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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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この本を読んでみたい(『満州事変、ある日本人兵士の日記 1932年9月~1933年5月』)(「満洲国」についてもいろいろ勉強したい)(8月15日午前0時23分ごろ発表)

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この記事の日付は8月28日ですが、本日は8月15日ですので、戦争関係の記事を書きます。

先日こちらの本の出版を知りました。私としては、この本をぜひ読んでみたいと思います。

満州事変、ある日本人兵士の日記──1932年9月~1933年5月

紹介には、


柳条湖事件の1年後、「満州国」を日本が承認した直後に同地に派遣された兵士の日記を復刻、専門家の編・解説で刊行する。従来ほぼ論じられてこなかった中国東北軍民の抵抗と、その討伐の様子が明らかに。十五年戦争の始点たる「事変」の侵略性が鮮明になり当時の日本人の意識も考えさせる。今の世界に共振する貴重な記録!

とあります。さらに日記の書き手と編者についての紹介は、


森下=1910年、北海道生まれ。1931年、陸軍旭川第七師団に入営、翌年、満州に出征し各地を転戦、1933年4月に負傷し除隊。2001年死去。 笠原=1944年、群馬県生まれ。都留文科大学名誉教授。東京教育大学文学部卒業、東京教育大学大学院修士課程中退。学術博士(東京大学)。主な著書に『南京事件』『南京難民区の百日』『日本軍の治安戦』(いずれも岩波書店)、『通州事件――憎しみの連鎖を絶つ』『体験者27 人が語る南京事件』『日中戦争全史(上・下)』(ともに高文研)、『日中全面戦争と海軍―─パナイ号事件の真相』(青木書店)、『増補 南京事件論争史 日本人は史実をどう認識してきたか』『海軍の日中戦争─―アジア太平洋戦争への自滅のシナリオ』(ともに平凡社)など。主な共編著書に『中国戦線、ある日本人兵士の日記――1937年8月~1939年8月 侵略と加害の日常』(新日本出版社)、『現代歴史学と南京事件』(柏書房)、『戦争を知らない国民のための日中歴史認識 『日中歴史共同研究<近現代史>』を読む』(勉誠出版)など。

です。森下氏は、今年で生まれてから114年目、笠原十九司氏も、今年80歳であり、だいたい森下氏が笠原氏の親くらいの年齢というところでしょうか。本の目次を、出版元(日本共産党系の出版社です)のHPから引用しますと、


<目次>

  
父の日記について  長谷部悦子
  
まえがき──満州事変、「森下明有日記」について 笠原十九司
  
凡例
  
第1章 満州事変への出征
 日記(1932年9月18日〜10月2日)
 解説
  
第2章 反満抗日闘争に立ち上がった現地軍
  1  「満州国」建国と日満議定書調印
  2  反満抗日闘争に立ち上がった現地軍
  3  満州へ増派された旭川歩兵第27連隊
  
第3章 東辺道討伐作戦
 日記(1932年10月3日〜11月26日)
 解説
  
第4章 ホロンバイル作戦(大興安嶺作戦)
 日記(1932年11月27日〜12月26日)
 解説
  
第5章 吉林省東境作戦
 日記(1932年12月27日〜1933年2月15日)
 解説
  
第6章 熱河・長城・関内作戦
 日記(1933年2月16日〜4月12日)
 解説
  
第7章 野戦病院生活と塘沽停戦協定
 日記(1933年4月13日〜5月31日)
 解説
  
あとがき

となります。で、私が思うに、やはりこの日記が表に出て本が出版されるに至った背景には、森下氏が2001年に亡くなって今年で四半世紀弱経っているということが背景にあろうかと思います。先日発表したこちらの記事と共通するものがあるはず。

オーラル・ヒストリーの重要性と「やっぱり時間が経たないと証言がでてこないな」ということを痛感する

いろいろ関係者に差しさわりがあることも、さすがに現在から90年以上前のことですと、だいぶそういった問題も緩和されます。

で、満洲事変が起きたのが1931年9月18日であり、翌年2月までに日本軍はほぼ満洲を占領、満洲国の建国が宣言されたのが同じ年の3月1日です。「満洲国」のWikipediaから引用すれば、

一般に日本傀儡国家と見做されている

というわけです。岸信介は、これも彼のWikipediaから引用すれば、

1936年(昭和11年)10月満洲国国務院実業部総務司長に就任して渡満。1937年(昭和12年)7月には産業部次長、1939年(昭和14年)3月には総務庁次長に就任。この間に計画経済・統制経済を大胆に取り入れた満洲「産業開発5ヶ年計画」を実施。大蔵省出身で、満洲国財政部次長や国務院総務長官を歴任し経済財政政策を統轄した星野直樹らとともに、満洲経営に辣腕を振るう。同時に、関東軍参謀長であった東條英機や、日産コンツェルンの総帥鮎川義介、里見機関の里見甫の他、椎名悦三郎大平正芳伊東正義十河信二らの知己を得て、軍・財・官界に跨る広範な人脈を築き、満洲国の5人の大物「弐キ参スケ」の1人に数えられた。また、山口県出身の同郷人、鮎川義介・松岡洋右と共に「満洲三角同盟」とも呼ばれた。

というわけであり(注釈の番号は削除)、満洲の時代なくしては、岸信介という政治家は存在しえなかったでしょう。そうであれば安倍晋三も、満洲時代の岸が存在しなければ、たぶんあのような政治家にはならなかったはず。そしてあのような死を迎えることもなかったでしょう。そういうことをいえば、愛新覚羅溥儀も、「満洲国皇帝」などにならなければ、また違った人生があったはず。

そう考えると、当然ロシアによる「ロシアによるウクライナ4州の併合宣言」「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」の独立宣言とロシアへの併合の問題などもつながります。満洲国の問題というのは、あらためて日本人も考えてみることが必要なのでしょう。私も満洲事変や満洲国については通り一遍の知識しかないので、このあたりはいろいろ勉強していきたいと思います。読者の皆さまに置かれましては、inti-solさんのこちらの記事をぜひお読みいただければと思います。

虚構の満州国 inti-sol/RYOのホームページ転載

なお普段の私は、「満州」という表記をすることが多いのですが、この記事では「満洲」と表記します。


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