>裁判員裁判:初の死刑破棄確定へ…「市民参加」何のため
毎日新聞 2015年02月04日 22時53分(最終更新 02月05日 11時02分)
死刑という究極の刑罰を前に、市民感覚と公平性のバランスをどう保つのか。死刑と無期懲役で1、2審の判断が分かれた2件の強盗殺人事件の裁判は、最高裁決定により死刑回避で決着した。死刑を選択した裁判員裁判の判決が否定されたことに、遺族は「何のための市民裁判か」と憤り、審理に当たった裁判員経験者は複雑な胸の内を明かした。【川名壮志、山本将克、和田武士】
◇遺族、強い憤り
「泣き叫ぶというよりも、涙が出ないくらい怒りを覚える」。2009年に千葉県松戸市で殺害された千葉大4年、荻野友花里さん(当時21歳)の母、美奈子さん(62)は声を震わせた。
友花里さんは、自宅マンションに侵入してきた竪山辰美被告(53)に包丁で胸を刺され、亡くなった。裁判員裁判の千葉地裁は死刑。出所直後から強姦(ごうかん)事件などを繰り返したことが重視されたが、東京高裁で減刑され、最高裁も支持した。荻野さんは「娘は殺されて、裸にされて燃やされた。遺族には『公平』の言葉に意味はない」と怒気を込めて語り、「加害者は一人一人違い、被害者もいろいろなのに、結局、プロの裁判官に都合の良い言葉のまやかしではないか」と訴えた。
一方、伊能和夫被告(64)の裁判の補充裁判員だった女性は「先例重視を理由に結論を変えられたことには納得がいかないが、死刑が確定してもショックを受けていたと思う。どこにも落としどころがない」と心情を吐露した。一方で「経験が無駄だったとは思わない。裁判員になったからこそ死刑制度を考えるようになったし、国民が裁判に関わる意義はある」とも語った。
裁判員裁判の死刑判決は全国で22件。うち今回の2件を含む計3件が控訴審で無期懲役に減刑された。残り1件は長野市一家3人殺害事件の被告で、2審は共犯者に比べて「関与が限定的」と指摘。検察が上告を見送ったため死刑には覆らない。3件は東京高裁の同じ裁判長が担当した。
◇解説…公平性重視、鮮明に
殺害された被害者が1人の事件で市民が加わった死刑判断の破棄を認めた最高裁決定は「先例の検討は裁判員裁判でも変わらない」と述べ、特に死刑判断の局面では過去の裁判例との公平性を重視すべきだとの姿勢を鮮明にした。
司法研修所は2012年の研究報告で、被害者1人で死刑が確定したケースは、仮釈放中の無期懲役囚による例や、身代金目的の計画的事件などに限られており、「裁判員にも先例の理解が求められる」と指摘した。
さらに最高裁は14年、裁判員裁判の判決が求刑を大きく超えたケースで「他の裁判との公平性が保たれなければならない」とし、先例と異なる量刑判断には「従来の傾向を前提とすべきでない事情が具体的に示されるべきだ」との判断を示した。今回の決定もこれを踏襲して「死刑とする根拠が見いだしがたい」とした。
死刑選択という極めて重い市民の判断が覆される例が相次げば、制度の存在意義が揺らぐ懸念もあるが、裁判官出身の千葉勝美裁判長は「過去の例を共通認識として死刑か否かを判断すれば、健全な市民感覚が生かされる」と補足意見を述べた。
先例を酌みつつ市民感覚を生かす努力が、プロの裁判官に一層求められる。【川名壮志】
これもこの間記事にした朝鮮総連本部売却問題みたいなもので、違法でもなんでもないことを批判したってしょうがないじゃないですか。いったいいつから日本は、上級審が下級審の判決を破棄することが悪いことになったのか。控訴不可の軍事裁判や軍法会議じゃないんだからさ。
そもそも論として、これ単に、極刑から軽減されたから問題視されているだけでしょ。現段階では、裁判員裁判において無期懲役以下の判決が出ている被告人に控訴審以降で死刑判決が出た事例はないようですが、そういう判決が出たら、新聞も犯罪被害者遺族の人たちも、その控訴審を批判しないんだろ? どんだけ厳罰が好きなんだか。
前に私は、同じ問題でこのような記事を書きました。
そんなことを言うのであれば、検察は今後裁判員裁判では、量刑不当の控訴はしないのかという話になる
量刑の問題は、無罪を争っているのでなければ被告人にとって最大の問題です。ましてや1審で死刑判決を受けた被告人が控訴して高等裁判所で再度審理をするなんてのは、被告人にとって最低レベルの人権でしょう。その結果刑が軽減されたとして、それすら批判、非難されるのでは救いがありません。
被害者遺族が被告人に厳罰を求めるのは、(いいとは全く思いませんが)仕方ないところもあるでしょうが(しかし前に紹介したように、被害者遺族が法科大学院で愚にもつかない裁判批判、裁判官批判をしたりそれを無批判に新聞で紹介するなんてのは、講演をした被害者遺族も報じた毎日新聞も、愚劣、論外、非常識、最低、極悪です。法科大学院については、誰が呼んだのか、大学院か、教員か、院生有志かわからないので、一応保留します。誰が呼んだとしても、もう少しまともな被害者遺族を呼べとは思います)、新聞がこのような問題で、法的に何の問題もない、ましてや道義の問題ですらないことで、こんな記事を書いていいんですかね。厳罰支持のほうが読者が喜んで、新聞社の経営にもプラスですか? お話にもなりませんね。
>先例を酌みつつ市民感覚を生かす努力が、プロの裁判官に一層求められる。
だから市民感覚の量刑って、そんなものが裁判官の量刑より妥当である、優れているなんて保障どこにもないでしょ。そんなの単なるドグマじゃないですか。普段はさんざん大衆を蔑視しているくせに、こういうときだけ市民感覚なんてものを大げさに評価するなんてお話にもなりません。人民裁判じゃあるまいし。だいたい日本は、裁判官も特に検察官は、昔も今も、人民裁判のたぐいをものすごく嫌っているだろ?
個人的な意見を言えば、私が刑事被告人になったら、市民感覚なんてものより裁判官のみから審理してもらうほうがよっぽどいいと思いますが、それはともかくとしても悪くもないことを批判するのは筋違いでしょう。それこそ上の記事で私が批判した闇サイト殺人の母親のように、裁判官が判例に基づいて判決を出したり、被害者数を重視することを批判するのと同じようなものです。闇サイトの母親なら正直「馬鹿が感情論で馬鹿なことを主張している」と思うだけですが(しかし、法科大学院でこのような愚劣な話が堂々と話されるというのは、なんとも絶望的にひどい話だとは思います)、新聞がそんな話を無批判に垂れ流しているのでは、この母親より新聞のほうがはるかに悪いと思います。この母親はともかく、新聞社もこの記事を書いた記者も、闇サイト事件の母親の意見が正しいなんて全然考えちゃいないだろ?
つくづく厳罰が蔓延する社会は、憎しみの満ちあふれるところだなと痛感します。