JR東海の万年最高実力者だった葛西敬之が死にましたね。NHKの記事を。
>JR東海 葛西敬之名誉会長死去(81)旧国鉄の分割民営化に尽力
2022年5月27日 17時05分
旧国鉄の分割民営化に尽力したJR東海の葛西敬之名誉会長が25日、間質性肺炎のため亡くなりました。81歳でした。
葛西氏は昭和38年に旧国鉄に入って職員局次長などを務めたあと、旧国鉄の分割民営化に尽力し、「国鉄改革3人組」とも呼ばれました。
昭和62年に新たに発足したJR東海の取締役に就いたあと社長や会長を歴任し、平成26年からは名誉会長を務めていました。
この間、葛西氏は山梨県のリニア実験線の整備や東海道新幹線の品川駅開業に尽力したほか、新幹線やリニアの技術の海外展開にも力を入れ、平成26年には旭日大綬章を受章しています。
東京電力福島第一原子力発電所の事故のあとには、政府が設けた原子力損害賠償支援機構の運営委員を務め、賠償の問題や東京電力の経営改革に尽力するなど、公職を歴任しました。
また、保守派の論客としても知られ、政界にも幅広い人脈を持ちました。
JR東海によりますと葛西氏は病気で療養中でしたが、25日午前、間質性肺炎で亡くなりました。
81歳でした。
旧国鉄の改革に尽力した「国鉄改革3人組」
亡くなった葛西敬之氏は、JR東日本の社長を務めた松田昌士氏と、JR西日本の社長を務めた井手正敬氏とともに旧国鉄の改革に尽力し「国鉄改革3人組」とも呼ばれました。
国鉄は昭和24年に公社として発足しましたが、マイカーの普及やトラックによる物流の拡大に伴って、年々、シェアを落とし、昭和39年度に赤字に転落。
その後も借金が雪だるま式に膨れ上がり、昭和55年度以降は毎年1兆円以上の赤字を計上し続け、37兆円余りの長期債務を抱えるに至り、経営が行き詰まりました。
このため昭和57年、第2次臨時行政調査会、いわゆる「土光臨調」の方針で、5年以内の民営化の方針が示されました。
この中では全国で一元的な運営を行ってきたことが、輸送構造の変化に的確に対応できなかったと指摘され、分割することが決まりましたが巨大組織である国鉄の分割民営化は、困難だと言われていました。
葛西氏らは、昭和40年度に46万人余りいた職員を民営化前の昭和61年度には27万人余りに減らすなど徹底した合理化などを通じて、分割民営化を内部から主導しました。
そして昭和62年4月1日、国鉄は全国6社の旅客会社と貨物会社の計7社に分割され、すべての株式を国が保有する特殊会社として再スタートしました。
JR東海 金子社長「日本経済の発展に寄与した」
JR東海の金子慎社長は27日の定例会見で「大変残念に思っている。特に大きな功績は平成15年の品川駅の開業と東海道新幹線で時速270キロの運行を実現したことだと思う。これらによって東海道新幹線の利便性が高まり日本経済の発展に寄与した部分が大きかったのではないか」と述べました。
そのうえで「本人の近くで長く仕事をしていたが、日本の大動脈輸送を担うための長期的な視点と同時に足元の安全もおろそかにしてはいけないということをよく言っていた。これは今のわれわれの会社の捉え方として受け継がれている」と述べました。
安倍元首相「本当に残念で さみしい」
自民党の安倍元総理大臣は、国会内で記者団に対し「濃密なおつきあいをさせて頂き、本当に残念で、さみしい気持ちだ。ひと言で言えば国士で、常に国家のことを考えている人だった。安倍政権では有識者会議のメンバーとして集団的自衛権の行使を可能とする解釈の変更について、取りまとめを行っていただいた。先見性と実行力のある方で、心からご冥福をお祈りしたい」と述べました。
磯崎官房副長官「心からご冥福をお祈り申し上げたい」
磯崎官房副長官は記者会見で「葛西氏は国鉄の分割民営化や、リニア中央新幹線計画を発表しその実現に尽力された。さらに、宇宙政策委員会の委員長や、原子力損害賠償支援機構の運営委員などに就任いただき、政府の諸課題に対して高い識見をいかしながら、幅広く尽力をたまわった。心からご冥福をお祈り申し上げたい」と述べました。
日商 三村会頭「政治家とのつきあい方などスケール大きい」
JR東海の葛西敬之名誉会長が亡くなったことについて、日本商工会議所の三村会頭は27日の定例会見で「大学の同期のよしみで一時期、葛西氏が主宰した『四季の会』にも出席していたが、私たちのような純粋な経済人とは違い、彼の場合は政治家とのつきあい方などスケールが一回り大きく、中国に対しても独特な考え方を持っていた」と述べました。
