先日こんな記事を書きました。
子の因果が親に報うその記事の中で私は、次のようなことを書きました。
>後に「食卓のない家」という小説を円地文子が書き、それを小林正樹が監督した映画が制作されましたが
そして現在、この小林が監督した映画は観ることができないのです。この映画は1985年に制作された小林の遺作ですが、どうも監督の小林すら映画を観なおすことができなかったようですから、これまたすさまじい話です。
昨年、小林生誕100年、没後20年の節目に岩波書店から小林の研究書が出版されました。
私もこの本は読みましたが、まさに映画監督の研究書とはかくあるべきだと思うくらいすごい本でした。高い本ですので買えとは言いませんから、ぜひ図書館などで閲覧されることをお勧めします。まともな選書をする図書館なら、たぶん入っているはず。
それで、小林がこの映画を製作するに至る事情が、小林へのインタビューでつづられています。彼がこの映画について語ったのは、公開時のもの以外ではあまりないはずです。なおインタビューは、彼の死の3年前にされたとのこと。『食卓のない家』制作前の時点での彼は、映画化を熱望していた『敦煌』を自分が監督できる見込みがなくなり、ひどく失望し、落胆していた時期でした。
>・・・『食卓のない家』は川本源司郎さんという映画界の外の人から資金が出るし・・・(p.172)
>ですが、インタビューを受けるので久しぶりに当時ぼくがこのシャシンについて書いたり答えたりしているのを読み返してみたら、それなりにきちんと情熱をもって取り組んでいる。もしかしたら、思っているほど出来は悪くないのかもしれません。そうとういい作品かもしれない。もういちど見てみたいと思うのですが、川本さんという方が変わった人で、まったく外に出してくれないのです。不思議な人です。(p.176)
>小林が述べている通り、『食卓のない家』は制作者として著作権者とされる川本源司郎がビデオ化はもとより、封切を除いてその後の公開を一切許さないため、二〇一六年夏現在、”幻の作品”となっている。川本製作の他の二作品、『地平線』(新藤兼人)『鹿鳴館』(市川崑)も同様の状態になる。(p.177)(これは編者による注釈)
>また本作(引用者注・『食卓のない家』のこと)は現在、制作サイドの事情で鑑賞が叶わないことで、小川真由美扮する妻が発狂して金魚を口に入れるショッキングな場面の評判ばかりが独り歩きしてしまい、「『食卓のない家』?あの金魚食べるやつね」などと、作品を見てもいない輩が嘲笑するといった嘆かわしい事象も起きて久しいものがある。日本独自の陰湿な精神風土に決して屈しないリベラルな信念を描いたという点で、本作は今こそ再評価されてしかるべき作品であると確信する。上映やソフト化などの許諾を、権利元には強く望みたい。(p.526) (これは増當竜也執筆による解題)
うーん、これはぜひ見てみたいですね。未見なのが残念で仕方ありません。記事に出てくる川本という人は、銀座あたりにやたら建物を持っている人です。かの丸源ビルを経営している人です。川本のWikipediaにも
>芸術関係にも造詣が深く、さまざまな映画の企画なども手がけた。 なおこれらの映画は、川本の意志により、ビデオ化等はもとより、封切りを除きその後の公開を一切許されていない
とあるくらいです。
さてこの川本氏ですが、結婚をしていないし、また隠し子なども現段階では未確認です。で、彼には相続人のたぐいがいないので、死んだらその財産は国家に接収されるとか。川本氏が女にもてないわけがないし、まあ彼なりにいろいろな考えがあるのでしょうが、あるいはお子さんがいない、事業の跡継ぎも考えていない、そういうたぐいのことが、自分が制作した3本の映画を封印させているっていう事情にあるんでしょうか。ってことは、他人様の命のことなんかでめったなことを言えるわけもないですが、やはり川本氏がお亡くなりになったら、あるいは映画も解禁されるんですかね。日本(でなくてももちろん構いません)のどこかに、好事家がフィルム持っていないかなあ(それを著作権法無視でYouTubeあたりにアップしてくれないかなあ)とかアウトローなことも考えないではありません。ここで書いておきますと、当方はこのブログではえらそうなことをさんざん書いていますが、基本は極めて順法意識に富む人間ですから、そういうことに直接かかわろうと考えるほどの大物ではありませんが、しかし同時に凡人で非人格者ですから、そういうことを全く考えないわけでは(もちろん)ありません。
そんな愚劣な与太はともかく、やはりこれは、映画をぜひ見ることができる状態にしていただくよう川本氏にはお願いしたいですね。たぶん実にあらゆる人間が川本氏に「いいんじゃないんですか」とか話をしているのでしょうが、まあ川本氏は基本怖いものなしでしょうから(数年前税金の関係で逮捕され、また消防法の関係で書類送検されました)、なかなかご存命中にお考えを変えていただける可能性はないでしょうが、しかしそうばかりも言っていられませんから、関係者の方は、いつ封印が破られてもいいように、日々鋭意再公開、ソフト化その他の準備を願えれば思います。
それで、封印作品に関する有名な本もありますし、有名どころの封印映画では「ノストラダムスの大予言」なんかがありますが(ただしこれは、テレビ放送されたこともあるし、海外ではソフトを購入できる(あるいは過去形かも))、あれは描写の問題です。しかし川本製作(クレジットには「制作」とあるようですが、彼は金主ですから、「製作総指揮」という立場です。角川映画の角川春樹みたいなものです。あるいは昔の日本映画の「製作・大川博」とか「製作・永田雅一」などのようなもの)の3作品は、川本氏の一存でそうなっているようですからね。そういうのは、個人的には勘弁願いたいですね。記事のタイトルにもあるように、映画というのはあらゆる人間が共有する財産であり、特定の人間の思惑で鑑賞できないのでは非常に困りますから。ましてや、3作品の監督は、新藤兼人、小林正樹、市川崑であって、好き嫌いはともかく、日本映画史にこの人たち抜きのものはあり得ないというすごい人たちです。このお三方の映画が、著作権者の個人的な思惑で鑑賞がかなわないというのは大変困ります。
たとえば同じ小林正樹の作品を例に取れば、「燃える秋」という映画は今日までソフト化などはされていません(上映はされています)。なぜこの映画の上映の機会が少ないかというと、つまりはこの映画が三越の出資の映画で、三越で君臨した岡田茂がかなり恣意的にこの映画に支出したというので、三越側が「会社の恥」とばかりに嫌がっているからとされます。で、私もそういう会社側の思惑を理解しないではないですが(苦笑)、ただ映画ってのはそれを超越したものですからね。そのような文字通りの「お家の事情」で映画の公開が妨げられるのでは、まさに人類の貴重な財産の侵害です。これは何とかしなければいけません。
たぶん上のような愚劣な、と言って言いすぎなら理不尽な事情でお蔵入りしている映画はたくさんあるはずです。そういう映画のなかには、なかなか貴重な映画も少なくないはずです。記事のタイトル通り、
>映画というのはあらゆる人間が共有する財産であり、特定の人間の思惑で鑑賞ができないのでは非常に困る
のです。