旧聞ですが元プロ野球選手の入来智氏(以下ほかの方の敬称は省略します。乞うご容赦)が不慮の事故でお亡くなりになりました。記事を。
>2023.02.11
ヤクルト発表 OB入来智さんが交通事故で死去 55歳 死因は「重症頭部外傷」 「入来兄弟」の兄、介護士として働く都城市で
ヤクルトは11日、球団OBで投手として活躍した入来智氏が10日、宮崎県都城市内で亡くなったと発表した。死因は「重症頭部外傷」で55歳だった。
球団は「心よりご哀悼申し上げるとともに、謹んでご通知申し上げます」とコメントした。
都城警察署によると、入来氏は10日午後9時50分、都城市内の市道で、運転していた軽自動車が普通乗用車と出合い頭に衝突。「畑に車が落ちている。50歳代の男性の意識がない」と通報があり、搬送先の病院で同11時45分に死亡が確認された。
現場周辺は畑で見通しの良い交差点で、事故原因は捜査中としている。入来氏の軽自動車は前方が大破。普通乗用車を運転していた男性にけがはなく、双方の同乗者ひとりずつが軽傷だった。
入来氏は1989年ドラフト6位で近鉄に入団。巨人に在籍した弟・祐作氏(50)と、「入来兄弟」としても注目を集めた。広島や巨人、ヤクルトでプレーし、2004年に現役を引退。現在は都城市で介護士として働いていたという。
葬儀は都城市の平成会館で、通夜が12日17時、13日11時から営まれる。喪主は入来氏の父、嘉門さん。弟・祐作氏(50)は現在オリックスで投手コーチを務めている。
なんとも気の毒としかいいようがありませんね。ご冥福をお祈りいたします。
さて、ちょっと気になる報道も。
>現場は市道で信号機のない交差点。畑に囲まれ見通しは良く、当時の天候は晴天、道路状況は乾燥していた。入来氏は幅9メートルの道路を西進し、33歳男性が運転する普通乗用車は南進していたという。ともにスピード制限40キロの片道一車線で、普通乗用車の通行していた道路には一時停止の標識もあった。
この報道が事実であるとすると普通乗用車運転手側に問題があったということになりますが、いまのところ普通乗用車の運転手の人が逮捕されたというニュースは耳にしていないので、任意での捜査ということなのですかね。不起訴処分になるのかあるいは報道に事実誤認があるのか、これは今後わかるかもしれません。
それで、私が「おや」と思ったのが
>喪主は入来氏の父、嘉門さん。
というところです。ずいぶん以前の報道ですが、次のように報じられたこともあります。2015年のことです。
>プロ野球界から引退後、転職回数は10回を数え、第2の人生に苦しみ続ける入来智氏(47)。その陰には夫に寄り添い、献身的に支えてきた妻・聡子さん(46)の姿があった――。20日に放送されるTBS「壮絶人生ドキュメント プロ野球選手の妻たち」(後7・00~9・54)で、どんな時でも夫を励まし続けてきた“妻の鑑”の物語が描かれる。
あえて喪主は父親がなったという可能性もありますが、どうなんですかね。報道で観た限りでは、奥さんの姿を確認できませんでした。ことによったら離婚した可能性もあります。私もそんなに一生懸命見ていたわけでもないので、見落とした可能性はもちろんあります。ご存じの方がいらっしゃったら乞うご教示。
で、上の引用にもありますように、入来氏の引退後の人生は、かなり厳しいものでした。上の記事のほかの部分を引用します。
> 当時入来氏は浪費や離婚による慰謝料などで野球選手時代の貯金は底をつき、故郷・宮崎に戻ってもコンビニのアルバイトや酒造メーカーでの短期雇用など日銭を稼ぐその日暮らし。たまたま聡子さんが経営する美容室の前を通りがかったことで再会し、再び交際に発展。結婚することになった。
次に入来氏が就職したのは聡子さんの兄が家業を継いで経営する仕出し弁当店。子宝にも恵まれ第2の人生を歩み始めたが、2年後に店を飛び出すことになる。から揚げの揚げ方など弁当作りで細かく注意されることが耐え切れなかったのだという。
入来氏は「自分の中で野球やってたプライドも多少あるんですよ、やっぱり。心の調整ができなかったです」と当時を心境を口にし、聡子さんも「俺様を何だと思ってるのよ、みたいな。俺は入来やぞ、みたいな感じのところがすごく出ていた」と夫の姿勢を振り返った。
それから仕事もせずに聡子さんの美容室に入り浸るようになる入来氏。その体たらくを見かねた聡子さんは大きな決断をする。「美容室を辞めた方がお互いに2人で頑張っていけるのかなって思って思い切って辞めました」。
大きな起爆剤を与えられても入来氏はなかなか定職につけないまま。せっかく見つけた住宅メーカーの営業職も一時は精を出していたものの1年で退職してしまった。
どうすれば夫は第2の人生をまっとうに歩めるのか。悩み抜いた聡子さんは「あの人は私がいない方が、ひとりで頑張れるのかもしれない」という結論に至る。そして離婚話を切り出すと、入来氏はかたくなに拒否。「野球しかしてこなかったから…。野球以外に何していいかわからない」と、これまでの苦しみや胸のうちを全て吐露し、号泣した。
入来氏が現役を引退したのが2004年、これは2015年の段階の話ですから、10回転職したとなると、無職の期間も考えれば、平均すれば仕事は1年も満たないで退職したということなのでしょう。これでは、どうしようもないとしか言いようがない。
入来智氏については、私は記事を書いたことはありませんが、弟の入来祐作については記事を書いたことがあります。