そのうえで、葛西氏が旧国鉄の分割民営化に尽力したことについては「民営化を進めたことは大いに結構なことだが、内外からの抵抗は大きかったと思う。これを成し遂げるのは通常の経済人ではできなかっただろうし、政治力というのも必要だったのではないか。われわれとは違った活躍をされた方だと思う」と述べました。
後の記述の都合もあるので、記事全文の引用としました。安倍なんぞにここまで高評価されるなんて、まさに末代までたたる恥ですが、葛西はそうは考えないんでしょうねえ(苦笑)。だいたい国鉄の分割民営化っていったって、昨今のJR北海道やJR四国、JR九州などの業績の悪化、JR北海道やJR西日本の赤字ローカル線廃止の問題など状況を考えれば、いろいろな問題山積だし、さすがに昨今以前よりはいろいろ問題点を指摘されているかと思いますが、当然ながらそういった問題は論じられていませんね。いつもながらどうしようもない国営放送的な要素が極めて強い公共放送です。
それはともかく、私は、葛西って、渡辺恒雄みたいにやたら長生きして、老害をJR東海ほかにまき散らしつくして死ぬのだろうなと(勝手に)予想していたのですが、この予想は外れました。もちろんこんな予想は外れてくれて、私としてはたいへんうれしく思います。
ただ現在のWikipediaの彼の写真を見ると、鼻にカニューレを入れている状態でだいぶやせてしまっていて、やつれているように見えます。今年4月22日の撮影とのことで、たぶんですが、この時点で死は時間の問題だったのでしょうね。写真がでかいのは、元のサイトそのものです。お見苦しくて申し訳ございません。
ところで葛西は産経新聞(正式には、「フジサンケイグループ」)がやっている「正論大賞」なるものを受賞しています。これは2013年の受賞ですが、この賞は、だいたいにおいて右翼文化人あるいは右翼政治家(政治活動家)がもらっているもので、財界人ではたぶん彼が最初の受賞かと思います。このリストを以前ご紹介したことがありますが、最新版をWikipediaからコピペします。
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第1回(1985年=昭和60年) - 渡部昇一 第2回(1986年) - 加藤寛 第3回(1987年) - 唐津一 第4回(1988年) - 曽野綾子 第5回(1989年=平成元年) - 竹村健一 第6回(1990年) - 猪木正道 第7回(1991年) - 堺屋太一 第8回(1992年) - 西部邁 第9回(1993年) - 上坂冬子 第10回(1994年) - 西尾幹二 第11回(1995年) - 岡崎久彦 第12回(1996年) - 田久保忠衛 第13回(1997年) - 江藤淳 第14回(1998年) - 三浦朱門 第15回(1999年) - 石原慎太郎(特別賞 - 勝田吉太郎、桑原寿二、佐伯彰一、関嘉彦) 第16回(2000年) - 小堀桂一郎 第17回(2001年) - 屋山太郎(特別賞 - 亀井正夫) 第18回(2002年) - 中西輝政 第19回(2003年) - 中嶋嶺雄 第20回(2004年) - 森本敏 第21回(2005年) - 藤岡信勝 第22回(2006年) - 佐々淳行 第23回(2007年) - 佐伯啓思(特別賞 - 阿久悠) 第24回(2008年) - 加地伸行 第25回(2009年) - 佐瀬昌盛 第26回(2010年) - 櫻井よしこ 第27回(2011年) - 渡辺利夫 第28回(2012年) - 西原正(特別賞 - 中曽根康弘) 第29回(2013年) - 葛西敬之(特別賞 - 西修) 第30回(2014年) - 秦郁彦・西岡力 第31回(2015年) - ジェームズ・アワー(外国人で初) 第32回(2016年) - 木村汎 第33回(2017年) - 新保祐司[5] 第34回(2018年) - 西修、百地章(初のダブル受賞[6]) 第35回(2019年=令和元年) - 笹川陽平(特別賞 - 李登輝) 第36回(2020年) - 古川勝久 第37回(2021年)- 平川祐弘(特別賞 - 横田滋・横田早紀江夫妻やはり財界人は葛西以外いませんね。さすがに大規模な事業をしている会社のトップ、あるいは国際ビジネスをしている人間は、この賞のオファーを受けても受賞を辞退する人間が多いのではないかと思います。ていうか、たぶんほとんどそうでしょう。そしておそらく産経も、小物の財界人なんぞにこの賞を出すつもりもないでしょう。
以前葛西についてちょっと調べていまして、正直彼は、国鉄官僚、高度に公共性の高い鉄道会社の幹部とかトップとしては、きわめて優秀・有能な人物だなと痛感させられました。JR東日本の松田昌士やJR西日本の井手正敬らと比べても、その優秀さが際立っている。そういうことは理解しますが、私がかつて(2020年5月31日の記事です。ちょうど2年前)記事で書いたように、
