最初におことわりしておきますと、私は死刑廃止・反対論者ですが、この記事はそういう話とは無関係です。その点おことわりしておきます。
ちょうど私が、マレーシア(クアラルンプール)からミャンマー(ヤンゴン)に移動している最中ごろでしょうか、日本で今年初めての死刑執行がありました。記事を引用します。
>福岡3女性殺害死刑執行 鈴木死刑囚 神奈川連続強殺も
2019/8/3 6:00
西日本新聞 社会面
法務省は2日、福岡県内で2004~05年に女性3人を殺害し、強盗殺人罪などで死刑が確定した鈴木泰徳死刑囚(50)=福岡拘置所=と、神奈川県大和市で01年に女性2人を殺害した強盗殺人罪などで死刑が確定した庄子幸一死刑囚(64)=東京拘置所=の刑を執行した。執行は18年12月以来で、令和時代では初。
山下貴司法相は記者会見で「いずれも落ち度のない尊い命を奪った残忍な事案。慎重な検討の上、執行を命令した」と述べた。執行を命じる書面には7月31日に署名したとし、両死刑囚の再審請求の有無については答えなかった。鈴木死刑囚に関しては「家族にとってかけがえのない被害者を殺害し、一瞬にして平和な家庭を崩壊させた結果は極めて重大だ」と指摘した。
確定判決によると、鈴木死刑囚は04年12月、福岡県飯塚市の公園で専門学校生、久保田奈々さん=当時(18)=を絞殺したほか、北九州市の路上でパート従業員大中敏子さん=同(62)=を刺殺して現金入りのバッグを強奪。05年1月には福岡市の公園で会社員の福島啓子さん=同(23)=の背中などを刺して殺害し、バッグを奪った。
庄子死刑囚は交際していた女=無期懲役が確定=と共謀。01年8月に女の知人の林弘子さん=同(54)=の首を絞めるなどして殺害し現金などを奪った。同9月には女の知人の大沢文子さん=同(42)=を浴槽に沈めて殺害し金品を奪った。
第2次安倍政権での死刑執行は計38人。今年11月には皇位継承に伴う重要な祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」があるため、しばらく執行は控えられるとの見方もあった。死刑確定から執行までの期間は鈴木死刑囚が8年4カ月、庄子死刑囚は11年8カ月。死刑確定者は、現在釈放中の袴田巌さんを含め111人おり、うち82人が再審請求している。
◇ ◇
■「つらく、長かった」 福岡3女性殺害遺族らの傷深く
鈴木泰徳死刑囚の刑が執行された2日、遺族や被害者を知る人はやりきれない思いを口にした。「戻ってくるわけではない」「無念は晴れない」。事件から15年。遺族にとっては一つの区切りでしかなく、深い心の傷は今も残る。
「やっとか、長かった」。最初の被害者となった久保田奈々さん=当時(18)=の父寿さん(62)は淡々と語った。「自宅では常に奈々の写真を身近に置き、好物だったギョーザなどを作った時は供えています」
難病を克服し、声優になる目標を持ちながら飯塚市の歯科技工士の専門学校に通った。クラス担任だった喜瀬直樹さん(43)は「明るくまじめな子。友達も多かった」と振り返る。
クラスメートたちは今も時折集まり、喜瀬さんも加わる。「記憶から消さないため、心の中で思い続けよう」。皆で奈々さんへの思いを新たにするという。刑の執行には「奈々ちゃんが戻ってくるわけでもないし…」と言葉少なだった。
北九州市小倉南区で犠牲となった大中敏子さん=同(62)=の夫(76)は「つらく、あまりにも長い期間だった」と話した。福岡地裁判決後に息子2人が結婚。「妻が生きていればどんなに喜んだか。(刑執行は)一つの区切りにはなった。それでも、妻のいない日々は変わらない」と静かに語った。
福岡市博多区で被害に遭った福島啓子さん=同(23)=は客室乗務員になることを夢見ていた。北九州市立大に在学時は、熱心に経営学のゼミを受講した。ゼミを担当した斎藤貞之名誉教授は「どうして被害に遭わなければならなかったのか。(刑執行は)半分は良かったと思うが、無念さは晴れない」と声を落とした。
引用したのが、福岡の事件の地元紙である西日本新聞ですので、そちらの事件が中心の記事となっています。
この福岡の事件を私は知っていましたが、神奈川の事件のほうは、死刑囚の名前は知っていましたが、詳細はよく知りません。今日記事にしたいのは、福岡の事件です。
福岡の事件での死刑確定時の記事をご紹介します。
>3女性殺害で死刑確定へ 福岡の事件、上告棄却
2011/3/8付
福岡県内で2004~05年に女性3人を相次いで殺害したとして、強盗殺人などの罪に問われた無職、鈴木泰徳被告(41)の上告審判決で、最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)は8日、被告側の上告を棄却した。被告を死刑とした一、二審判決が確定する。
同小法廷は判決理由で「まじめに生きていた何の落ち度もない3人を殺害した。刑事責任は極めて重大で、死刑判決を是認せざるを得ない」と指摘した。
