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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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産経新聞て、基本的に「勝てば官軍」「パワーポリティクス」を絶対的に支持しているんじゃないのか(産経が親米なのも、そういう前提がないか)

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今回は「社会時評」のカテゴリーかもですが、本の話ですので「書評ほか書籍関係」にします。

先日図書館で次のような本を見つけました。

敗戦は罪なのか オランダ判事レーリンクの東京裁判日記

著者の三井美奈なる人物は、読売新聞のパリ支局長をへて、2016年に産経新聞に入社したというご仁です。常識的に考えて読売から産経に移籍したら給料も下がるし、そういう人が多いわけでもありませんが、ほかにも田村秀男などもいます(日本経済新聞出身)。ただ田村は、1946年生まれで2006年に産経に入社ですが、三井は1967年生まれの2016年入社でまだ50前での産経入社ですからね。よほど読売で嫌なことがあったか、さもなければ産経から給与以外にもなんらかの好条件のオファー(パリ駐在とか)があったか。

そのあたりの真偽はともかく、図書館から借りてまだ本を読んではないのですが(読めずに返してしまいました)、

>敗戦は罪なのか

って言われてもねえ(苦笑)。産経って、基本的に、「勝てば官軍」「Might Is Right.」「パワーポリティクス」とかって考えを強固に支持していませんかね。以下Amazonの内容紹介より。太字とかもそのまま。

>第2のパル"が見た
日本人と「勝者の裁判」

◎日本人は残虐か ◎まさかの判事指名 ◎マッカーサーに嘆願
◎対立の始まり ◎裁判長と大ゲンカ ◎パルとの友情
◎母国へのいら立ち ◎味方は誰か ◎信念を貫く

日米開戦80年

秘蔵写真20枚収録
東京裁判の内実に迫る第一級資料

ぶつかる国益 判事たちの熱き闘い

極東国際軍事裁判(東京裁判)判事団の中で、誰よりも日本を探訪し友を作り、
日本人を理解しようとしたオランダ判事ベルト・レーリンク。
2年9カ月の東京滞在で綴った日記と70通の書簡から見えてくる
「戦争犯罪とは何か」――。

〈目次〉
はじめに――レーリンクの優しさと強さ

第1章 ナチスと結託した「敵国」へ(1946年)
断罪の日
まさかの判事指名
出発の日
米国到着
山下裁判の衝撃
極東との出会い

第2章 驚きの国ニッポン(1946年)
敵ではないのか
いきなりVIPに
マッカーサーと原爆
言葉の迷宮
英米法か大陸法か

第3章 異国で出会う友人たち(1946年)
米判事ヒギンズ
富士山と桜
日本人の心
京都旅行
対立の始まり

第4章 裁判開廷(1946年)
緊張の日
マッカーサーに嘆願
米国人弁護人への驚き
日本を好きになりかける
野村夫妻

第5章 判事たちの対立(1946年)
暑い法廷
フィリピン判事
裁判長と大ゲンカ
パルとの友情
不思議な縁
日本人女性
子供たちを想う

第6章 日本滞在がもたらす影響(1946年)
オランダの植民地支配
溥儀とソ連
日本人は残虐か
フランス人たち
奇妙な友情
富士山の旅

第7章 葛藤の日々(1946年)
真珠湾攻撃
犬猿の仲
トップを裁く法的根拠
植民地主義への疑念
長引く裁判
心の友
提督からの手紙

第8章 法と政治の狭間(1946~47年)
「侵略」の罪とは
独自意見を出すしかない
動議めぐる論争
母国の圧力

第9章 心の救い(1948年)
妥協と抵抗
母国へのいら立ち
盆踊りの夜
二人の日本人
判決作成
味方は誰か
パルの励まし

第10章 さよなら東京(1948年)
反対意見
判決言い渡し
死刑判決
信念を貫く
オランダに帰国

第11章 判決その後
刑の執行
重光葵の釈放
東郷夫人
新たな出発

国際法はどこまで個人の戦争責任を問えるのか

>パルとの友情

パル(パール)って、もともと税法の専門家であって、彼が東京裁判(極東国際軍事裁判)の判事に選ばれたのもいろいろな意味で変な話ですが、以前私も、靖国神社でパ―ルの顕彰碑を見て、けっこう本気であきれ返ったことがあります。

靖国神社へ、「南京の真実」を見に行く(2)

