過日、坂本九についての記事をwikipediaで読んでいまして、そのつながりで(JAL123便犠牲者つながり)で、北原遥子という人の記事を読みました。彼女は、宝塚歌劇団出身の女優です。坂本九と同じ日航機に搭乗していて、不慮の死を遂げました。
彼女の名前とかは私は知っていましたが、wikipediaの記事を読んだのはそのときが初めてだったかもしれません。彼女がどんなお顔をしていたかというと、下のような風貌です。
すごい美人ですね。ここまでの美女はそんなにいないと思います。1961年生まれの彼女は、1979年に宝塚入団、宝塚を去った翌年に24歳の若さでこの世を去りました。
宝塚に挑戦する前は、彼女はちょっと名の知れた体操選手でした。高校の神奈川県大会で優勝したとかいう成績でしたから、オリンピックとまではいわずとも、全日本選手権で活躍するくらいなら全く現実的でない目標ではなかったかもしれません。日本はモスクワ大会をボイコットしましたから、どっちみち彼女はオリンピックにはいけなかったでしょうが。また、時代はチャスラフスカ(前記事を書きました)のような女性らしい肉体の選手より、コマネチのような骨と皮のような選手が主流の時代になり、小学校6年生当時身長158cm、体重48Kgという彼女は、体操選手としての自分の将来にやや限界を感じていたのでしょう。
で、その記事を読んでいて「おや」と思う記述がありました。宝塚の女役として将来を嘱望されていた1983年の話です。
>しかし、あるテレビドラマのカメラテストを受けるよう依頼されて出かけた先で、本番の撮影の被写体になることを頼まれ、顔を映さない条件で応じたもののその約束は守られず、結果的に出演と言うことになってしまった。劇団を通して事前の出演依頼がなかったことで歌劇団の規定に明らかに違反する事態であり、歌劇団とTV側の意見の食い違いの責任を北原が取らされる形で退団が決定(事実上の懲戒免職である)。病気と言う名目で(同年の『風と共に去りぬ』)謹慎休演後の退団で、最後の舞台を踏むことも、袴姿でのファンへの挨拶もできず、本人は大変悔やんでいたという。
けっきょく彼女は、宝塚に在籍していたのは5年、実際に舞台で活躍したのは3年でしかありませんでした。
で、このwikipediaの記事はいろいろぼかされている部分もありますが、実態は下のようなものだったようですね。彼女について取材した本より。なお引用文中、漢数字は算用数字に、年号の元号は西暦に変えさせていただきました。また、段落にはスペースを入れました。
>一枚の新聞記事を母は見せてくれた。
この記事が由美子(引用者注:北原の本名)から聞いた事実をかなり正確に伝えていると思います」
*「サンケイスポーツ」1984年5月2日付
宝塚歌劇団雪組のホープ、北原遥子(きたはらようこ)=本名・吉田由美子(23)=が退団する。北原は、体調不良を理由に、現在大劇 場で公演中の『風と共に去りぬ』(5月8日まで)を休んでおり、17日、歌劇団に退団 届を提出、受理された。歌劇団では、退団は「あくまでも本人の意思です」といっているが、北原が歌劇団に無断でテレビドラマ出演したのが、原因と見られている。
北原は81年4月に初舞台。翌年1月には早くも、朝日テレビ系「おはよう朝日・土曜日です」のアシスタントに起用されたホープ。清楚な美人で、将来の娘役トップスターと目されていた。3月23日から始まった『風と共に去りぬ』でも、準主役のファニー・エルシング役に抜擢されていたが、3月9日放送の読売テレビ系ゴールデンドラマ「密会」に、歌劇団に無断で出演していたことから急きょ役を降ろされた。
宝塚歌劇団では生徒(劇団員)が外部出演するときはすべて宝塚企画を通し、ここでとりしきることになっている。北原は、その許可とらずに、日頃親しくしている東京のプロダクション「愛企画」の吉川愛美社長のマネジメントで、「密会」に出演。役は宅間伸のお見合い相手として2,3シーン。セリフはなかった。
歌劇団では、北原遥子の退団について”本人の意思”を主張。「(北原は)歌がうまくないし、貧血気味で体調も不十分なので、やめさせてほしいといってきた」と、いってある(引用者注:原文のまま)。しかし、北原は「密会」の放送直後、『風と共に去りぬ』のケイコ中に呼び出されて休演を通告されており、”テレビ出演”が原因との見方が広まっている。
無断テレビ出演事件は、前年の9月にさかのぼる。
後日、母が娘から聞いた事実関係はこうである。
「その頃、知人を通して知り合いになったあるプロダクションの女性プロデューサーから、テレビドラマのカメラテストを受けてみないかと言われ、由美子は、あまり深く考えず出かけていったそうです」
