先日こんな記事を読みました。産経新聞より。
>2018.5.21 17:33
登山家の栗城史多さん死亡 エベレスト登山中
【ニューデリー=森浩】世界最高峰エベレスト(8848メートル)登頂を目指していた登山家の栗城(くりき)史多(のぶかず)さん(35)=北海道今金町出身=が21日、遺体で発見された。栗城さんの所属事務所が発表した。在ネパール日本大使館も死亡の事実を確認した。
ネパール山岳関係者によると、登頂を断念し、下山途中で死亡したとみられるという。死因など詳しい状況は不明。
事務所によると、栗城さんは2004年の北米デナリ(旧称マッキンリー)を皮切りに6大陸の最高峰を制覇した。09年からエベレスト登頂に挑戦。「無酸素」「単独」での登頂を目指しており、今回は8度目の挑戦だった。12年の挑戦では、凍傷で手の指9本の大部分を失った。
自身のフェイスブックによると、栗城さんは12日にエベレストのベースキャンプを出発。「苦しみも困難も感じ、感謝しながら、登ってます」と伝えた後の21日、「体調が悪く、7400メートル地点から下山することになりました」と報告していた。
事務所や山岳関係者によると、栗城さんは下山中に無線に反応しなくなり、捜索隊が21日、遺体を発見した。
私がこの件の一報を知ったのは、違う記事だったと思いますが(どこのメディアの記事かはわかりません)、内容は特に違いはないと思います。
私は、この栗城さんという人物を何も知らなかったのですが、私が気になったのがこちら。
>09年からエベレスト登頂に挑戦。「無酸素」「単独」での登頂を目指しており、今回は8度目の挑戦だった。
つまり最後の登山以前に7回エベレストに挑んで失敗しているわけですが、7回1つの山に失敗するというのが「?」だったわけです。
昨今、エベレストは、どおってことのない人でも登頂できる山になっています。他の6大陸最高峰に登頂した人が7回失敗するというのも変な話だし、通常ならすでに登っているか断念しているかのどちらかでしょう。しかし彼は、7回挑戦して失敗して、それで8回目で理由はともかく亡くなってしまったわけです。これはどういうことなんでしょうか。こんな記事があります。
>死去の栗城史多さん、「勇気」と「感動」の果てに 叶わなかったエベレスト登頂
>「危険な挑戦」あやぶむ声も多く
自身のウェブサイトやブログでは「単独・無酸素登山」を標榜してきたが、「単独」については登山界ではベースキャンプの先は第三者のサポートを受けずに登り切ること、という意味を持つのに対し、栗城さんの場合は自分の荷物を自分で背負うこと、との解釈がなされている。事実、冒頭のブログより先んじて訃報を出した21日の現地紙「ヒマラヤ・タイムス」では、「シェルパ(編注:ヒマラヤ登山の案内人)4人と登頂を目指していた」と帯同者の存在を伝えていた。「無酸素」の定義をめぐっても、疑問の声があったことは事実だ。
またそのスケジュールをめぐっては、性急ではないかと議論があった。エベレストは一般的に、現地入りしてから体を順応させながら、2か月ほどかけて登頂を目指すとされる。しかし栗城さんのブログをたどると、今回の挑戦は4月18日に日本出立を伝え、5月21日に登頂予定であると発信。17年の7度目の挑戦でも、4月10日に現地入り、5月23日に登頂予定としていた。いずれも1か月程度だ。
登山ルートについても、17年の挑戦では「ルートはウエストリッジ(西稜)からホーンバイン・クロワール(北壁上部)を目指します」(同年5月17日ブログ)と表明。西稜ルートは難度が高く、身を案じる声もあった。登山ライターの森山憲一氏は17年6月9日のブログで、危険な挑戦によって「栗城さん自身が追い込まれていく」とし、「応援する人たちは『次回がんばれ』と言いますが、このまま栗城さんが北壁や西稜にトライを続けて、ルート核心部の8000m以上に本当に突っ込んでしまったら、99.999%死にます。それでも応援できますか」と警鐘を鳴らしていた。
