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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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やはり被害者数は、刑罰を科すうえで重要なファクターだ(当たり前)

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旧聞ですが、京都アニメーション放火殺人事件の青葉真司被告に対して京都地検は死刑を求刑しました。NHKの記事から、一部抜粋。

京都地方裁判所で開かれた7日の裁判で、検察は、「京アニに筋違いの恨みを持った復しゅうで、日本刑事裁判史上、突出して多い被害者の人数と言える。強固な殺意に基づき計画的に事件を起こし、ガソリンを使った放火の危険性は十分に認識していた。被害者が逃げても猛スピードで煙などが追ってきて、まさに地獄のような恐怖や無念さは察するにあまりある」と主張しました。

そのうえで、「京アニに作品を盗用されたという妄想が動機の形成に影響したが、限定的で極刑を免れる要素にはならない。遺族や被害者の苦しみや悲しみはあまりに深く処罰感情もしゅん烈だ」と述べ被告には事件当時、完全な責任能力があったとして死刑を求刑しました。

青字かつ太字の部分は、引用者の恣意です。

なぜ私がこんなことを強調するかというと、以前次のような講演が法科大学院(!)で行われたからです。

裁判官が判例に固執することを批判して、なにがどうなってほしいんだか


名城大での講演で富美子さんは「裁判所は判例に固執して殺害された被害者の数にこだわり、加害者の人権ばかりを重視してきた」と遺族としての思いを訴えた。

こういう講演が法科大学院で行われるというのも呆れ返るにもほどがありますね。世界の裁判所というか、刑事司法手続きで、「被害者の数にこだわらない」ところが古今東西あったためしはないと思いますが、この母親の講演を聴いた法科大学院生は、「そうか、刑事事件においては、被害者数にこだわるべきではないんだ」とか考えたんですかね。さすがにそういう人は少なく、たいていの人は不審に感じたと思いますが、どうなのか。いずれにせよこんな人に講演をさせるこの法科大学院が、一から十まで徹底的に何から何まですべて間違っているのです。こんな人を呼んで講演させるようなところだから、この法科大学院は閉鎖に追い込まれたのです。不徳のいたすところです。

それにしても


裁判所は判例に固執して

とか


加害者の人権ばかりを重視してきた

なんて、これも法科大学院でする内容の話じゃありませんね。こんな話をさせてこの法科大学院の教員他スタッフは、恥ずかしくないのか。もちろん報道する新聞も、記事を書いた記者もです。こういう話をどうしてもしたいのなら、犯罪被害者や犯罪被害者遺族・家族あるいはその協力者が主催する集会で話せばいいのです。常識のない犯罪被害者遺族であり、法科大学院であり、新聞であり、執筆する記者です。

というわけで私が何を言いたいかというと、やはり被害者数は、刑事責任を問ううえで重要なファクターだということです。当たり前です。うんなもん1人殺した人物と、複数人の殺人をした人物では、後者の方が厳しい刑になるのは当たり前。この犯罪被害者遺族は裁判所の話をしていますが、それは検察もご同様。被害者の数にこだわらない刑事司法手続きなんて、非常識過ぎてお話にもなりません。呆れた話です。そういう意味では、こんな講演をそのまま垂れ流す毎日新聞も同罪です。私はこの記事を読んだ後、毎日新聞とこの記事を書いた記者に厳重抗議をしようと思ったのですが、そんなことしたって無視されるか、犯罪被害者遺族の発言を紹介しただけであると逃げるだけだろうと思ったので、抗議はしませんでした。が、これは現在大変後悔しています。こういうデタラメな記事に対しては、やはり抗議をする必要があります。毎日新聞の対応は私が予想したものでしょうが、それでもです。

あ、それからこの法科大学院にも抗議する必要がありました。これまた反省するところです。社会に迷惑をかけるにも程があるというものです。


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