3月23日、このニュースを知って驚きました。
2017/3/21 20:50
【ロンドン=小滝麻理子】英国・北アイルランドのカトリック過激派アイルランド共和軍(IRA)の元指導者で、自治政府の副首相を1月まで務めたマーティン・マクギネス氏が21日、病院で死去した。66歳だった。
北アイルランドではプロテスタント系とカトリック系の住民の武力対立が1960年代から激化し、3千人以上が犠牲になった。マクギネス氏はIRAの指導者から政治家に転じ、両派による共同自治の枠組み作りを進めた。メイ英首相は「彼の初期の人生の選択を大目に見ることはできない」としつつも「北アイルランドが衝突から平和へと転換するうえで歴史的な貢献を果たした」と追悼した。
もう1つ。
>元IRA司令官、マーティン・マクギネス氏死去 66歳
2017.03.21 Tue posted at 16:24 JST
(CNN) 北アイルランドの英国からの独立闘争を展開した過激派「アイルランド共和軍(IRA)」の元司令官で、北アイルランドの副首相も務めたマーティン・マクギネス氏が20日、死去した。66歳だった。
同氏が所属していたシン・フェイン党が声明で発表した。亡くなる少し前から病を患っていたという。
同氏はシン・フェイン党の主要な交渉人として、北アイルランド和平交渉に参加した。
同党のジェリー・アダムス党首はマクギネス氏を「偉大な決断力、威厳、謙そん」を備えた人物で、「平和と和解、そして国の再統一に根気強く働きかけた情熱あふれる共和軍員だった。何より家族とデリーの人々を愛し、誇りに思っていた」と形容した。
マクギネス氏は今年1月、副首相を辞任。同月19日には体調不良を理由に政界からの引退を発表していた。
マーティン・マクギネスと聞いてすぐ誰かわかる日本人は、(北)アイルランド政治とかIRAとかにあるいていど詳しい人ということなのでしょうが、彼は世界的にはかなりっ知られている人です。
マクギネスは1950年に北アイルランドの都市(ロンドン)デリーに生まれました。15歳で学業から離れ、20くらいの時にはすでにIRAに加入し、最終的にはIRAの最高幹部(参謀長とも)になります。が、武力闘争の限界も悟り、彼はIRAの政治組織であるシン・フェイン党の活動に力を入れるようになり、シン・フェインのトップであるジェリー・アダムズの片腕格として活躍するようになります。シン・フェインが北アイルランドのカトリック政党で最強となり、北アイルランドでのシン・フェインのトップになった彼は、2007年から北アイルランドの副首相になります。まさに元テロリストが政府の最高指導者になったわけで、これまた世界中を驚かせるわけです。
実際マクギネスという人は、例えば前にもこのブログで写真をご紹介したこともありますが、英国女王とも握手しましたし、北アイルランドのプロテスタントの過激な指導者イアン・ペイズリーと一緒に政治を行うという優れた現実感覚の持ち主でもありました。エリザベス女王との握手は、シン・フェインの最高幹部との握手というよりは、北アイルランド高官との握手という意味合いだったのでしょうが、この時の握手がなければ、シン・フェインのトップであるジェリー・アダムズがチャールズ皇太子と握手した歴史的瞬間(2015年5月)も実現しなかったでしょう。
そしてアダムズとマクギネスは本当の盟友でした。北アイルランドの政治をアダムズはマクギネスに任せることができたし、マクギネスはそれをそつなくこなせたわけです。この2人が一緒に写っている写真は本当に多い。いかに双方ともどもかけがえのない存在であったかがわかるというものです。80年代から三十数年にわたり彼らは二人三脚でシン・フェインを引っ張ってきたし、ついには北アイルランドでカトリック最強の政党にしたし、アイルランドの国会議員にアダムズがなるまでになったということです。IRA時代もふくめれば、彼らは40年を軽く超える深い付き合いがあったわけです。
そう考えると、マクギネスの葬式や彼の棺を担いでいる際のアダムズの悲痛な表情は印象的です。ご当人否定していますが、アダムズもかつてはIRAでの過激な活動家でしかも最高幹部だったとされます。そういった時代から、現在のような合法運動専科の時代にいたるまで、まさに北アイルランド和平の過程を、マクギネスはアダムズとともにつきすすんでいったということでしょう。
上の引用記事にもあるように、英国首相は、
>彼の初期の人生の選択を大目に見ることはできない
と彼を評しました。政治的建前としては仕方ない発言ですが、それに続けて
>北アイルランドが衝突から平和へと転換するうえで歴史的な貢献を果たした
とも語っています。まさに最高の追悼の言葉でしょう。マーティン・マクギネス氏のご冥福を祈ってこの記事を終えます。なお下の写真は、トニー・ブレア元首相と。