このような中で挑み、失敗し、9指を失った栗城さん。毀誉褒貶を受け続けながらも、何が彼をエベレスト山頂へと駆り立てたのか――。8度にわたる挑戦の物語は、悲劇的な結末を迎えた。
こういうの読んでいると「どうもなあ」と思わないではいられません。それではその森山氏なる人物のブログをちょっと拝見してみましょう。ちょうど1年前でしょうか、2017年6月2日付の記事の一部抜粋。
>かつて、服部文祥さんが栗城さんのことを「登山家としては3.5流」と言って話題になったことがありました。3.5流という評価が合っているかどうかは別として、登山家としての実力が服部さんより下であることは間違いない。野球にたとえてみれば、栗城さんは大学野球レベルというのが、正しい評価なのではないかと思います。ちなみに服部さんは日本のプロ野球レベル。日本人でメジャーリーガーといえるのは数人(佐藤裕介とかがそれにあたる)。
それに対して、栗城さんがやろうとしている「エベレスト西稜~ホーンバインクーロワール無酸素単独」というのは、完全にメジャーリーグの課題です。栗城さんが昔トライしていたノーマルルートの無酸素単独であれば、それは日本のプロ野球レベルの課題なので、ひょっとしたら成功することもあるのかもしれないと思っていました。しかし、日本のプロ野球に成功できなかったのに、ここ数年はなぜか課題のレベルをさらに上げ、執拗にトライを重ねている。
さらに、上の記事で引用されている6月9日付の記事の一部抜粋。
>なぜ嘘がいけないのか
難病を克服した感動ノンフィクションを読んで、それがじつは作り話だとわかったら、それでもあなたは「希望を与えられたからよい」といえますか。あるいは、起業への熱意に打たれて出資したところ、いつまでも起業せず、じつは起業なんかするつもりはなかったことが判明したら。「彼の熱意は嘘だったが、一時でも私が感動させてもらったことは事実だ」なんて納得できますか。
つまり、嘘によって得られた感動は、どんなに感動したことが事実であったとしても、そこに価値などないのです。結局、「だまされた」というマイナスの感情しか最終的に残るものはない。これでは、登山としてはもちろん、ショーとして成立しないじゃないですか。
もうひとつ、嘘がいけない理由があります。どちらかというと、こちらのほうが問題は大きい。それは、栗城さん自身が追い込まれていくことです。応援する人たちは「次回がんばれ」と言いますが、このまま栗城さんが北壁や西稜にトライを続けて、ルート核心部の8000m以上に本当に突っ込んでしまったら、99.999%死にます。それでも応援できますか。
栗城さんは今のところ、そこには足を踏み入れない、ぎりぎりのラインで撤退するようにしていますが、今後はわからない。最近の栗城さんの行動や発言を見ると、ややバランスを欠いてきているように感じます。功を焦って無理をしてしまう可能性もあると思う。
そのときに応援していた人はきわめて後味の悪い思いをする。しかし応援に罪はない。本来後押しをしてはいけないところを誤認させて後押しをさせているのは栗城さんなのだから。嘘はそういう、人の間違った行動を招いてしまう罪もある。そして不幸と実害はこちらのほうが大きい。
この記事執筆時点(2018年5月24日)で、森山氏のブログは今年の4月3日を最後に更新されていませんが、しかしこちらで彼は、記事を書いています。これも一部抜粋。
>“賛否両論の登山家”栗城史多さんとは何者だったのか
エベレストで死亡した登山家の実像
>栗城さんは、昨年のこの時期にも、エベレストに挑戦しており、フェイスブックなどで随時報告されるその登山のようすを見て、「いくらなんでも、あまりにもむちゃくちゃだ」と、自分の明確な感想として初めて感じたからである。なにがむちゃくちゃだったのか。ひとつは、登山として。もうひとつは、栗城さんの掲げる「冒険の共有」として。
