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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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「レイジング・ブル」のモデルであるジェイク・ラモッタが亡くなった

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本来なら「スポーツ」のカテゴリーでしょうが、私にとっては映画のモデルというイメージが強いので、「映画」のカテゴリーの記事とします。

映画『レイジング・ブル』の主人公のモデルとしても有名な元ボクサーのジェイク・ラモッタ氏画亡くなりました。記事を。

>米ボクサー、J・ラモッタ氏死去 「レイジング・ブル」モデル

2017年9月21日 13時1分 CNN.co.jp
(CNN) ボクシングの元世界ミドル級チャンピオンで、映画「レイジング・ブル」のモデルにもなった米国のボクサー、ジェイク・ラモッタ氏が死去したことが21日までに分かった。95歳だった。

ラモッタ氏の代理人がCNNSportsに対して確認した。死因は明らかにされていない。遺族がTMZスポーツに語ったところによると、同氏は肺炎に伴う合併症のため、医療施設内で息を引き取ったという。

1922年にニューヨークで生まれたラモッタ氏は、ボクサーとして49年から51年にかけて世界ミドル級王者のタイトルを防衛。現役時代の通算戦績は106戦中83勝19敗4引き分けで、30回のKO勝ちを記録した。

長くライバル関係にあったシュガー・レイ・ロビンソン氏とは6度対戦して1度勝利している。

米作家バート・シュガー氏は、歴代の偉大なボクサーを扱った2006年の著作の中で、ラモッタ氏について「試合中は怒りのエネルギーが頭のてっぺんから噴き出しているかのようだった。火山の爆発さながらだ」と述べた。

妥協のない激しい戦いぶりと、リング外での破天荒な生活で知られたラモッタ氏。その半生はマーティン・スコセッシ監督の1980年作品「レイジング・ブル」で映画化され、主演の米俳優ロバート・デ・ニーロはアカデミー主演男優賞を受賞した。タイトルのレイジング・ブル(怒れる雄牛)はラモッタ氏自身のニックネームでもある。

「レイジング・ブル」では、ラモッタは映画の撮影に協力しています。もっとも存命中に映画が制作されているし、本人の回想録を原作としているのだから、当然といえば当然か。

Raging Bull: My Story

 

画像は、映画のオープニングクレジットより。YouTubeからのスクリーンショットです。

原作の内容から、多くの映画会社が彼にアプローチしたようですし、またあるいは金銭的な事情もあったのかもですが(詳細は知りません)、内容が内容だけに、よくこの映画に積極的にコミットしたなという気はします。

映画の撮影でもデニーロにアドバイスをしていますし、ほかにも彼と一緒に写った写真があります。

これはだいたい撮影をしていたころの写真ですかね。

これは2005年に撮った写真。映画の公開25年を記念したものとのこと。デニーロ、キャシー・モリアーティマーティン・スコセッシ監督と。ジョー・ペシはいなかったんですかね。

私も氏が、高齢でご存命であることは知っていましたが、95歳というのはすごいですね。ボクシングでだいぶ体にダメージもあったはずだし、また米国人は日本人ほど長命でもありません。たぶんものすごく頑健な肉体の持ち主だったのでしょう。

現役時代の写真です。

1950年の写真。右にいるのが、映画でモリアーティが演じたヴィッキーさんです。出典はこちら

1970年の写真。うーん、まるっきりマフィアっぽいですね。出典はこちら。ちなみに彼はイタリア系ではありますが、母親はユダヤ系とのこと。

彼もまたボクシングのレジェンドだったと思います。ジェイク・ラモッタ氏のご冥福祈ってこの記事を終えます。


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