先月の報道を。ご紹介するのが遅くなって申し訳ありませんが、これもいろいろな点で興味深いと思うので。今年4月11日付の記事です。
和田春樹と「日朝国交交渉30年検証会議」が緊急提言 いまこそ日朝国交樹立を 倉重篤郎のニュース最前線導入部を引用します。
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北側報告書に基づき拉致被害者の生死詳細検証を/拉致被害死者には賠償請求を
正常化は、オバマの米・キューバ国交樹立に倣え/めぐみさんの骨壺に歯が入っていたという新証言
安倍1強の呪縛があちこちで解(ほど)け始めた。
裏金事件の発覚、東京地検特捜部の捜査に端を発した安倍派解体の動きがその一つだ。手ぬるいとの批判はあるものの、検事総長人事にまで介入していた驕(おご)りが一転、100人近い最大派閥が恣(ほしいまま)にしていた権勢は今は昔となった。二つに日銀によるマイナス金利の解除である。アベノミクスの中軸的政策であった異次元金融緩和も11年にしてようやくピリオドが打たれた。今後はその負の側面がクローズアップされるだろう。故安倍晋三元首相が2012年の第2次政権でスタートし、築き上げてきた政策体系、統治システムの見直しが静かに進みつつある。
上で、
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正常化は、オバマの米・キューバ国交樹立に倣え
というのが非常にうれしいですね。私もこの件は、ずっと語っていることだからです。下の記事は、2016年発表です。
米国のキューバへの対応から、日本の北朝鮮への対応を考えてみるそれで、このような意見は、日本では徹底的に無視されたといって過言でありません。私程度の人間がすぐ思いつく程度のことなのですから、日本中で同じことを考えた人は大勢いるはず。しかしそういったことが語られることは、私の知る限り実になかったですね。それこそ私のようなネットで自主的な言論活動をしている人物を除けば、それこそ和田氏のような人物が書籍などで触れていたくらいではないかと思います。が、ついに、このような意見が、毎日新聞というメジャーメディアの系統である雑誌に、毎日新聞の元論説委員長のような人物が和田氏に話を聞くという形で述べられたわけです。これまたずいぶん画期的です。
で、こういう事態になった理由というのはいろいろあるかと思いますが、私がここで指摘したいのが2つです。まず1つは、やはり時間の経過でしょう。
2002年に小泉訪朝があり拉致被害者が帰国したわけで、それから22年もの歳月が流れています。この年に生まれた人たちが、来年3月に大学を卒業すれば、続々と新聞社・通信社・テレビ局ほかの大手マスコミに入社します。彼らは当然02年のころの騒然とした雰囲気を知らない。もちろん現実問題としては、あの時の騒然とした雰囲気を知っているのは、当時の年齢で言えば、6歳から7歳、あるいは10歳くらいまでの年齢の人たちでしょう。ということは、その人たちも現在28歳から32歳くらいで、もっとも若い世代が30歳前後のわけです。そういった年齢以下の人たちが記者なりなんなりをしていれば、当然拉致被害者、家族会、巣食う会などへの遠慮も少なくなってきているでしょう。そしてこういったことは当然進みはしても後退することは、一時的にはあっても長いスパンでは考えにくいので、これからどんどん進みます。
で、もう1つ。これも万人が認めることでしょうし、上の記事でもそういうことが語られているように、けっきょくは安倍晋三の死(安倍晋三銃撃事件)でしょうね。現在第三次安倍政権が成立しているとまではいわずとも、安倍が存命であればたとえば和田氏に話を聞いてる倉重氏(下のような経歴です。
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1953年、東京都生まれ。78年東京大教育学部卒、毎日新聞入社、水戸、青森支局、整理、政治、経済部を経て、2004年政治部長、11年論説委員長、13年専門編集委員
つまりは政治や論説における毎日新聞の元最高幹部)が、自社系列のサイトに登場してこのようなインタビューをできるか。できません。断言します。私はかつて、安倍晋三の首相復活なんてありえないと断言して外したので、それ以来あんまり「断言」なんて言葉は使わないようにしていますが、この件に関しては断言しても大丈夫でしょう。つまりは、下の記事でも同類でしょう。
日本の社会は、安倍晋三が殺されるまで統一協会と本気で向かい合おうとしなかった(ジャニーズの問題などもご同様) 安倍晋三があのような死を遂げていなければ、たぶん「日本保守党」などという政党は結成されなかったのではないか 安倍晋三が殺されなければ、はたして最高裁も地裁と高裁で統一協会が勝訴した事件の上告案件で弁論なんか開くかどうか安倍が殺されなければ、統一協会への解散請求とか、日本保守党の結成とか、最高裁判所が地裁と高裁で統一協会勝訴の判決を下したような訴訟で弁論を開くなんてことは、これは全くありえなかったでしょうね。安倍が生きているのに、誰がそんなことをするかです。する(できる)人間なんかいるわけがない。また、安倍の死が、病死とかでなく殺されるという事態になったから、このようなことになったわけです。さすがに統一協会がらみで安倍が殺害されて、それでもなおかつ統一協会を優遇するというわけにもいかんでしょう。よりスケールは小さいですが、メリー喜多川とジャニー喜多川の両巨頭の死なくしてジャニーズ問題にマスコミが動けなかったのも同じこと。