>それでですよ、JR東海の葛西某という人物は、いまだにJR東海取締役名誉会長なる肩書です(呆れ)。
あのー、国鉄がJRになったのが1987年で、それからすでに今年で33年です。葛西某は95年に社長です。彼がJR東海のオーナーであるならともかく、まあこういっちゃなんですが、かつての国営企業(公社)で今日でも高度の公益性を保ち、また現実に日本の大動脈である東海道新幹線を保有・管理・運行をしている企業のトップが、このように万年同一人物というのは変でしょ(苦笑)、いくらなんでも。今年彼は、80歳です。JR東海レベルの、しかもオーナー企業でない会社で、80歳になる年まで取締役の肩書がある例って、あんまりないんじゃないんですかね。いや、そうでもないのか? ふつうはさすがに「顧問」「相談役」ていどの肩書になり、取締役からは外れるんじゃないんですかね。
いや、さすがにJR東海でも、(若手)幹部の中には、「あの人迷惑だ」「いいかげん引退してほしい」という声もあるのでしょう。たぶん少なくはないのではないかと(勝手に)考えます。おそらくそう考える役員クラスもいるでしょう。
来月23日に葛西某は「取締役」の肩書が外れるとのことですから、そうすると実質はいざ知らず形式的にはほんとの名誉職になるんですかね。どうだかわかりませんが、葛西某は会社を退く意思がないようですから、彼は終身名誉会長なのでしょうね、おそらく。それもどうかです。
ちなみに先日亡くなった松田は1936年の早生まれで大学院を出て61年国鉄入社、93年にJR東日本社長就任、2000年に会長就任、退任が2006年です。井出が1935年生まれの59年国鉄入社、JR西日本社長就任が1992年、会長就任が97年、2003年の退任です。葛西某は、1940年生まれで63年国鉄入社、95年にJR東海社長就任、2004年に会長、14年に代表取締役名誉会長ですからね。松田が社長就任から会長退任が13年、井手が14年ですが、葛西某は社長から会長退任が19年、代表権のある副社長就任が90年ですから30年代表兼(まま)があったわけです。これはいくら何でも長すぎるでしょう。
ということだったわけですが、意外なほど彼も早く死んだ感があります。
それで、NHKの報道で、ちょっと面白いところが。
>日商 三村会頭「政治家とのつきあい方などスケール大きい」
JR東海の葛西敬之名誉会長が亡くなったことについて、日本商工会議所の三村会頭は27日の定例会見で「大学の同期のよしみで一時期、葛西氏が主宰した『四季の会』にも出席していたが、私たちのような純粋な経済人とは違い、彼の場合は政治家とのつきあい方などスケールが一回り大きく、中国に対しても独特な考え方を持っていた」と述べました。
三村会頭がどういうスタンスやニュアンスでこの発言をしたのかはわかりませんが、これらの発言は、私には、「100%の葛西称賛」とは思えませんね。三村氏も、「葛西さんはちょっとやりすぎた」「葛西さんは、あまりに長くJR東海にいすぎた」と考えているのではないですかね。たとえば
>中国に対しても独特な考え方を持っていた
なんてのは、その考え方を評価していない表現だと思います。また
>政治家とのつきあい方などスケール大きい
というのも、私には「ほめ殺し」に近いニュアンスを感じます。そう解釈されても仕方ないのではないか。
というわけで上で過去の拙記事を引用したように、彼が死んでせいせいした、という声は、JR東海内部でも決して少なくはないはずです。「老害」「いくらなんでも長すぎ」「唯我独尊」「あの人迷惑だ」という意見は、最高幹部の間でもそれなりにあったはず。そう考えれば、葛西の死は、「死もまた社会貢献」といっていいんじゃないんですかね。彼を評価するとしたって、明らかに彼は不要にJR東海に寄生していたのではないか。オーナー経営者とかならともかく、葛西は当然そうではない。JR東海のような高度に公共性の高い企業でえんえんでかい面をされては多方面に大変迷惑です。そういう意味では晩節を汚した、いや、もちろん私は、葛西なんて昔っから大っ嫌いですが、それ以前のレベルで、どうしようもない野郎だと思います。レイ・リオッタの死は追悼しますが、葛西の死は当然追悼しません。なお葛西について、下の2記事で多少論じていますので、興味のある方はお読みください。上の拙記事の引用は、「JR東海からすると・・・」の記事からです。
現段階では現実性がない、またJR東海トップの安倍晋三との関係に注目したい JR東海からすると、葛西某に無役になってもらいお引き取り願うことは現状無理なんだろう