以下映画「パターソン」についてのネタばれがありますので、知りたくない人は読まないでください。
いいですか? では書きますよ。
先日「パターソン」という映画を観ました。ニュージャージー州パターソン市で街の名前と同じ名前を持つパターソンというバスの運転手をしている男性の1週間の姿を題材にした映画ですが、ラスト近く、書きためていた詩のノートを飼い犬にかみちぎられてしまい失意にある主人公がベンチに座っていると、黒っぽい上下にネクタイ姿の日本人が隣に座ります。彼は、地元出身の詩人ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩集の日本語訳(原詩と訳詩が交互にある本)を持っていて、主人公と話をします。
それで私も、これと同じことをしたなあと思い出しました。2年前の9月にアイルランドに行った際、スライゴーに行きまして、そこでやはりウィリアム・バトラー・イェイツの対訳詩集を読んだわけです。これはなかなか気分のいいものでした。
イェイツという人は、スライゴーでは(アイルランド全体でもそうですが)別格の人間でして、地元の英雄、観光題材、イェイツなくしてスライゴーは語れないというくらいの人のわけです。それでダブリンでも「ダブリン市民」を読みました。本当は、「ユリシーズ」を読むほうがいいのでしょうが、あれは読むだけでも大変なので、無難に「ダブリン市民」を読むことにしたわけです。それでもやはり、ダブリンで読む「ダブリン市民」は格別です。私が読んだのは原文でなく日本語訳ですが、しかし当然それなりの味わいがあるというものです。同じアイルランド出身の人の中でも、オスカー・ワイルドやジョージ・バーナード・ショーの小説や戯曲を読むよりは、よりアイルランドに密着したジョイスやイェイツを読むほうが、作者の地元の文芸作品を読むという趣旨にはたぶんそぐいます。
余談ですが、「ダブリン市民」は、「ダブリンの市民」「ダブリナーズ」などいろいろな題名で、いろいろな出版社から翻訳が出ています。原文が読める人はそれでいいですが、翻訳も図書館などで入手して読んでみて、気に入ったものを決めるといいかもしれません。
サリナスやモントレーでスタインベックの小説を読めばやはり非常に気分がいいでしょうし、サンクトペテルブルクでドストエフスキーを読めば、集中度が違うんでしょうね、きっと。サリナスやモントレーはまだ行っていませんが、サンクトペテルブルクは昔行ったことがあるので、読んでおけばよかったな。カミュの小説は、やはりアルジェリアで読むに限るのでしょう。でもそれは非常に危険そうです。
私は小説とかには非常に暗い人間なのですが、学生時代やたらアースキン・コールドウェルにはまってしまい、彼の短編小説を語学テキスト(後ろに注釈のついてあるやつ)でいっしょうけんめい読んだことがあります。あれも、可能なら南部の農村で読んだらいいのでしょうね。でもわが人生で米国南部なんか行く日が来るのかなあ。彼の出身地であるジョージア州とかは必ずしも私のような非白人にやさしいところでもないでしょう。
いずれにせよそのために行くとまでは言わずとも、自分の好きな著作家の出身地に行く機会があったら、その本を持っていくのも悪くない選択だと思います。たとえば金沢に行く際に室生犀星を読むとか。おすすめです。