カメラテストのつもりで行ったところが、現場では本番を収録していて、プロデューサーから、ほかの人は用意していなかったからと、無理やり出演を頼まれる。それでも断ろうとする彼女を、「セリフはないし、顔は花瓶の花で隠れるように撮ってもらうから、大丈夫」とプロデューサーが説得、押し切られる形で撮影されてしまった。だが、画面には花とともに若い女性の姿がくっきりと映り込み、彼女を知る者ならだれでもそれと分かる形で編集されてしまう。(p.135〜p.137)
このときに彼女のマネージャーみたいな人(つまり、宝塚歌劇団の立場を代理できる人)もいなかったようですね。そしてあるいは勘違いその他があったのかもしれませんが、けっきょく彼女が懲戒解雇に近い状態で宝塚歌劇団を追い出されたとなると、それはどうもなあです。撮影の時点で、宝塚側に連絡を取って事情を説明すれば、またちがった展開になったのでしょうが。
しかしこの撮影の話はひどいですね(呆れ)。関係者に話を聞けば「いや、それは違う」ということになるかもしれませんが、北原の立場からすれば、これはこのプロダクションのプロデューサーその他に損害賠償請求ものじゃないんですか? 裁判で勝てるかどうかは分かりませんが、どうみてもこのプロデューサーの責任は甚大です。宝塚が、その団員の芸能活動にはかならず歌劇団に事前に話を通すなんてことは、宝塚になんの知識のない私だって知っている程度の話ですし(いまもそうなのかな?)、まさか芸能関係者が知らないなんてことはありえません。このプロデューサーが彼女をはめようとしてここまでやったのかどうかはわかりませんが、それにしてもどこまで他人に迷惑をかけるんだか。非常識にもほどがあるというものです。
ちなみに、ドラマで彼女の相手役だった宅間伸は、現在も件の「愛企画」所属のタレントです。やっぱり北原ははめられたんですかね。
真相はタイムマシンにのってその現場に行かなければ分かりはしないでしょうが、すくなくとも彼女が好きで宝塚を出て行ったわけではありません。もちろん私は、この件で北原側に問題がなかったとは思いませんよ。むしろ彼女の対応に相当な不備はあったと思います。
本の中で著者も指摘(p.137)しているように、最悪でも撮影があった後早急に宝塚歌劇団側に報告していれば、退団は免れない事態になったとしても、ある程度円満な退団という形でおさめることができたのではと思います。報告が遅くなって決まっていた役を降ろされるという最悪の形になり、彼女は金融機関のイメージキャラクターをつとめるくらい期待されていた立場でもあり、クライアントにも迷惑がかかったので、宝塚側も厳しい対応になったのであろうかと思います。
ただ、彼女は知的能力は高い女性だったと思いますが、高校を2年で中退して、その後宝塚に入った当時22歳の女性ですからねえ…。つまりは一般の大学4年生の女性より、たぶんはるかに世間にうといわけで、しかも宝塚という特殊な世界での生活でしたから、まずい事態になった場合に自分が損をしないためには(そして宝塚にも迷惑をかけないためには)どう行動をすればいいかといったことにもなかなか知恵がまわらなかったのでしょう。
私は小物ですから、さいわいこんなひどい目にあったことはいまのところありません。しかし世の中ですから、「なんでまた」というふうにそんな状況に放りなげられることもあるでしょう。そうなったら…。それにしても同じことをくりかえしますと、彼女の行動に問題があったのは確かにしても、ここまでひどい迷惑をなんで彼女は受けなければいけなかったんですかね。彼女も周囲も身内も「なぜ…」とさすがに絶句したんじゃないのかな。世の中ここまで他人に迷惑をかけるクズがいるということです。
けっきょく彼女は、宝塚側があるていど頭を下げてまで守ってくれる対象ではなかったのでしょう。本の中でも、宝塚の関係者が何とか円満解決できないかと動いたり(しかし適いませんでした)、彼女をモデルにした金融機関に謝罪に行ったりしたことが紹介されていました(p.139〜p.140)。確かにこのようなことがあれば、宝塚としても厳しい態度になるのは仕方ないのでしょう。それはともかくとしてやはり彼女は気の毒です。巨人の原監督など、暴力団関係者との関係が報道されたりと非常に重大な事態になりながらも(wikipediaを参照してください)なにはともあれ守ってもらっています。
原と北原を比較しても仕方ありませんが、北原遥子はいろいろな点で気の毒だったと思います。そして、何をいまさらながら、北原遥子さんこと吉田由美子さんのご冥福をお祈りいたします。