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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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死ぬまでたぶんものすごく苦しむのだろう

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過日の雪崩は、たいへん痛ましい事故でした。お亡くなりになった7人の高校生、1人の教員の方のご冥福をお祈りいたします。最初に記事の引用を。

>那須雪崩
「大丈夫だろうと思った」…記者会見・一問一答

毎日新聞2017年3月29日 21時57分(最終更新 3月29日 21時57分)

栃木県高体連登山専門部の猪瀬修一委員長の記者会見での一問一答は次の通り。
 -登山を中止し、ラッセルの実施を判断したのはなぜか。

 私は(旅館にある)本部にいた。現場に確認したところ「茶臼岳を目指すのは無理だが、スキー場でラッセルはできる」という提案を受けた。雪がさほど降っておらず、風もほとんどない。新雪が30センチぐらい。歩行訓練には非常に向いていると判断した。

 -雪崩の危険性の認識は。

 前日、テレビなどを通じて雪崩が発生するかもしれないと認知した。雪崩が起きやすい地点を知っていたので大丈夫だろうと思った。当時は絶対安全と思ったが、こういう事態になり今となっては反省しないといけない。

 -なぜ雪崩が来ないと判断したのか。

 何年前か分からないが、そこで訓練したこともある。地形的なものや、雪の量は膝くらいだったと聞いている。雪崩が起きた場所は、危険ではないと思った。

 -ほかの教諭や生徒から危険という意見は一切なかったか。

 なかった。

 -ラッセル実施を判断したのは誰の責任か。

 私が委員長を任されているが、(現場にいた)教諭2人と相談して、話し合って決めた。

 -知識やキャリアへの慢心があったのでは。

 安心とか慣れ、経験則で判断したのは間違いない。

 -ラッセル訓練の必要はあったのか。

 生徒に雪にたくさん触れさせるため、講習会を開く。生徒に歩かせたいという思いがある。

 -現場から無線機で雪崩の連絡はあったか。

 荷物の運び出しや精算で、無線機を車に置き、本部に戻った時間帯がある。その時間に呼び掛けがあったか認識できない。不用意だった。片時も目を離せないような危険な場所に行っているという認識がなかった。

 -ビーコン(電波受発信器)を持たなかった理由は。

 雪崩の危険性が高い冬山登山では必須だが、高校生の春山講習ではそういう所に行かない。全国的にもビーコン所持の講習会は行われていない。

 -亡くなった生徒と親には。

 昨日の保護者会で、こういうことになって、いたたまれない、申し訳ないと言った。私ができることは、うそをつかずに誠実に答えることだ。(共同)

さて今回の事件でやはり考えさせられるのは、今回の事故が臨時の訓練によるものだということです。つまりその場の教員の判断で今回の訓練が行われ、そして事故が起きてしまったということです。これらがどれくらいの責任となりうるかというのは当然損害賠償、あるいは刑事事件としても問題になります。それは当然ですが、しかし仮にこれが全く何の落ち度も教員にはないとしても(この件ではその可能性は低そうです)、たぶんこの訓練を決めた教員、あるいはこの訓練に立ち会った教員たちは、本当に苦しむのだろうなと思います。

2011年3月11日の大川小学校の件では、校庭・校内にいた教員11名と児童78人中、教員10人、児童が74人、計84人が死亡あるいは行方不明という大惨事になってしまいました。そしてこのとき1人の教員が生還しています。

この件では、早く児童を避難させればいいものを教員たちが無益な議論に時間を費やし、そして最終的にほとんどの教員と児童が犠牲になってしまうという最悪の事態になってしまいました。それで、たぶんと私は思うわけです。

「生き残った教員、本当に生きた心地がしないだろうな」

この教員が、逃げるという選択をせずに無意味に貴重な時間を犠牲にしたという件で、どれくらい責任があるのかは私は知りません。教務主任ですからかなり責任があるのかもですが、それはこの人しか教員の生存者がいない以上、そしてその議論を詳細に聞いていた児童もたぶんいないでしょうから、たぶん世界で誰も正確なところは知りません。この教員の話を全面的に信用はできないし、またこの人が自分に都合のいいように話をしたとしても(しているかどうかは知りません。こちらの記事によれば、相当都合のいいようにしているようですが、それが正しいかどうかは私は判断できません)、それは非難するには値しないでしょう。仮にこの人が全面的に責任がある立場だとしても、「そうだ」と認めさせるのもできない相談だと思います。なおこちらの記事によると、ご当人休職した模様です。

地震における津波の予想と冬山における雪崩の予想というのはまた違う種類のことですし、たぶん地震の津波のほうが予想は困難というか的確な行動は難しいでしょうが、冬山の雪崩というのも、今回は雪崩予報があったといいますし、たぶん不可抗力では話はすまないでしょう。だから何らかの責任をこの教員は(刑事上や行政上や道徳上の)何らかの非難はまぬがれないと思います。しかしそういった話はともかく、完全な不可効力であっても、やはりこの件では何らかの重荷を背負うのだろうなと思います。

ただこういうのも、冬山とかならまだしも、いきなり地震とか突然精神を病んだ人物が学校に押し入ったりしたら、それはどうにもなりませんからね。地震と津波タイムラグについては教員側の落ち度が問題となりえても、学校に刃物を持った男が押し入ったら対応のしようがない。子どもたちは大変気の毒ですが、やはりどうにもなにもできません。責任はなくても精神の重荷は背負い込む。子どもが不慮の事故で死んだりしたら、親は「なぜ・・・」といろいろなことを後悔するそうですが(たとえばなぜ出かける子どもを引き留めなかったのかとか)、それらは気持ちとしてはわかるが現実問題として何かができるということではない。

 そう考えると、雪崩についてはそのような話でもないでしょうが、もしあなたが大人だったら、自分がこの時大川小学校の教員だったら、どのように行動しただろうかということをシミュレーションしてみるといいかもしれません。あなたが教員だったら子どもを最大限高いところに避難させようと主張できるか、できると考えたら、それはどのような根拠でそうできると考えるか。この話はにも書きました。

いずれにせよ悪い判断で、8人もの貴重な命が亡くなってしまったのです。関係者のご冥福を改めて祈ってこの記事を終えます。

 


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