入来祐作氏の福岡ソフトバンクホークスへのコーチ就任彼は、横浜ベイスターズでバッティングピッチャーをしたあと用具係をしました。MLBにも挑戦したくらいの人物がそこまでするのも大変だったと思いますが、たぶん弟さんとしては、自分の兄を見て「ああはなりたくない」「自分も、ああなるかもしれない」と思ったのでしょうね。思わなかったといったらうそでしょう。そういった我慢を重ねて彼は、NPBのコーチになれたわけです。つまりは、彼の人間性が評価されたということでしょう。
そして、入来氏の逝去時の職業は、介護職とのことです。
こういっては何ですが、いまさら入来氏も、仕事のえり好みをできる段階でもないでしょうが、上の引用でご紹介したように、「そんなことでやめるか」「それくらい我慢しろ」と他人から言われても仕方ないレベルで仕事をやめていたのでしょうからね。それでなんとかたどり着いたのが介護職だったということなのかもですね。給料がいいというわけにもいかないでしょうし、また仕事もいろいろな意味で大変にもほどがあるというものでしょうが、そこは彼もさすがに覚悟をきめていたのか。
それにしても入来氏は、
>2002年3月には、10年間連れ添った元妻と離婚し、年俸を差し押さえられるなど、9000万円をめぐるトラブルになったことを報じている。 入来さんは2001年、元妻との離婚にあたり、慰謝料2000万円、財産分与2000万円、子供の養育費などと合わせて約9000万円を支払う約束になっていたという。しかし、入来さんの年俸で払うことはできず、実母が土地を売却して慰謝料にあてた。さらに、弁護士を通じて養育費を減額することになったが、皮肉なことに、ヤクルトでの活躍で年俸がアップしたことで、話がこじれてしまう。 元妻が養育費のアップを求めたことで、裁判所から通告が出され、ヤクルトからもらえる入来さんの年俸のほとんどが差し押さえられることになったという。現役バリバリのプロ野球選手にもかかわらず、入来さんの手元には月々、21万円しか残らない状況に――。この取材に応じたのは、当時、入来さんと同棲中の婚約者で元タレントのA子さん(当時23歳)だった。
という報道もありまして、9000万円の慰謝料ってさすがに無茶じゃね、と思いますが、どうなのか。親に土地まで売らせてはいくらなんでもまずいでしょうというところです。
で、入来氏は特によろしくないのかもしれませんが、このあたりセカンドキャリアの問題も考えさせられますね。入来氏の、9000万円の慰謝料というのはさすがに過重だと思いますが、ましてや特に入来氏の場合、とても仕事についてどうこう言える立場ではないはず。しかし
>野球しかしてこなかったから…。野球以外に何していいかわからない
ということになってしまったわけです。入来氏は高卒即プロでなく、三菱自動車水島に入ってその後プロ入りしたのですが、やはり野球以外のことをしていなくて、まるで野球以外のことに対応できなかったということなのでしょう。社会勉強がまるでされてなかったといわれても仕方ないのではないか。規範意識ほかも十分に学ばずに社会に放り出されたということかと思われます。
そう考えると、彼が軽自動車を運転していて、普通自動車と衝突して、先方は助かり自分が亡くなったというのも、ある意味象徴的なものを感じないでもありません。プロ野球選手というのは、だいたいにおいてベンツとかの良い車に乗るものです。セキュリティに難のある車には本来乗りたがらない。今時車にあこがれる人も多くないのかもしれませんが、プロスポーツの選手は、車の運転を好きな人は平均より多いはず。先日亡くなってから50年と報じられたプロボクサーの大場政夫も、彼があのような事故を起こした背景には、ボクサーであるがゆえに食べることなどでのストレスの発散がしにくかったので、車を飛ばすことでそれを解消したということがあるのでしょう。
それで今回入来氏の運転していた車が彼の自家用車なのか、業務用のものなのかはわかりませんが、彼も軽自でなければ助かっていた可能性もないではなかったかもです。それはわかりませんが、彼が軽自動車を運転するという立場だったということも、やはり悲哀を感じないではありません。
入来氏は、ややぶっとんだところもあった人間のようですので、なかなか難しいところもあったのかもしれませんが、セカンドキャリアについては、早い時期に会計士、弁護士、ファイナンシャルプランナー、税理士ほかいろいろな人をブレーンにして、自分の引退後を考えないといけませんね。おそらく多くのプロ野球選手にとって、プロ野球に在籍している時期が、一番大きな額の金をもらえるチャンスであるはず。であればそういう時期を逃さずきっちりと自分の人生の行く末をより豊かにしないといけません。その時に無謀な浪費を繰り返すと、私がいつも例に出す佐藤忠志氏のような悲惨な老後(といったって、彼が亡くなったのは68才であり、今時老後というほどの年齢でもありません)になりかねません。拙ブログで佐藤氏について触れた記事については、こちらを参照してください。となると私たちは、これは入来氏の話とは関係ないかもですが、ケイリー・グラント先生を見習って、きっちりとした人生を送らなければなりません。なぜグラント先生と呼ぶかは、下の記事を参照してください。
「自分は例外だ」なんて考えないほうがいいのかもしれない(米国スポーツ選手の浪費と困窮について)