Amazon Primeで、松田優作の映画初主演作である『あばよダチ公』(1974年11月公開)が無料配信されていたので観てみました。私特に松田ファンだと自分のことを考えていないのですが、やっぱりファンなのかな。なおこの映画の無料配信は、すでに終了しています。
ストーリーは、刑務所から出所したばかりの松田が、いろいろな仲間(佐藤蛾次郎、河原崎建三、大門正明)とたまたま転がり込んだ女の子(当時東宝に所属していた加藤小夜子。映画は日活制作)と組んで、いかがわしい金儲けをしようとする映画です。
全くどうでもいい話ですが、松田は刑務所から出所したばかりという設定ですが、長髪です(苦笑)。これおかしくね?
そんな話はともかく。この映画は、実際の撮影が行われたのが、74年の夏かと思われます。監督の澤田幸弘氏は『太陽にほえろ!』、『大都会』、『探偵物語』などで松田と関係がありました。また前にご紹介した日活児童映画の『ともだち』(1974年)も監督していまして、この映画には松田もちょびっと顔を出しています。この『あばよダチ公』に『太陽にほえろ!』で刑事役として松田と共演した下川辰平が刑事役(苦笑)で出演していまして、下川氏は『ともだち』にも顔を出していました。これも全く余談ですが、下川氏は萩原健一主演の『青春の蹉跌』にも刑事役に出ていまして、これは観客サービスの意味合いがあるのでしょうね。
情報(松田優作の駆け出し時代出演作にして、原田美枝子のプレデビューの映画である日活児童映画が、DVD化されていた)(追記あり)この映画のスタッフや出演者らも、その多くは亡くなっていたり活動はしていません。松田、佐藤、下川、郷鍈治、初井言榮、悠木千帆(樹木希林)といった出演者はすでに亡くなっていますし、沢田監督、脚本の神波史男らもこの世の人ではありません。ヒロインの加藤も、山西道広(松田の盟友)、砂塚秀夫も芸能界を去っています。今年(2024年)で公開から半世紀ですから、それも当然の話。
ところで長きにわたって指名手配中だった桐島聡容疑者を名乗る人物(現段階確認できていないので「名乗る」としか書けません)が入院中の病院で亡くなったとのこと。記事を。
>
桐島聡容疑者と名乗る人物 死亡を確認 入院先の病院で
2024年1月29日 8時44分
1970年代に起きた連続企業爆破事件の1つに関わったとして指名手配された「東アジア反日武装戦線」のメンバー、桐島聡容疑者(70)と名乗る人物が、29日朝、入院先の神奈川県内の病院で死亡したことが捜査関係者への取材でわかりました。この人物は胃がんを患い、ことしに入ってから入院していて、警視庁がDNA鑑定などで確認を急いでいました。
昭和49年から翌年にかけて過激派の「東アジア反日武装戦線」が起こした連続企業爆破事件のうち、昭和50年4月に東京・銀座にあった「韓国産業経済研究所」のビルに爆弾を仕掛けて爆発させた事件に関わったとして、メンバーの桐島聡容疑者が爆発物取締罰則違反の疑いで全国に指名手配されていました。
1月25日、桐島容疑者を名乗る人物が神奈川県内の病院に入院しているという情報が警視庁に寄せられ、DNA鑑定などで確認を急いでいましたが、29日朝、死亡したことが捜査関係者への取材でわかりました。
この人物はこれまでに「最期は本名で迎えたい」などと話していたほか、事件当時の詳しい状況なども説明していたということです。
警視庁は、桐島容疑者本人の可能性が高いとみて、引き続き確認を進めるとともに、これまでに話した内容を精査することにしています。
桐島容疑者の直接の手配容疑は、1975年に発生した韓国産業経済研究所の爆破によるビル損壊容疑ですが、実際には74年12月に起きた鹿島建設爆破事件から仲間の逮捕直前(75年5月4日、仲間の逮捕は同月19日)に発生した間組京成江戸川橋工事現場爆破事件まで活動をしています。ほぼ同じ活動をした黒川芳正や宇賀神寿一がそれぞれ無期懲役、懲役18年の刑が確定していますので、たぶん桐島容疑者が逮捕されてもそれくらいの判決だったかと思われます。なお宇賀神氏は、7年間の逃亡ののち82年に逮捕、90年に懲役18年の刑が確定、2003年に釈放されています。黒川受刑者は、宮城刑務所に収監されているとのこと。
同時代に活動した新左翼政治活動家の大物としては、日本赤軍のトップだったかの重信房子女史は、2000年に逮捕、2010年に懲役20年が確定、一昨年22年に刑期満了で釈放されています。彼女は1945年生まれで、1954年1月9日生まれの桐島容疑者よりはだいぶお姉さんではあります。