06年11月の一審・福岡地裁判決は「反省の態度がなく更生可能性は少ない」として死刑を言い渡し、08年2月の二審・福岡高裁判決も支持した。
判決によると、鈴木被告は04年12月、福岡県飯塚市で専門学校生の久保田奈々さん(当時18)を殺害、北九州市でもパート従業員の大中敏子さん(同62)を包丁で刺して殺害し、現金などを奪った。05年1月には福岡市で出勤途中の会社員、福島啓子さん(同23)を刺殺、現金などを奪った。
久保田さんの父、寿さん(54)は判決傍聴後に「死刑が確定しても子どもを失った悲しみは変わらず続く。死刑判決は当然と受け止めており、被告が上告して決着を引き延ばしたことにいらだちを感じている」とコメントした。
私がこの事件を注目した理由はいくつかありまして、1つには、これが典型的な性犯罪者が暴走するタイプの事件であるということ、第2に、加害者の裁判他での態度が非常に悪かったこと(ただし再審の申し立てはしていなかった模様)、最後に、その割には、この件での死刑がなかなか執行されなかったことです。
最初に第2、第3について書きますと、この加害者の裁判での様子を引用します。
>鈴木被告は飯塚市の事件では殺意を認めたが強盗目的を否認。北九州市の事件では「女性ともみ合ううちに転倒し刃物が刺さった」と殺意を否認。福岡市の事件では殺意や暴行、強盗目的を認めていない。
2006年1月26日の公判で、検察官は「3人を殺して無期懲役になるのは虫が良すぎる。今から(死刑を)覚悟しておいた方がいい。こんな事件を社会は許さない」と語った。また鈴木被告は取り調べに対する不満を述べることに終始し「事件を防ぐにはどうするべきだったか今も分からない」などと述べた被告に対し、谷敏行裁判長は「君は事件に向き合っていない。被害者の立場で考えることが責任ではないか」「遺族は君の反省の言葉を望んでいる。君が殺したんだよ。遺族は『到底許せない』との気持ちを深めたと思わないか」と声を荒らげ約10分間説諭した。
(略)
そして検察側は、「若い人に犯罪に走らないよう伝えたい」「命の大切さを伝えるためにも死刑にはなりたくない」などと死刑回避を求める鈴木被告の法廷での態度について、「醜悪極まりなく、常識はずれも甚だしい。遺族の怒り、悔しさを増幅させた」と厳しく指摘した。「何の落ち度もない女性を襲った凄惨、冷酷な犯行に酌量の余地は皆無。死刑の適用をためらう必要性など全くない」と述べ、死刑を求刑した。
(略)
鈴木被告は被告人質問で「『罪を憎んで人を憎まず』と言う。権力が人を許さないと、更生への道を閉ざすことになる」「都合のいいことを言うな、と言われるでしょうが、生きて償う道を私に与えてほしい」などと死刑回避を訴えた。
以上お読みいただいてご理解いただけるように、この人物の態度はかなり劣悪です。私は正直、あんまりこのような死刑確実あるいは死刑を求刑されているような人間が法廷で何をいおうが、それを批判・非難するのは気が引けてあまりしたくないのですが、この人物の態度についてはかなりあきれ返りました。といいますか、純粋に死刑を回避したいと考えたとしてこれではマイナスでしょう。
刑事責任が免れる精神異常ではなくても、この精神状態はかなりひどいものではないかとお私は考えます。
ただそれにしては、その後再審を請求しなかったのはある意味不審です。ご当人の心境に変化があったのか、死刑が確定してそういうことができる状況でなくなったのか。
さて、その後この人物の死刑は8年弱後に執行されました。上で引用したサイトでも再審を請求したという情報は書かれていませんし、また昨今(たぶんオウム真理教の死刑囚の執行のために)再審中の死刑囚も執行されていますが、しかしそれは最近の話だし、またこの事件は他の死刑事件と比べてもかなり悪質だと思われますので、そういう意味でも執行が遅いなと考えたのです。なお、彼より遅く死刑が確定して執行済みの死刑囚は、10人います。うち2人(中川智正、遠藤誠一)がオウム関係の死刑囚です。
誰の死刑を執行するかは法務省の役人の胸三寸だし、また本人が拘置所でどういう状況だったかはつまびらかでないですが、あるいは「年報・死刑廃止」の次の号でその状況が明らかになるかもです。このあたり私も確認したいと思います。
さて私がこの事件で一番興味深いというと言葉が悪いですが、考え込まざるを得ないのは、この加害者が、実はこの事件を起こすまで、これといった前科がなかったということです。交通事犯はあったようですし、また女遊びほかが激しく借金をこさえたりいろいろ問題があったようですが、少なくともこのような重大事件を起こすような人間ではありませんでした。それでこの人物の犯行履歴を確認しますと、先ほどのサイトから引用しますと
>2004年12月12日午後11時40分頃、飯塚市の公園で専門学校生の女性(当時18)を強姦したうえ、女性の首をマフラーで絞めて殺害した。さらに財布を奪おうとしたが通行人が現れたため何もとらずに逃走した。
