>『007』シリーズ監督ルイス・ギルバートさん死去 97歳
2018年2月28日 11時59分
『007は二度死ぬ』『007 私を愛したスパイ』『007/ムーンレイカー』という007シリーズ3作でメガホンを取ったイギリス人監督ルイス・ギルバートさんが現地時間23日、モナコで亡くなった。97歳だった。英米メディアが報じている。
モナコはルイスさんが1975年から暮らしていた国。息子のジョンさんがBBCに語ったところによると、ルイスさんは10年近く前から認知症を患っており、睡眠中に安らかに息を引き取ったという。
ルイスさんは、1920年にロンドンの興行師の家庭に生まれ、幼少の頃から家族とともにパフォーマンスを行い、映画に目覚めて子役として活躍した後、ローレンス・オリヴィエ主演作『淑女は離婚がお好き』のプロデューサー、アレクサンダー・コルダに見いだされ、彼のスタジオでアシスタントディレクターとして働くように。アルフレッド・ヒッチコック監督作『巌窟の野獣』でもアシスタントディレクターとして巨匠のもと学んだ。
第2次世界大戦中は、英国空軍のフィルムユニットでフランク・キャプラ、ウィリアム・ワイラーといったハリウッドのベテランたちと共にドキュメンタリーを撮影。除隊後は、フランスの映画会社ゴーモンの英国支社に入社し、1947年に『ザ・リトル・バレリーナ(原題) / The Little Ballerina』で長編監督デビューを果たす。しばらくは『殴り込み戦闘機隊』『スパイ戦線』『ビスマルク号を撃沈せよ!』など戦争映画を手掛けた。
そして、マイケル・ケイン主演作『アルフィー』ではカンヌ国際映画祭審査員特別賞を獲得し、さらにアカデミー賞作品賞にまでノミネートされた。その後、世界中でヒットした『007』シリーズを手掛け、幅広いジャンルで活躍する監督としてその地位を築き上げていった。私生活では1951年に結婚し、2人の息子がいる。(細木信宏Nobuhiro Hosoki)
最後の作品は、2002年発表の「Before You Go」という映画のようで、コメディのようですが、あまり話題にはならなかったようです。それでも80を超えて映画を監督できたのは大したものだと思います。
世間一般では、「007」の監督というイメージが強いしそれが当然ですが、当方としては、やはりアニセー・アルヴィナ主演の映画「フレンズ〜ポールとミシェル」の監督ですかね。記事にもあるようにこの10年ほどは認知症だったようですし、ご年齢もご年齢ですから(3月6日に誕生日を迎えていれば、98歳でした)、引退状態だったようです。さすがに新藤兼人監督やマノエル・ド・オリヴェイラ監督のように100歳近くあるいはそれを超えて監督をするのも難しいでしょうが、まずまず満足な映画人生だったのではないでしょうか。
フィルモグラフィ、Wikipedia、あるいは上の記事などを読んでも、どちらかというと芸術家ではなく職人系の監督ですかね。プロデューサーほかから依頼を受けて、与えられた条件で映画をつくるというタイプでしょう。そう考えると、「フレンズ」は、直接のシナリオは描いていませんが、原案は彼ですし、プロデューサーも務めて世界的にヒットしましたから、彼にとっても満足な作品なのだろうなと思います。彼は、英米の監督はあまり脚本を書かないのですが、脚本もわりと担当しています。
「フレンズ」の続編の「続フレンズ ポールとミシェル 」は残念ながら内容も興行成績もよいとは言えませんでしたが、あるいはこの映画が成功していれば、フランソワ・トリュフォーがジャン=ピエール・レオを起用した「アントワーヌ・ドワネルもの」のようなシリーズになりえたかもですが、そのあたりは芸術家としてのギルバートとトリュフォーの差だったのだと思います。
「フレンズ」でポールを演じたショーン・バリーは、ギルバート監督の「007 私を愛したスパイ 」を最後に俳優稼業から足を洗いましたが、その前の出演作が「属フレンズ」だったわけで、たぶんギルバートなりのはなむけの意味合いもあったのかと思います。そうなると、やはりショーン・バリーはギルバートにとっても印象に残る俳優だったのでしょう。たぶんアニセーも同じです。
ルイス・ギルバートが「フレンズ」でアニセー・アルヴィナを起用しなければ、たぶん私が彼女を知ることもなかったかもしれません。そう考えれば、彼は私にとっても大変な恩人なのでしょう。ルイス・ギルバート氏のご冥福を祈って、この記事を終えます。