アマンダ・ラングレ(Amanda Langlet)は、日本ではエリック・ロメールの映画に出演したことで知られていると思います。このあたりはフランスも同じで、彼女のインタビュー記事を検索しても、大体においてロメールがらみのインタビューのようです。
彼女はロメールの映画には3作出演していますが、やはり「海辺のポーリーヌ」」での彼女の印象が強いですかね。白い極小ビキニをまとった、半ケツなみの彼女の姿が印象に残っている方も多いでしょう。
さて今年は、日本中でロメールの映画が再公開されていますので、またロメールについての話題がそれなりに飛び交っていると思います。最近アマンダ・ラングレについての新作など見る機会もありませんが、IMDbその他によると、彼女の最後の女優としての活動は、2008年のようですね。1967年生まれとのことですので、彼女もちょっとなかなか活躍は難しい年齢というところでしょうが、上の特集に合わせて発売された雑誌に、彼女の2016年のインタビューが収録されていました。これをちょっと紹介したいのですが、その前ふりとして、ロメールが亡くなった2010年に行われたインタビューをご紹介します。Virginie Ledoyen et le cinéma françaisさんの下の記事です。
>アマンダ・ラングレが語るエリック・ロメール」 インタヴュー和訳
「ロメールには偶然会ったの。当時の私は14歳で、監督は母がSFP(フランス製作会社)へ送った私の写真を見たのね。私はTVの仕事をやっていたの。監督の事務所に呼ばれて、何ヶ月もの間、会っていたんだけど、映画に使ってもらえるかは分らなかったし、監督は他の人たちにも会ったいたしね。しばらく経って、事務所で撮影されて、お芝居の台詞を言わされたわ、カメラテストみたいなものね。それからまたしばらくして『海辺のポーリーヌ』の出演者たちとテストをしたわ。役の準備をしたんじゃなくて、単に会話をしただけで、この映画に出れるのかどうかも分らなかった。監督にはこう言われただけ:「何も変えないように、いまのままでいて欲しい」って。一緒に映画にも行ったわ、例えば『飛行士の妻』ね。『海辺のポーリーヌ』の撮影の1ヶ月半前に私はバカンスへ出かけて、台詞を覚えておくようにと云われてね。撮影自体もまるでバカンスみたいな感じだったわ。撮影は実際に宿泊していた家でやって、ポーリーヌの部屋は私の部屋だったのよ。何年か経って、私にとっては幸運の女神といえるロゼットがロメールへ電話をするようにって、連絡をくれたのね、それで『夏物語』へまた出演することになったわけ。
この作品も私にとってはバカンスだったわ。監督とは全てがとてもシンプルなの。ある日、監督に聞いてみたわ:「この映画は何に似てるの?」って、監督の返事は「そりゃ、シナリオさ!」だって。台詞を覚えたあとは、俳優たちはとても自由。時々、監督に私たちのリハーサルを見て欲しいと頼んだわ、たくさん稽古してたから、でもその必要はないよって。自分の演じる役の名前だったマルゴも私に選ばさせてくれたもの。『三重スパイ』の時は、撮影も大掛かりだったから、いろいろと制約もあったわ、台詞に関してはロメールはいつもよりも厳しかったと思う、当時どんな話し方をしていたかを見せたかったんでしょうね;それが大切だったのね、自分が体験したことだったから。『夏物語』で印象に残っているのは、マルゴという役が私と一致していたことかな。『海辺のポーリーヌ』から10年経っていたし、この2つの作品の間を流れた時間は監督に何度も会っていたわけじゃないけど。時系列を追って撮影していたから、一番早く撮影を終えたのは私だったの。現場を去る時、「じゃあ、行くわ、私のことは忘れちゃうわね」って監督に言ったの。こう答えてくれたわ:「忘れるハズないじゃないか?きみは友だちだからね」って。」(fin)
私が見つけたインタビューの翻訳も可能ならしようと思っています。そういうわけで、来週あたりからお楽しみに。なお、当記事の転載を快く了解してくださいましたブログ管理人様に厚く感謝の意を表したいと思います。