきます。
ともかく数日後、運転免許試験場で無事免許を書き換えました。というのは、私は原付バイクの免許はすでに取得していたからです。そのことを次回お話します。