写真は、上の記事からの再掲です。

だいたい日本が国際社会に復帰したのは、なにはともあれ東京裁判の結果を受け入れたからだし、「国際連合」だって英語では「United Nations」(連合国)であり、本来ドイツ、日本、イタリアなど旧枢軸国は、お呼びでない組織でした。つまりは、「国際連合」という名称は元枢軸国である日本の都合により意訳であるわけです(個人的には、悪い訳とは思いません)。イタリアが1955年、日本は1966年にようやく加盟し、ドイツ(この時代は東西ドイツ。ドイツ民主共和国(東ドイツ)とドイツ連邦共和国(西ドイツ))に至っては、1973年まで加盟を許されませんでした。1960年にローマで、64年に東京で、72年にミュンヘンで夏季オリンピックが開催されたのも、つまりは旧枢軸国の国際社会への復帰の象徴としての意味合いもありました。

なんて話はだいぶ本筋からずれましたが、「勝てば官軍」とか「パワーポリティクス」なんてことをいいだせば、それじゃ日本は太平洋戦争で徹底的に負けたんだから、戦犯裁判もなにもしょうがないじゃんというレベルの話ですよねえ。あるいは国共内戦だって、共産党が国民党に勝ったんだからどうしようもないということになるし、ベトナム戦争だって北ベトナムに南ベトナムは完敗したのだから、それは何言ったってしょうがない、昨今の事例でいえば、タリバンが再度アフガニスタンの覇権を奪取したことなどもそうでしょう。

だいたい「勝てば官軍」という言葉は単なるトートロジーです。勝たなければそもそも官軍にはなれません。で、そんな内容のない言葉がなぜ使われるかといえば、つまりは「勝てば官軍」という言葉には、「勝つことによってその過程ほかが正当化される」という意味合いがあるということでしょう。つまり過去の過ちも「なかったことにできる」ということなんですかね。黒歴史のロンダリングという部分もあるのでしょう。

そうすると例えば「東西冷戦で西側が勝った。だから米国をはじめとする西側が正しい」ということを産経は言いだしますが、上にも指摘したように、国共内戦とかベトナム戦争とか、産経にとって都合の悪い事例もたくさんあるわけです。産経もさすがに、「勝てば官軍」とか「パワーポリティクス」に徹するほどの首尾一貫性は(当然ながら)ない。

が、そうではあるにしても、やはり産経の辞書に、「善隣外交」(Wikipediaでは、「善隣政策」)なんてものはないんでしょうねえ。連中が絶対支持していた(いる)安倍晋三だって、首相在任時にそんなに中国とけんか腰だったわけでもありませんが(韓国に対しては相当に敵対的だったかもですが、たぶん産経の求めるものは、あんなものではないでしょう)、そのあたりは産経としては「なかったこと」「見て見ぬふりをすること」なのでしょう。いつものことながらデタラメな連中です(苦笑)。

そもそも産経新聞がやたら自民党との関係を誇示しているのは、「下野なう」なんてのは、その例でしょう、連中の「勝てば官軍」思考の典型でしょう。そんな万年政権与党と近い関係にあるなんていうことが報道機関にとって自慢するような話のわけもありませんが、でも連中からすれば「万年与党と蜜月の関係にあるのは、我々の言論ほかが正しいことの証拠だ」ていうことなんでしょうねえ(苦笑)。どんだけ馬鹿でクズなんだか。

もっともそういうたぐいのことを言えば産経新聞社が「強者」であるわけでもありませんよねえ(笑)。大赤字で、フジテレビから莫大な援助をもらっていてなんとか経営を続けているのが現状です。フジテレビの産経に対する援助なんて、ほとんど背任もどき、もしくは背任そのものでしょう。そしてしまいには、産経ときわめて近い立場にある首相(当時)が、フジテレビの最高実力者に大要産経を助けてやってくれと頼む始末(苦笑)。お話にもなりません。

それで、勝てば官軍とかいうのなら、産経の経営に関する敗北なんてのは、とっくの昔に決着のついている話なのだから、てめえらの記事の論調なんて、なんら日本人の主流から支持を得ていないってことじゃないかということになる。が、そういうことを産経は認めないのでしょうしね。まったくいいとこどりの、どうしようもない連中です(笑)。

なお上にも書いたように、この本自体はまだ読んでいないので、読んで記事を書く気になったら記事を書きます。書く気がしなければ、(当然)記事にはしないので、そのあたりは乞うご容赦。また、参考記事もリンクしておきますので、興味のある方はお読みになってください。

赤字の会社がそのような資金援助を行うのってのは、完全な背任じゃないのという気がする 政治部長が早期退職したのだから、産経の経営の悪さも相当なものだ けっきょく安倍晋三が首相であり続けること自体がこの連中の利権になっているのだから、お話にもならない

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