だいたい安倍自身、安倍が2006年に首相(自民党総裁)になれたのも、つまりは拉致問題のおかげでしょう。その後首相になることはあり得ても、2006年の首相就任は明らかに拉致問題での安倍がいろいろと評価されたからです。実際には安倍は、02年の小泉訪朝では、蚊帳の外だったと思われるし(小泉氏が安倍へ事前に下手に詳細を話すと、問題が生じると考えたのではないかと思います)、安倍が拉致被害者帰国のために動いた実績なんて実際には大したことはないわけです。事実02年の件はとりあえず置いておくとしても、その後20年、安倍は半分弱の間首相でしたが、拉致問題では何ら実績を出せませんでした。
が、拉致被害者家族会やその周囲の連中は、「そこまで高評価するか」と呆れるくらい安倍を支持・評価しましたからね。いや、それで安倍が、なんかそれ相応の実績を上げられれば別にいいですよ。私は安倍なんぞを一切評価しませんが、しかし拉致問題で何らかの実績を上げれば、他はともかくそれは評価するのもやぶさかでありません。が、それもなかったわけです。
私は上で、拉致問題への論調変化の理由として
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時間の経過
と指摘しましたが、要は安倍の存在を拉致に関するだけでなく日本政府の北朝鮮への対応を正当化する道具にしていたわけです。そういったことが長期間続いたこともけっきょくは安倍政権が長く続いたこととつながっていたわけであり、そういったことも安倍の死の前にある程度は崩れていたかと思いますが、安倍の死によって崩壊したということとです。
もちろん私も、今後の推移をそんなに楽観視するつもりもありませんが、しかしかつては大手マスコミがこのようなことを主張することはなかったわけで、これは相当な進歩ではないかと思います。
で、けっきょくこういうことも、私が常に主張していることと同じですね。あらためて下の記事をリンクします。
米国のキューバへの対応から、日本の北朝鮮への対応を考えてみる上の記事で指摘したように、
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よく反北朝鮮を訴える組織、あるいは個人が、北朝鮮へ経済制裁ほかの圧力をかけることにより(屈服させることで)、北朝鮮から譲歩を勝ち取り、拉致被害者帰国を実現したしこれからも実現することを可能とする、みたいな主張をしています。しかし私は、そのような主張を立証する第三者の発言その他を読んだり見たりした記憶がないですね。
私はいままで、拉致問題に関してさまざまな本を読みましたし、新聞、雑誌、ネットなどのさまざまな記事を読みました。また拉致について特集したテレビ番組などもたくさん見ています。それで、それらの中で、上に書いたように、圧力によって北朝鮮側の譲歩を勝ち取れたということを具体的な証拠をもって説明した記述や報道は、私は知らないですね。巣食う会や家族会、その関係者や支持者(櫻井よしことか)がそのような主張をしているのは数限りなく読んだり見たりしていますが、その主張を立証するものは知りません。
ということでしょう。そしてその続きで私は、
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もちろん私の記憶から抜け落ちているということはありえるし、知らないところにはそのようなことを書いてある本や証言している人のインタビューを収録した番組などもあるのかもですから、ご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひコメント欄などでご教示いただけませんかね。よろしくお願いします。
と書いています。それでこの記事を発表してから8年以上もの歳月がたちましたが、やっぱり予想通りそんなものが教示されることなどは(現段階)ないわけです。私が無名だから教えてくれる人がいないんだとか、そんなことでもないでしょう。つまりは全くの実体のないフィクションが、やたら声高に世間を席巻していただけです。そう考えると、私がつねづね批判している
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拉致被害者達を帰国させず、双方の国に事件究明の為と称する連絡事務所の設置や調査委員会の立ち上げと言う「聞こえの良い隠蔽工作」には絶対反対する立場を私達は貫きます。
とかきわめて居丈高なことを語っている横田拓也氏なども、自分たちの意見を変更したらどうか。けっきょくそういう態度が、横田氏の父親である横田滋氏や飯塚繁雄氏らへいろいろな負担をかけたんじゃないんですかね。滋氏は、ついにお孫さんらと1回しか会えなかったわけです。それらはもちろんご当人らが最終的に選んだ道ですが、家族や家族会・巣食う会らの執拗な働きかけがあったのも事実でしょう。
