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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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貧困と自殺に取り組む僧侶たち

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ルポ 仏教、貧困・自殺に挑む

個人的な意見を申し上げますと、正直キリスト教などの人たちとくらべて仏教関係の方々は、日本における貧困問題や自殺問題などへの取り組みがものすごく不十分ではないかと考えてきました。で、この本は朝日新聞で宗教問題などを取材してきた記者によるルポです。前半が貧困問題、後半が自殺問題の内容です。

この本のではさまざまな僧侶が紹介されています。たとえば過去は問わずに宿泊場所と食事を提供する会社経営者でもある僧侶、自らが所属する宗派から去り、形式的には僧侶ではなくなったにもかかわらず貧しい路上生活者らに住居などを提供しようとする(元)尼僧、自殺をしようとする人への電話相談のために(事実上)24時間電話を受け続ける僧侶など、いやあ、すごいなと思います。もちろんここに紹介されている僧侶は、このような活動をしている人たちの中のごく一部ですが、しかしこのような問題に積極的に動いている僧侶もまた氷山の一角でしょう。

時代がいろいろ変わり、貧困問題や自殺問題など社会のさまざまな矛盾に宗教関係者ばかりでなく活動家が動く時代になってきたし、行政もそれなりの対応ができる時代になったわけですが、残念ながらこういった社会問題に対してあまりに仏教界の動きが鈍い。遺憾ながら大多数の仏教関係者たちは、そういった活動になんの関心もないのかもしれません。しかし自分でもなにかをしたいと心の中で強く思っている人たちも決して少なくはないはずです。別に坊さんに限らず、この本を読めば、ある程度自分の動ける範囲で協力できることもあるんじゃないかという気になります。この本に出てくる人たちほどの行動や活動はなかなかできるものではないし、それは無理な相談でしょうが、しかしできることもあるはずという希望を感じます。

それにしても私が思うのは、この本に登場してくる僧侶たちをみると、その多くが寺の子に生まれ親の寺を継いだ…という典型的な(?)僧侶としての道を進んだ人たちではないということです。むしろ、思うところがあって僧侶になった、あるいは子どもの頃ひどい苦労をしたうえでこの道に来た、という人のほうがめだちます。

こういった活動をしている人たちの中での世襲の僧侶の割合とかというのは定義の問題もあるし、統計学的な解明・処理は困難でしょうが、しかしたぶん親から自然に家の寺を継いだ…という人はなかなかこのような行動をするのが(寺の仕事の問題もあって)難しいのかもしれません。大阪のある僧侶は、たとえば寺にシャワールームを作って貧しい人たちに提供しています。実はこの僧侶も京都大学の助手をつとめていて、たまたま義理の親の死によって寺を任されたという経歴の人です。けっきょくさまざまなことに対応して動ける人たちは、寺というか仏教の価値観からあるていど自由な人たちなのかもしれません。

そういう意味で言うと、神道関係の人たちは、日本の貧困問題や自殺問題にどれくらいコミットしているのかなという疑問が生じます。詳しいことは知りませんが、たぶん仏教関係者以上に動いていないでしょう。それはなぜなのか、どうすればいいのかということを神道の人たちも考えてほしいなと思います。

最後に、この本の中で印象に残った記述を紹介します。

>日本では最近、砕いた遺骨を樹木の下に埋めたり、海にまいたりといった自然葬を希望する人が増えてきた。しかし、川浪さんに言わせれば、お墓にこだわらないというのは、自分を覚えていてくれる家族のある人や、仕事など何らかのかたちで自分の痕跡を残すことができる人たちの発想だ。(p.60)


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