ちょっと記事を書くのが遅くなってしまいましたが、3連休中日の11月22日の日曜日、説ブログのアクセスがとてもよかったのです。
それで、読んでいただけた記事がこちらです。
李英和氏の死があまり報じられないことが、対北朝鮮や拉致問題への関心の実情ではないかえ!? なんでこの記事がいまさら? と思ったので確認すると、どうも11月22日に「そこまで言って委員会NP」で彼が取り上げられたので、その関係で彼がネット検索されて、拙記事へのアクセスが多かったようです。その番組を見て彼の死を知り驚いて、拙記事を読んだのだとしたら、拙記事はだいぶ李氏に批判的な内容なので、気を悪くした人が多かったかも。
え?
李英和て亡くなってんの? #そこまで言って委員会
上の方のツイートをご紹介したのは、単に目についただけであり、これといった他意はないので、そのあたりはご了承ください。
テレビで放送されたらアクセスが良かったということは過去にもありました。テレビにゲスト出演した(らしい)海外の美女アスリートについて検索していたら、拙ブログにたどりついたとか。
ただ李氏が亡くなったのは3月末、その死が報道されたのが4月初めです。その後も、たとえば横田滋さんの死など、拉致関係でもいろいろ事件があって、正直とっくに過去の人であろう李氏について、このようにアクセスが多いというのもちょっと意外というか、「どうもなあ」という気がしたのです。実際氏について検索していると、検索ツールに「李英和 最近見ない」などと出るくらいです(苦笑)。
別に彼の死は秘匿されていたわけではないし、当然彼のWikipediaにもその死は記載されていましたが、私は観ていないのでこれといったことが言えませんが、世間の人は、「そういえば李さんどうしたのかなあ」くらいには考えていても、李氏自身がかつて述べていたのと違い、死んだとは必ずしも考えなかったようですね(苦笑。このくだりについては、拙記事をお読みになってください)。それどころかその死も知らず、半年を優に超えてからテレビ番組で死を知り驚いた人が少なくなかったということです。ってことは、ことによったら、李氏の死を大マスコミ(全国紙、NHK、民放キー局など)は全くとまではいわずともほとんど報道しなかったようですが、李氏の知名度はいまでもそれなりにあって、報道量としては、本来彼の死に際してされるべきものがされなかったということなんですかね。いや、よくわかりませんが。
もしそうなら、李氏が主張するような朝鮮総連の圧力かどうかはともかく、以前は彼に主張開陳の場を与えてきた特に在阪マスコミも、彼の死からしばらくは、あまり李氏を取り上げたくはなかったということなんでしょうね。そして彼や彼の家族も、その死をあまりマスコミに報道してほしくないという意向があったらしい。
李氏や李氏の家族の真意は定かでないし、またこれも前記事で指摘したように、李氏は「月刊Hanada」なんて雑誌にも亡くなる直前に寄稿していたようですから、そっちの方面と無関係になったわけでもないのでしょうが、けっきょく反北朝鮮という点では共闘関係である右翼連中と近づきすぎて、それが彼の反北朝鮮の政治運動に悪い影響を及ぼした、またマスコミからも嫌がられるようになったという側面はあるのでしょう。たぶん彼は、亡くなるまでそういうことは認めなかったでしょうが、そのようなことを本気で認識しないほどの愚か者でも狂信者でもないと考えます。
そう考えると、やっぱり彼は、前記事で書いたように、
>学者が下手に政治運動に首を突っ込んでひどい挫折をこうむった、あるいはいろいろ家族や周囲に迷惑をかけた、自分も後悔したという典型ではないですかね。
ということになりそうですね。彼も、とても自分の活動が成功したとか、一定の成果を上げたとは考えていなかったでしょう。「そこまで言って委員会NP」がどういう考えで彼の死8か月を経て彼を番組で取り上げたのかはわかりませんが、つまりは彼が死んだ後にすぐそれを取り上げるということは理由はともかくしなかったわけで、それはいろいろな意味で、李英和氏の運動の限界を象徴しているのだろうなと思います。