つまりは、長きにわたって身柄を拘束されなかった人物が逮捕されて長期刑を宣告されて釈放された後に、ようやく彼は逮捕でなく自首のような形で自らお尋ね者であることを名乗ったわけで、当たり前ですが、半世紀という年月は長いですね。彼が追及された時の首相は三木武夫です。ほんとすごく長い時間がたったわけです。
1974年に公開された『あばよダチ公』を観ていますと、出演者の髪形といい服装といい街の風景といい、あるいは街における政治情宣活動(右翼団体らしき組織が錦糸町の駅前でアジ演説をしています)の様子といい、当然ながら「今とは全然違うな」です。
警察から公表されている桐島容疑者の写真は、1973年撮影とのことで、19歳のものですが、どうも現在はだいぶ容姿が変わっているらしい。長髪の笑顔の写真です。彼が自首みたいな形で名乗らなければ、たぶん官報に「行旅死亡人」として掲載されてお終いだった可能性が高い。警察も、彼の指紋などのデータがなかったので捜査も困難だったのでしょう。「49年間の逃亡生活」という記事の中でinti-solさんは、
>
それが事実であれば、逮捕されても死刑や無期懲役はなく、十数年程度の懲役刑だったことが予想されます。早々に逮捕されていれば、早々に刑期満了で釈放されていたかもしれません。
とお書きになっています。私の勝手な想像ですが、警察も逮捕がいちばんできる時期を逃したし、桐島容疑者も「自首しようかな」と考えた瞬間が全くないということもないのかもですが、彼も自首をするタイミングを逃したのかもしれませんね。わかりませんが。桐島容疑者にも、家族や政治活動以外の仲間や友人もいたわけですが、そして彼(女)らとの関係を断ち続けるのが桐島容疑者にとっても非常に心苦しいものであることは間違いないところでしょうが、いろいろな意味で、彼としては自ら出頭するということはできなかったのでしょう。
ところで桐島容疑者の親族は、彼(と思われる人物)の遺体引き取りを拒否しているとのことですね。記事を。動画も。
親族は遺体引き取りを拒否 桐島聡容疑者(70)とみられる男|TBS NEWS DIG
>
親族は遺体引き取りを拒否 桐島聡容疑者(70)とみられる男
TBSテレビ
2024年1月30日(火) 11:38
過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバー、桐島聡容疑者と名乗った男がきのう入院先の病院で死亡しましたが、桐島容疑者の親族が、男の遺体を引き取ることを拒否していることが新たにわかりました。
捜査関係者によりますと、桐島聡容疑者(70)とみられる男は末期の胃がんを患い、今月中旬、「内田洋」の名前で神奈川県鎌倉市内にある病院に入院していましたが、きのう死亡しました。
その後の捜査関係者への取材で、桐島容疑者の親族が男の遺体を引き取ることを拒否していることが新たにわかりました。
捜査関係者によりますと、桐島容疑者は過去に逮捕されたことが無く、警察のデータベースに指紋やDNA型が登録されていないということです。
警視庁は桐島容疑者の複数の親族からDNA型の提供を受け、男のDNA型との照合を慎重に進めていて、男が桐島容疑者と特定された場合、容疑者死亡のまま書類送検する方針です。
こちらも。
>
桐島聡容疑者の親族は心境複雑「ポスター見るたび嫌な思い」「偽名のままでよかったのに」
[2024年1月29日21時43分]
連続企業爆破事件を巡り指名手配されていた過激派桐島聡容疑者(70)を名乗る男が死亡した。身元は警視庁が確認中だが、男の勤務先だった工務店近くの人からは「事件の経緯を知る機会が失われてしまった」「逃亡生活をどう過ごしたのか」との声が聞かれた。親族は「(指名手配の)ポスターで顔を見るたびに嫌な思いをしてきた」と複雑な心境を明かした。
親族はこれまで、桐島容疑者との関係を周囲から問われることがたびたびあったという。「50年も逃げ続けたのなら偽名のままでよかったのに」と語気を強めた。
男が入院していた神奈川県鎌倉市の病院前は29日、多くの報道陣が集まるなど騒然とした雰囲気に。1974年に「東アジア反日武装戦線」が起こした三菱重工ビル爆破事件で知人がけがをしたという病院近くに住む無職の男性(73)は「事件当時は目的は何だったのだろうと思った。最後は正直に話したかったのか。見つかってからあっという間だなと思った」。
男が数十年にわたって住み込みで勤務していた神奈川県藤沢市の工務店は同日午前、軽トラックなどが止まったまま静まり返っていた。近くに住む60代の女性は「亡くなったと聞き驚いた。どういった心境の変化で最後に本名を名乗ろうと思ったのか知りたかった」と話した。