けっきょく反北朝鮮の道具として使い倒されただけじゃないか(横田滋氏の死) けっきょくのところ「巣食う会」にものを言えない人だった(拉致被害者家族会前代表飯塚繁雄氏の死によせて)だいたい私が批判する横田氏の意見だって、「連絡事務所」なんて当然でしょうに。連絡事務所なくしてどうしてまともな折衝・交渉ができるというのか。できるわけない。日本と国交回復前の中華人民共和国、米国とキューバ、あるいは旧ソ連とイスラエルだって連絡事務所とか第三国の大使館での交渉をしていました。下の記事でもその関係の記事を引用しましたし、またWikipedia「利益代表国」も乞うご参照。さらに同じくWikipediaの「日本が承認していない国一覧」の、北朝鮮に関する「交渉関係と代表機関に関して」もいろいろ勉強になります。いずれにせよ連絡事務所の設置などは、横田氏の主張するような
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聞こえの良い隠蔽工作
ではありません。こういうのは、最終的には考え方の違いでしょうが、そういう話に日本政府ほかが過度に忖度する必要はない。これらは、私が考える犯罪被害者やその家族・遺族らに対する過剰な対応・配慮のたぐいと同じではないか。
まあつまりは、与党(自民党・公明党)の政治家も、(まともな人は)対北朝鮮対応に限界を感じているのだろう話が飛びましたが、いずれにせよ「北朝鮮とは、連絡事務所設置も絶対不可」なんて言う話は、徐々にではあっても通用しなくなるでしょうね。現在の自民党政権で、「私が設置する」なんていう人物が出るのかは不明ですが、ただ次の自民党総裁(≒首相?)の有力候補ではあるであろう石破茂は、かつて連絡事務所設置を訴えていたことはあります。
だいぶ散漫な記事になりましたが、そうこう考えると和田春樹氏には本当に尊敬以外の言葉が見つかりませんね。和田氏も、北朝鮮問題や拉致問題に関しては、本当に決定的に嫌な思いをしたこと複数でしょうが、それでもこのような記事が掲載されるまでになったということです。こういっちゃなんですが、悪質な政治活動家のデタラメなデマを真に受けて本を書いたはいいが、それが片端から外れたら即刻北朝鮮言論から逃亡・撤退した関川夏央のデタラメさなど、和田氏とのあまりに雲泥の差に絶句します。岩波書店も、よくまあこんな野郎の本なんぞ複数出版しているものです。ほかにも恵谷治や李英和、高世仁といった人たちみたいな北朝鮮滅亡するする詐欺師など、ほんと和田氏と比べれば下の下の下の下の下です。この連中は、北朝鮮が滅亡する前に死んだり会社をこかしたり運営していた人権団体が活動停止になり極右雑誌に寄稿したくらいです。お話にもなりません。李氏にいたっては、かつて
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私が急にテレビに出なくなったので、全国に散らばっている教え子たちが心配して“死んでないですか”という生存確認の電話が来るようになりました
とまで書いていて、本当に死んだら新聞もテレビも、ろくに報道すらされませんでした(苦笑)。笑っちゃ悪いかもですが、ご当人こんなことを書いていた時期はそれなりに自分の運動や活動に自負があったのでしょうが、彼は死ぬ前にあまり彼の死を報道してほしくないという意向があったみたいですが、李氏の真意も単純ではないでしょうが、自分の運動がとてもよろしくなかった、まずかった、日本右翼のいい食い物になって利用され倒されたという悔恨みたいなものがあったのではないでしょうか。自分の運動は正しかったと居直れるほどの狂信者では彼はたぶんない。
北朝鮮が崩壊する前に亡くなったという話(恵谷治氏)(追記あり) 李英和氏の死があまり報じられないことが、対北朝鮮や拉致問題への関心の実情ではないか 北朝鮮が崩壊する前に自分の会社を倒産させた無様で無残な話それはそうと、和田氏はもともとロシア(ソ連)の研究家だったわけであり、北朝鮮関係について本格的に著書などを発表し始めたのは1990年代になってからです。それ以前から、韓国の民主運動にいろいろかかわってきてはいましたし、また旧ソ連に北朝鮮関係の史料がいろいろあったわけであってロシア史の専門家の和田氏には有利だったわけではありますが、こんなすごい人ほかにいますかね? 不世出の歴史家ではないか。bogus-simotukareさんのお言葉を借りれば、
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「すごい人はすごい」ですね。才能といい努力といい、凡人にはとてもまねできません。
ということになろうかと思います。
それに対して恵谷氏や高世、李氏(彼は朝鮮籍の在日コリアンですが(いや、のちに韓国籍になったの?)、まあ最後はそんなことを自称できるような状況ですらなかったと思います)らを見ていると、ほんと日本人だったり日本に住んでいることが不快になるくらいの不始末ぶりですが、和田氏のようなお方を見ると、やはりそう悪いばかりでもないと思います。これからも和田氏の著書ほかを通していろいろ勉強していきたいと思います。またこれらの件について、bogus-simotukareさんがいろいろ拙記事のご紹介を書いてくださっています。ありがとうございます。
朝日新聞に「制裁解除論(礒崎教授コメント)」が掲載されたことを喜ぶ&小泉第二次訪朝(2004年5月22日)は第一次訪朝(2002年9月17日)に比べ知られてないと思う(2023年5月24日分)(追記あり)