過日記事にした将棋棋士の森内俊之9段が、今後名人戦・順位戦に参加しないフリークラスへ転出することを宣言しました。
思ったより早くその日が来た毎日新聞2017年4月1日 東京朝刊
日本将棋連盟は31日、名人を通算8期獲得し、十八世名人の資格を持つ森内俊之九段(46)が4月1日付でフリークラスの棋士に転出すると発表した。自身が届けを提出した。他の棋戦には出場できるが、名人戦の挑戦者を決める順位戦には参加できないため、名人復帰の可能性はなくなった。森内九段は第75期名人戦順位戦(毎日新聞社、朝日新聞社主催)で、22期(名人在位を含む)保った最高位のA級からB級1組への降級が決まったばかりだった。
森内九段は2002年の第60期に名人になると、第62期以降4連覇。通算5期獲得となり、実力制名人戦になって以来5人目の永世名人資格者となった。第69期以降も3連覇し、通算8期獲得は史上4位のタイ記録。第60期以降は、昨年に佐藤天彦名人(29)が誕生するまで羽生善治王位(十九世名人資格者)と名人位を分け合った。タイトルは他に王将1期、竜王2期、棋王1期の計12期。【山村英樹】
毎日新聞2017年3月31日 20時43分(最終更新 3月31日 21時35分)
決断に、さまざまな思いが交錯
森内俊之九段の名人戦は、もう見られない--。羽生善治王位(46)と長年にわたり、棋界最高の舞台で名勝負を繰り広げてきた永世名人資格者のフリークラス転出の発表は、ライバル棋士や将棋ファンに衝撃を与えた。「もっと順位戦を戦ってほしかった」「棋士の美学では」。その決断に、さまざまな思いが交錯した。
森内九段は1988年、名人戦順位戦に初参加。以来、勝ち越しを続けたが、名人を失冠した直後の第73期(2014年度)に初めて4勝5敗と負け越した。その後も第74、第75期を負け越し、不振が続いていた。
森内九段のA級陥落が決まった2月の第75期最終戦で対局した稲葉陽(あきら)八段(28)は「終局直後、『また新たな気持ちでやっていきたい』などと話されていて、指し続けると思っていた」と驚きを隠せない様子。稲葉八段は、佐藤天彦名人(29)に続き2期連続で20代の挑戦者となった。森内九段の転出は世代交代をはっきり示す形になった。
同世代の1人、佐藤康光・日本将棋連盟会長(九段)は「大変驚きましたが、森内さん一流の流儀かなと感じました」とライバルの決断を受け止めた。
フリークラス制度は、順位戦を指さなくても現役棋士としての活動を認める制度。連盟の公務や普及に力を入れる棋士もいる。過去には、故米長邦雄永世棋聖がA級陥落後すぐの1998年に、中原誠十六世名人がA級陥落後にB級1組で2期対局した後の2002年に、フリークラスに転出した。ともに当時54歳だった。
46歳の若さで大きな決断をした森内九段は、「A級順位戦で降級となったことを受けて出した結論です。名人戦、順位戦では思い出深い経験をたくさんさせていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです」とコメントした。【山村英樹、新土居仁昌】
同世代の先崎学九段の話 ただただびっくりしております。同年齢の仲間として潔い決断に敬意を表します。
前回の記事での談話では、森内は
>今期だけでなく、ここ2、3期、内容も結果もあまりよくなかったので、結果は仕方がないのかと。(B級1組では)また新たな気持ちでやっていきたい
という談話をだしていたので、上の引用記事の例でいえば、A級降級後すぐフリークラスに転出した米長パターンでなく、中原あるいは谷川パターンで、少なくともB級1組で1年は指すのだろうと考えていました。が、実際にはフリークラス転出ですか。このフリークラスというのは、建前としてはともかく実際には、「第一線でタイトルをねらうことを放棄する」というニュアンスがあります。つまり森内なりに、今後自分がタイトルを目指すのは難しいという判断をしたのでしょう。そして3月の終わりにそれを申し出たというのも、逡巡していたたのか腹は決まっていたが出すタイミングを考えていたのかはわかりませんが、あっさり「フリークラスに転出します」と述べることはできなかったということでしょう。それはご当人のとっても非常に悔しいことでしょうから。
それにしても中原や米長と比べても、46歳(1970年生まれですから今年47歳)という年齢でのフリークラス転出というのは若いですね。中原誠の言葉
>大山康晴先生も私も、50歳を過ぎるととたんに苦しくなりました。
よりも数年早いですから。米長邦雄は50歳で名人になりましたが、森内はそのような可能性を自分に求めることはできなかったのでしょう。米長も、翌年の51歳で、羽生善治に名人位を奪取され、上の記事にもあるように54歳でフリークラスになりました。
森内の現役引退はまだ(ずっと? 現規定では、65歳までは現役を続けられます)先ですが、ともかくお疲れ様でしたという言葉を送ってことの記事を終えます。