周恩来と鄧穎超ですかね。すみません、当方の撮影技術の低さと、当時の私のカメラの性能の低さにより、お見苦しい写真多数なことを今のうちにお詫びしておきます。
あらためて写真を撮ります。
晩年にいたるまでハンサムな人物です。
周恩来は、日本に留学していました。
>船に乗るために神戸に向かう途中、京都の嵐山に寄って歌った詩「雨中嵐山」は、嵐山の周恩来記念碑に刻まれている。河上肇の著書で初めてマルクス主義に触れ、京都大学でその講義を聴講もしている。
とあります。
周恩来は、日本ともいろいろ縁のある人間だったと思います。
毛沢東が余裕の表情ですね。
建国直前の時期ですかね。
やはりこのあたりの顔が、周恩来という印象が強い気がします。
1949年10月1日の、中華人民共和国建国の宣言の際の写真ですかね。
天津に登録をしていたのですね。周が亡くなるのは1976年ですから、その直前のものですかね。
こちらは「北京市」とありますね。
1972年の日中国交回復の際の写真ですかね。
ニクソン大統領との写真ですかね。
まだまだ続きます。
(つづく)