2004年12月31日午前7時頃、北九州市の路上でパート従業員の女性(当時62)の胸や背中を包丁で刺し殺害、約6000円入りの財布などが入ったバッグを奪った。
2005年1月18日午前5時半頃、福岡市の公園で会社員の女性(当時23)を強姦しようとしたが、通行人に目撃されることを恐れ断念。女性の腹などを包丁で刺して殺害し、携帯電話や財布(約1000円)が入ったカバン(総額約45000円)を奪った。
というわけで、1か月強で3人も人を殺しているわけです。北九州の事件は性犯罪ではないですが、その悪質さには驚きます。そして逮捕された状況は、
>2005年3月8日午前1時頃、捜査本部は福岡市で殺害した女性の携帯電話を持っていた鈴木被告を直方市内で見つけ、占有離脱物横領の現行犯で逮捕した。鈴木被告は携帯電話で出会い系サイトを利用していた。犯行を自供した鈴木被告を、3月10日に強盗殺人容疑で逮捕した。
というものであり、またその盗んだ携帯電話で、これは地裁の判決文から引用しますと、
>同事件の被害者から奪った携帯電話機に安
否を確認する内容の電子メールを送信してきた同人の友人らに対し 「俺,K ,
といいます。昨日Fちゃんのこと好きで告白したら,俺みたいな男は嫌いだっ
- 11 -
て言われてついかっとなって殺してしまった。とんでもないことしてしまって
今から,俺もFちゃんのところに行きます。」「家のFば,先日空港近くで殺
されました。ニュースを見ませんでしたか 」という電子メールを送信してい 。
る。
というわけで、これだけでも万死に値するとしか言いようがありません。
それでこの人物の場合、最初の飯塚市での事件で、完全に急変したのでしょうね。この人物は、たしかに世間一般の常識や水準からすればいろいろ問題のあった人物かもしれませんが、さすがにこんな殺人を犯すような人間ではない。福岡の拘置所に拘禁されている死刑囚を例にとると、私がこのブログで繰り返しご紹介してる宮崎家族3人殺害事件のように、ある日突発的にひどい事件を起こした人物とは違いますが、たとえばこれも有名な事件ですが、大牟田4人殺害事件など、特に2人の息子たちなど生まれてこの方まともな人生はまるで送ってきていないはずです。そういったある意味爆発してしまった犯罪者、あるいはサイコパスとも異なるように思います。最初に何らかの理由で性犯罪の殺人をして、それで階段から落ちる、その人のもつ精神的なバリアが壊れてしまったのでしょう。
こういうことを書くとよくありませんが、最初の犯罪をした時点でやめていれば、逮捕されても死刑は免れた可能性はありました。しかし2件目で死刑の可能性が非常に強くなり、3件目で死刑は確実です。このような性犯罪者のひどい劣化は、過去の重大事件でも見受けられます。
大久保清は、1か月半弱で8人の女性を殺したとされますが、彼は幼少時代からいろいろ良からぬことをしていたし、殺人を犯した際も出所したばかりでしたが、さすがにこんなめちゃくちゃな犯罪をするような人間ではありません。けっきょく最初の人を殺してなにかが突き抜けたのでしょう。それで、犯罪のスケールはまた全然違いますが、やはりこのブログでご紹介しているプロ野球選手(当時)の性犯罪はどうでしょうか。堂上隼人は、社会人野球をやっていた時性犯罪をして会社を追われ、独立リーグで苦労をして、更生したと認められてようやくプロ野球選手になれました。しかしまたまた性犯罪をして逮捕、契約解除、実刑判決を受ける始末です。もう釈放されているはずですが、けっきょく3件の性犯罪で逮捕、うち1件で起訴されました。彼もたぶん、1件犯罪をしたときに突き抜けたのでしょう。もともと彼も、性犯罪をしやすい人間だったのでしょうが、最初の犯罪で抑制が外れたのでしょう。1件だけでやめておけなんて話は、こういう連中には通用しません。
窃盗とかなどと比べても特に殺人というのはかなりハードルが高いですが、ある種の人間が性犯罪の要素のある殺人をすると、性犯罪に対する常習性抑圧が外れた状態になって、さらに殺人と共鳴してしまうのでしょう。それは、死刑になったり、あるいはこの件は殺人ではありませんが、プロ野球選手としての立場を棒に振ってしまうようなことも構わないという状況になるのでしょう。まったく恐ろしいとしか言いようがないですね。刑罰とか、自分の社会的地位を台無しにすることすら、こういう犯罪を決定的に抑制するものにはなりえない。そんなこと(そこまで)しなくてもいいじゃん、といった「正論」すら通用しない。それでこういう連中の犯罪にかかわった人間はまさに不幸としか言いようがないですね。不運とはこのことです。
この事件でお亡くなりになった3人の被害者の方々のご冥福を祈ってこの記事を終えます。またこの記事は、「犯罪の世界を漂う」の当該死刑囚の記事に大きく依拠しています。感謝を申し上げます。