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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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元プロボクサーの青木勝利氏と元予備校講師である佐藤忠志氏は、人間性などパーソナリティが似ていたと思う(どちらも相当ひどい晩年を過ごしたらしい)

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過日このような記事を書きました。

この本はなかなか面白そうだ(「あしたのジョー」の主人公のモデルとなったと推定される人物についての本)

「ジョー」のモデルと呼ばれた男~天才ボクサー・青木勝利の生涯~

写真の本(本の写真は再掲)は、1960年代に活躍した天才といわれたボクサーである青木勝利氏について書かれた本です。私が最初に読んだ記事は、青木氏が『あしたのジョー』の主人公のモデルとして青木氏を推定したことについて取り上げたものでしたが(記事を出したのは、本の出版社ではない文藝春秋のサイト)、それはこの本の中ではあくまで副次的なものでしかなく、青木氏の生涯を丹念に追った労作です。

この本を、前記事を発表してから間もなく入手しさっそく読みました。面白かったのですが、同時代で青木氏を知っているわけでない私でも、ボクサー引退後の青木氏の人生は、さすがによんでいてつらいものがありました。とんかつ屋を開業して順調に営業していたのに、くだらん(かどうかわかりませんが、どう考えても「くだらなくない」とは思えません)ケンカで逮捕、閉店に追い込まれたり、寸借詐欺、無銭飲食、無賃乗車の常連となり繰り返し逮捕、実刑判決まで下されて複数回服役をする。そして40代後半ごろ(青木氏は1942年生まれですので、あるいは1980年代後半?)には、聞き手の左手には、2本しか指が残っていなかったそうです(薬指と人差し指)。彼が指をなくした事情は定かでないので事故である可能性も否定はできませんが、やはり暴力団から指を詰めることを強要されたのではないか(p.218~219)。暴力団に詳しいボクシング関係者は、

>そいつはよっぽどの不義理働いたか、ヘタ打ったかだろうね。組に大損害与えたとか、金を勝手に使ったり、持ち逃げしちゃったりとか。俺も二本ないのはみたことはあるけど、直接で三本、てのは今までなかったな

と語っています(p.219)。なおこれは、青木氏の名は伏せて話を著者(葛城明彦氏)が聞いたとのこと。それで、この本を読んでいると、青木氏がそれくらいの不義理や不始末をしたというのも、なんとなく納得できてしまうところがあります。

その青木氏は、そのころから地元(荻窪近辺)も去り、おそらく2008年ごろに亡くなったとのことですが(青木氏の古い知人の話。p.230)、その青木氏が最後にマスメディアの前に顔を出したと思われるのが下の写真の際のことです。1986年8月21日放送の「中村敦夫の地球発22時」です。この2年前には、山際淳司が青木氏の取材をしています。山際氏がどういう事情で青木氏を取材したのかは知りませんが(山際氏の考えか、編集者かブレーンらの考えか)、あえて青木氏というボクシング界からしても大変な厄介者、面汚しといっても過言でない人物を取材することにした山際氏の眼力はさすがだと思います。その山際氏にして、青木氏取材の記事を自著に収録したのは、取材から10年後のことでした(1994年)。山際氏としても、正直取材はして記事は書いたが、いろいろ差しさわりが多すぎて、なかなか単行本収録するに踏ん切りがつかないところがあったのではないか。なおこの収録翌年の1995年に山際氏は急逝しています。5月29日で、オウム事件で世間が騒いでいる時でした。

話は飛びましたが、テレビ出演した時の青木氏の姿がこのようなものです。別に明記する必要もないかもですが、隣にいるのは、番組ホストの中村敦夫氏です。

すみません。元の画像が非常に粗く悪い質なのでよくわからないでしょうが、年齢がいったのは仕方ないとして、体格もすっかり太ってしまい、表情やしゃべりかたほかも非常に元気のないものでした。中村氏が「同じ世代だから」と語っているのが印象的です。なお中村氏は、1940年の早生まれ、青木氏は、すでに書いたように、1942年生まれです。この取材を受けた際は、44歳になる年齢の年で、誕生日は来ていないから43歳となります。これを初めて見たときは、これはとてもこの後長生きはできなさそうだなと(失礼ながら)考えてしまいました。正直亡くなったのが2008年ごろとなると、(たぶん)この撮影から20年以上も生きていたなんて思いもしませんでした。

青木氏は、ボクサー生活で稼いだ3000万円ともいわれるギャラ(1960年代の話ですから、2億円はるかに超える金額にはなるのでないか)を、放蕩三昧で一銭も残さず使い果たしたそうです。またキックボクシングに参戦を表明するも、すぐ姿を消すなど、犯罪とまではいかずとも非常識極まりない行動にも事欠かなかった。

それで「またその人か」「その人の話はもういい」という声もあるかもですが、私はやはり、元予備校講師の佐藤忠志氏を思い出しますね。

佐藤氏については、私もたくさんの記事を書いているので、興味のある方は拙ブログを「佐藤忠志」で検索してみてください。

佐藤氏も、極端な放蕩を続け、自宅も売却、実家に戻ったりした後、自宅をリバースモーゲージのような形で売却して得た金で、1億円の現金で高級車を購入しようとし、奥さんとトラブル(そりゃそうでしょ)、奥さんがDVがあったと訴え逮捕され、釈放され自宅に戻ったら奥さんは家を去り、その後は酒浸り、チェーンスモーキングの人生を送っていたら、いよいよ金がなくなり、近所に金を恵んでもらう体たらくとなり、、生活保護の需給が開始、数か月後には亡くなる始末です。何度もご紹介している彼の死の直前と思われる姿がこちら。全盛期のころの本の表紙も再掲します。