入院直前、体調を崩し路上でうずくまっていた男の救助に携わった近所の60代男性は「悪いことをしたのかもしれないが、被害者ではない自分が恨む気持ちはない。想像を絶する生活だったんだろう」と逃亡生活に思いをはせる一方、「もっと早く名乗り出て裁判を受け、罪を償うべきだった」と語った。
桐島容疑者の高校時代を知る広島県の70代男性は「おとなしくまじめそうな印象。亡くなる前に名乗り出たのだとすれば、事件や逃亡生活へのざんげの気持ちがあったのでは」と推察した。(共同)
動画からのスクリーンショットが下の写真です。2012年9月の撮影とのこと。
1974年の写真に似てはいますが、いくら日本中に手配書がはられているとはいえ、やっぱりわかりませんよね、とても。下は、NHKの記事より。
ついでなので記事も引用しておきます。
>
桐島聡容疑者を名乗る人物 「一人でいた」「後悔している」
2024年1月30日 18時50分
1970年代に起きた連続企業爆破事件の1つに関わったとして指名手配された「東アジア反日武装戦線」のメンバー、桐島聡容疑者(70)を名乗り、29日入院先の病院で死亡した人物が、警視庁の聞き取りに対し、誰からも支援を受けることなく「一人でいた」と話していたことが、捜査関係者への取材で分かりました。
警視庁は、DNA鑑定などで確認を急ぐとともに、詳しい生活の実態を調べています。
過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバーで、1970年代に起きた連続企業爆破事件の1つに関わったとして、爆発物取締罰則違反の疑いで全国に指名手配されていた桐島聡容疑者(70)を名乗る人物が、今月25日、神奈川県内の病院に入院していることが分かり、警視庁がDNA鑑定などで確認を進めていましたが、29日死亡しました。
この人物は、「内田洋」という名前でおよそ40年前から生活していたとみられていますが、警視庁の捜査員の聞き取りに対し、誰からも支援を受けることなく「一人でいた」と話していたことが、捜査関係者への取材で分かりました。
携帯電話や本人証明書なども所持していなかったということです。
また、一連の事件についての認識を聞いたところ、「後悔している」と答えたということです。
海外への渡航歴も確認されていないということで、警視庁は、DNA鑑定などで確認を急ぐとともに、この人物が本人だった場合、実際に支援者がいなかったかどうかなど、詳しい生活の実態を調べています。
25年前から通っていたというバーの店長は
桐島聡容疑者を名乗り、29日に入院先の病院で死亡した人物は、神奈川県藤沢市で生活していたとみられていて、この人物が通っていたバーの50代の男性店長によりますと、「内田洋」と名乗る人物が、25年前からこの店に通っていたということです。
店では、自分が働いている土木関係の会社の名前を出したうえで、「その前には横浜の港湾で働いていた」とか「実家は岡山だが家族とはつながりがない」などと自分について語ることもあったといいます。
店長とは一緒に近くの銭湯に通ったり、誕生日にプレゼントをもらったりするなど交流があったといい、店では周りから「うーやん」と呼ばれていたということです。
また、20年ほど前には、「居酒屋で知り合った20歳くらい年下の女性と結婚したい」と周囲に打ち明けたこともあったといいます。
最後にこの店に来たのは1年ほど前だったということで、店長は「『うーやん』と桐島容疑者は自分の中では別人。まさかあのような事件を起こすような人物とは思っていなかった」としたうえで、「最期に本名を名乗るなんて、ずるい人だと思った。やはり一連の事件の遺族に対しては謝罪してほしかった」と話していました。
ご当人「後悔している」とのことですが、それはそうでしょうね。彼はほぼ完ぺきな逃亡をしたわけですが、それは当然様々ことを捨てることと表裏一体なものでした。それは、親族との関係もそうでしょう。親族もそうとう迷惑を受けたようですからね。なかなか遺体が引き取られるということにはならないでしょうね。無縁仏として、どこかに埋葬されるのでしょう。死の直前に自分の正体を告白したのは、桐島容疑者の人生最後の迷惑がけでありわがままだったのでしょう。彼だって、黙っているほうが自分の周囲に迷惑にならないくらいの判断はついたはず。
桐島容疑者のご冥福を祈ってこの記事を終えます。なお松田優作の映画は、のちのようなハードアクションを想像するとかなり戸惑います。おもしろいけどね。