あ、すみません。連休中は旅行関係の記事ばかりの予定でしたが、ちょっと考えることがあったので。
名古屋にデカ盛りを食べに行くと称して、4月30日金曜日に休みを取得できたので(有給休暇でなく代休、休みの振替という形)、28日夜に高速バスで名古屋に向かい、5月1日に帰宅するという計画を立てたのですが、出発直前の28日夜に、私の近い親戚が死んだという連絡をもらいました。それで、通夜が30日、葬儀が1日だというので「おいおい」となりました。
さすがに葬式に行かないというわけにはいかないので、30日の通夜は不義理をして、1日の葬儀に参列するというのでご容赦願うということにしましたが、しょうがないのでキャンセル料は仕方ないので、名古屋での1泊分はキャンセルすることとしました。それで、親類が亡くなった日が27日と聞いたので、それは「どうもなあ」と思いました。それなら、その時点で、早急に当方に連絡をしてもらいたかったわけです。
私も8年前父を亡くしていますが、その際は、死んだのが早朝でしたのでその時間にすぐ電話をするというわけにもいかなかったのですが、ともかく最大限はやく関係者や関係先に電話はしました。参列の有無はともかくとして、連絡は早くしなければと思ったのです。通夜や葬儀の日程は、決まり次第また連絡すればいいと思ったわけです。
ご報告(5月30日発表) 父の死についてと、その関係の若干の感想が、やはり1日以上時間がたって連絡をもらうと、こちらも時になにがしかの用事や予定がある可能性が高まるので、それはもっと早急に連絡してもらわないとなあです。たぶん喪主となる人が、日程が決まってから連絡したいと考えたか、あるいはちょっとそこまで頭が回らなかったのかもしれないし、それは仕方ありませんが、葬儀への出席の有無というのは相当重大な問題になりかねません。今回の葬儀は、このご時世であるので家族葬でしたし、実際簡潔な式でしたので、私としても大変ありがたかったわけですが、いずれにせよ連絡は早くしなければです。今回の件で、私が次に喪主なりなんなりをすることとなったら、早急に関係者に連絡しなければと思いました。私としては、自分の葬式もふくめて、家族葬、あるいは葬式なしにしたいと考えていますが、そのあたりはともかく、手早く済ませて、手早く終了したいものです。
ところでこの葬式では、本来なら焼き場に親戚連中も行くはずだったのですが、より近い身内のみ焼き場に行くというので、私は参加しないで済みました。これも、それで済むのならありがたい話です。わざわざ焼き場に行きたいとも思わないので。これもコロナの関係かと思います。コロナがなくても家族葬はそのままでしょうが、焼き場にはたぶん行ったのではないかと思います。焼き場が併設されている式場ならともかく、焼き場へ向かうのであれば、次から少数の身内だけ同行すれば良いのであれば、そちらのほうが面倒もありません。ポストコロナでもたぶんそうなると思います。
いずれにせよ葬式のありかたもどんどん変わってきます。1984年の伊丹十三監督の映画『お葬式』は、自宅で、一般の参列者も参加する葬式を描いていましたが、現在の葬式は、自宅でなく斎場で、一般の参列者はお呼びでなく家族総出というのが主流となりました。コロナうんぬんでなくても、現在父が死んだら、たぶん家族葬という形になったのだろうと思います。これからさらに時代が過ぎれば、また違った形の葬式になっていくのでしょう。