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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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ビョルン・アンドレセンについての2003年の記事(2)

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彼はガールフレンドをいっしょに1年コペンハーゲンへ引っ越した、そして無名の存在でいようと試みた。しかしタジオとしての彼の役割は、付きまとい続けた。「あらゆることで最悪のことは」と彼はいう。「希望や夢や、実際の自分がどんなものなのかということに、誰も関心をもってくれないってことですね」彼は、単に美少年であることを期待された。そしてそれがすべてだった。

「友人の家のパーティで、リストピアノ協奏曲第1番 変ホ長調 を初めて弾いたときのことを覚えています。有名なスウェーデン人の作曲家であるカルル-エリク・ヴェリンの家です」と、彼は回想する。「演奏が終わったら聴いている人たちは拍手してくれました。それは大したことじゃありません。ところがスーツを着た若い女性がやってきて言うんです。「ああ、あなたって、ほんとになんかすることができるのね!」

美少年として永遠であることは、ありがたいことではない。罵り言葉のようなものだ。「ぼくは檻の中の珍しい動物のような気分です」という。おまけに、まだ人生これからの時にそのような経験をしてしまったので、その後何年にもわたって彼の経験はゆがめられた。「今ですらですねえ、女の子と遊ぶことなんかできませんよ。ただ指を鳴らすだけで、有名人であるというチャンスを逃すというあまたの教えがあるんですから」

それでは、有名なフェミニストによって欲望の対象として自らをふさわしいと思うのは変であろうか? そのような対象化に精密に対抗するフェミニズムの本来の反抗の一部だったのだろうか?

「皮肉な話ですが、確かにそうですね」アンドレセンは認めた。彼は大人になってから、あらかた自分が無名の存在であり、群衆の中の単なる一人であるようにと過ごしてきた。見た目を変えようとしているのだろうか?

「見た目だけじゃありません、ぼくの個性全体です」感情をこめていう。現在48歳である彼は、けっきょく15歳の時の自分と多少なりとも似たようなことを我慢している。「思いやりのある年長の女性の中には、今でもぼくだと分かる人もいます。でもなんとか無名でいようと一生懸命なんです」

今日、彼は自分は仕事に埋もれていると述べる。しかし彼がキーボードを弾いているバンドであり、メンバーは違うが60年代から活動している「スヴェン・エリクス」に生きがいを見出しているともいう。80年代初期、ガールフレンドが妊娠した後、アンドレセンは最終的に演劇学校に学んだ。ストックホルムで小さな劇場を運営する仕事に就き、演出から照明、皿洗いにいたるまえなんでもこなした。人生の中でたぶんもっとも充実した時期だったという。「映画の仕事を断れるのがどんなにいいものか、ということです」

その時から、アンドレセンは、子どもの1人の幼児期における死と避け難かったという離婚を耐え抜いた。最近彼は、俳優活動を再開すらしている。厳密には舞台でのことだ(テネシー・ウィリアムズの劇だ)。彼にとってはほとんど驚きだが、演じることを自分が好きであることに気付いた。なぜならそれは、自分の選択であると感じるからだ。「ほかの人とまったく同じように、最近は頑張らなくちゃいけないんです。それはほんとのところすごくいい気分です」

時々いまだ彼は、ポスターやチラシでタジオとしての自分の写真を見る。かつては彼が気に障る原因となったものだが、しかしそれだけだ。「ぼくのキャリアは、最初にすごい頂点に立ってそれから下がり続けるというめったにないものです」彼はいう。「それはさびしいものです」

しかしグリアーの「The Boy」に関しては、その出版はいまだ心を苦しめる。「彼女も出版社も、ぼくに前もって問い合わせることができたじゃないですか」と彼は述べる。

それはそうだ。しかしもし問い合わせがあったら、彼は許可しただろうか?

「もちろんしませんよ。死ぬまでするわけないじゃないですか」 

(了)

ちょっと注釈:前の記事で日本で「ベニスに死す」は

>映画が大ヒットしていたのだ。

とありますが、実際にはそんなにヒットしなかったはずです。話題先行で、アンドレセンは評判になりましたが、映画自体は文芸作品を原作とする芸術映画ですから、なかなかヒットするようなものではない。事実その後のヴィスコンティ作品である「ルードヴィヒ」「家族の肖像」「イノセント」は、どれも日本公開まで数年を待たなければなりませんでした。

また

>アンドレセンは、子どもの1人の幼児期における死と避け難かったという離婚を耐え抜いた。

とありますが、奥さんとは復縁したとのこと。お子さんは息子と娘だそうで、亡くなったのは息子さんですから、写真に写っているのは娘さんです。このあたりは、日本語版Wikipediaにものっていますので、よろしければ確認してください。

それから、前の記事IMDbからの引用として紹介した発言

>ぼくは16歳で、ヴィスコンティと撮影スタッフが、ぼくをゲイのナイトクラブへ連れて行ったんです。まわりはほとんどみんなゲイでしたね。クラブのウェイターたちを見ていて、ぼくはすっかり気持悪くなってしまいました。彼らったら、ぼくをあたかもごちそうみたいな視線で徹底的に見つめるんです。なんの反応もできませんよね。社会のなかで自ら命を絶つようなものでした。でもそれが、さんざんそんな目にあう最初だったんです

は、この時の記事のものだったのですね。それは、こちらにも書いてありました。また最後の「頂点に立って・・・」という発言も、IMDbに引用されています。

なおこちらのサイトは、アンドレセンについてとても充実しているサイトですので、彼に興味をお持ちになった方は、ご一読されることをおすすめします。また前にも紹介しましたが、こちらの本もすばらしい本です。

ヴィスコンティのスター群像

ギターを弾いていたり、仲間と歌っている写真など、珍しい写真が収録されています。また家族写真は、こちらのサイトからいただきました。英語版Wikipediaによると、上の記事にある「スヴェン・エリクス」での活動はすでにアンドレセンはしていないとのこと。スウェーデン語版Wikipediaに、このバンドの項目がありましたが、メンバーには彼の名前は記載されていません。

なお、一番上の女性との写真は、彼が付き合っていた女性なのかは不明です。また途中の上半身裸の写真は、1977年の映画「Bluff Stop」からのものとのこと。

最後にアンドレセンの21世紀になってからのお写真を。最初の写真が2003年、黒い服の写真が2005年だそうです。最後の写真は、ポーズその他にかつての雰囲気を感じました。


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