こちらも再掲ですが、亡くなる1年強前(2018年6月ごろ)の「スポーツ報知」での取材時の写真より。

これが1年くらいで、翌年8月にはあのようなひどい姿になってしまったのです。

お二方とも、まったく愚劣な生き方で人生を徹底的にぶち壊したとしか思えませんね。正直青木氏はともかく、佐藤氏がなんで講師稼業に復帰しなかったのかよくわからないのですが(もちろん往年の稼ぎとは比較にならないとしても、生活できるくらいの金はもらえたのではないか)、「体調を崩した」とか「そんな安いギャラで仕事なんかできるか」といったような考えでもあったのかもですが(以上は私の勝手な憶測です)、さすがにここまでひどい事態になることは避けられたのではないかと思います。が、理由はともかく彼はそれをしなかったわけです。

前の青木氏とその本についての記事や佐藤氏について書いた複数の記事でも書きましたように、お二方ともかなり強い発達障害の類があったのでしょうね。精神疾患もあったのかもしれない。お二方のひどい人生を見ていると、どう考えてもそれ相応の精神障害があったように感じますね。青木氏についての記事で私が指摘した

>時代が違うので、青木氏のような人物がそうそうこれから世に出てくるとは思えませんが、まさに「破滅型」とはこのことだというくらいの人物だったといって過言でないでしょう。彼が語る

>>自身がボクシングで成功しなかったのは、酒のせいではなく運がなかったからと振り返っている。一方で、ジョフレ戦に勝ったらその後どうなったかという問いには、何も変わらなかっただろうと述べている。

という(上にリンクした「逸話」より)のは、前半はともかく、後半は正鵠を得ていないか。たしかに彼は金遣いも相当に荒かったようですので、チャンピオンになったところでボクシングジムを経営するとか実業界で活躍する、ボクシングの世界で幹部や有力者になるといった可能性は低かったでしょう。たぶんボクシング界もマスコミも、手に負えないということになったのではないか。そう考えるとプロボクサーというのは、まさに彼の能力を最高に発揮できる職業であったと同時に、彼を奈落の底に突き落としたものでもあったのでしょう。けっきょく彼は、どのみちアウトローのような人生を送る運命にあったのかもしれません。

というのは、自分で言うのもなんですが、そんなに的外れなものでもないと思います。青木氏についての本の中で著者は

>そんな青木にとって、二十五歳でボクサーを辞めた後の生活は、長い長い”余生”でしかなかったであろう。彼はボクサーを辞めた後、坂道を転がり落ちるような人生となることも、心のどこかで予感していたのではないだろうか。

と指摘されています(p.229)。私も同感します。そしてこれは、佐藤氏にも言えないか。佐藤氏が予備校講師を辞めたのが1992年とのことですが(その後一時的に復活したこともあります)、亡くなるまでの期間、ある程度タレントとしても通用していた時代以外は、彼もこれといった張りのある人生はなかったのではないか。彼が、無謀ともいえる選挙への出馬をした背景も、その代償行為でしょう。

それにしてもって、お二人とも故人ですのでもはやどうでもいい話ですが、佐藤氏を参議院の比例代表に立候補させた自民党といい、これまた何らかの精神障害あるいは発達障害があったと思われる野村沙知代を衆議院選挙に出馬させた新進党(すでに解党)といい、ひどい政党だよね(苦笑)。佐藤氏は放蕩がひどく、まともな生活ができないし、サッチーは脱税をした(呆れ)。サッチーの脱税は、さすがに立候補時には新進党幹部は知らなかったのかもしれませんが、佐藤氏の金遣いの荒さが尋常ではないくらいのことは、「身体検査」で承知ではなかったのではないか。佐藤氏に、まともに予算とかを審議する能力があったのか(笑)。

佐藤氏やサッチーは落選したからまだいいですが、青木氏は繰り返し懲役刑が確定して刑務所に出入りしたくらいでした。サッチーはまだよかったとして、佐藤氏も青木氏も際限なく収入があればともかく、そんなことは当然ながらないわけで、青木、佐藤両氏も平凡な金額の収入を得ることすらできず、青木氏はほぼアウトロー、佐藤氏は飲んだくれの人生を送り、困窮死してしまいました。このお2人、経歴や学歴にはいろいろ違いがあっても、人間性ほかパーソナリティは酷似していませんかね。青木氏はやや極端にひどい人間のところがありましたが、佐藤氏も青木氏ほどではなくても、やはり相当にひどいものがなかったか。なおこのお二人、気前がいいというところも共通しているようです。それらも、彼らが困窮した理由の1つです。

毎度おなじみの話になりましたが、青木氏と佐藤氏が、双方のことを知っていたかはわかりませんが(たぶん佐藤氏は、青木氏のことを名前くらいは知っていたかと思います)、佐藤氏に「あなたは青木勝利氏と似たところがある」と言ったらご当人いい気持ちはしないでしょうが、青木氏ほどひどくなくても佐藤氏もじゅうぶんに青木氏のようなパーソナリティを保持していたと思います。

なお最後になってしまいましたが、「「ジョー」のモデルと呼ばれた男~天才ボクサー・青木勝利の生涯~」はとても面白い本ですので、読者の皆様にもご一読をおすすめします。


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