まず、登山として。栗城さんは昨年、北壁というルートからエベレストに登頂しようとしていた。エベレストは現在、多くの人が登る大衆登山の場となったが、それはノーマルルートと呼ばれる、もっとも簡単な登路から登り、さらに、熟練のプロガイドがついてこその話。近年、最高齢登頂で話題になった三浦雄一郎さんや、日本人最年少登頂者となった南谷真鈴さんも、みなこの手法で登頂している。一方で栗城さんは、はるかに難しい北壁を登路に選び、ノーマルルートから登るほとんどの登山者が利用する酸素ボンベも使わず、しかもたったひとりで登るという。同じエベレストといえど、この両者は難易度において、「雲泥」という言葉では足りないほどの差がある。プロガイドと酸素ボンベ付きのノーマルルートが、普通の大学生でも達成可能な課題である一方、北壁の無酸素単独登頂は、世界中の強力登山家が腕を競ってきた長いエベレスト登山の歴史のなかで、まだだれも成し遂げていないのだ。
「そんな困難な課題だからこそ挑戦のしがいがあるのだ」という意見もあるかと思う。登山はもともと、未知未踏を切り拓くものであって、冒険を否定しては成り立たないものだ。私自身がそんな冒険の魅力に惹かれて登山を始めた人間であるから、人の挑戦は否定したくない。だが、そんな私から見ても、栗城さんの実力と、掲げる目標の乖離は、度を超しすぎていると感じた。栗城さんの登山の実力は、やってきたことを客観的に見れば、多くのノーマルルート登山者と同程度と思われる。その実力で、北壁を無酸素単独で登ろうとするのは、どう考えても自殺行為だ。「登山としてむちゃくちゃだ」と感じたのは、こういうことなのである。ここはとても重要なところなので、本当に理解していただきたいと思う。
もうひとつは「冒険の共有」として。栗城さんは、たんに山頂に立つだけでなく、その過程を中継などで見せることによって、見ている側にも冒険を追体験してもらうことに重きをおいていた。このことについて、「登山のショー化」などとして批判する人も多かったが、私個人はここに否定的感情は持っていない。むしろ、これまでの登山家ができなかったことを実現していると肯定的にとらえていたくらいだ。実際、エベレスト挑戦初期(2009年~2012年)は、この試みは成功していたと思う。いわゆる登山記録としては、栗城さんの成し遂げてきたことは特に意味のあるものではないが、栗城史多という登山家に価値があるとすれば、ここにこそあったと思うのだ。
ところが、2015年ごろから、この部分も中途半端になってきて、昨年2017年にいたっては、お粗末にすぎた。公開される映像はもともとわずかなうえに、本格的な登山活動に入ってからのものはほとんどなし。GPS発信器を携帯して、現在地をネット上でリアルタイムに表示するということも行なっていたが、発信が切れ切れのため、ときたま思い出したように表示されるだけで、ほとんど追体験ができない。フェイスブックなどでの情報発信も途切れ途切れで、ついにはそれもぱったり途絶え、どこでなにをしているのかがわからなくなった。発信が再開されたら、なんと北壁があるチベット側から、ネパール側に移動してきていて、西稜にルートを変えるという。聞いたことのないような行き当たりばったり。そして西稜への再トライも、ごく低い標高で中止となって終わった。
つまり、登山としても、冒険共有事業としても、やっていることがあまりにも支離滅裂で、アンコントロール状態にしか見えなかったのだ。登山に限らず、アンコントロールというのはもっとも危険な状態だ。どんなに難しく思える挑戦でも、本人が情熱と確信をもって取り組んでいるかぎり、他人がそれを止める権利はないし、情熱と確信があるかぎり、望みはゼロではない。しかしアンコントロールは違う。暴走をだれかが止めなければいけない。
>昔の栗城さんは、こんなことはなかった。登山ルートも、ここ数年ほど、でたらめに困難なところを選ぶことはなく、冒険の共有についても、意欲的に、主体的に行なっているように見えた。テレビで放映される派手なパフォーマンスには、好き嫌いはあっただろうが、だれかの心を揺さぶるものは確実にあったはずだ。私は心は揺さぶられなかったクチだが、その行為に一定の価値は認めていたし、なにより、意欲をもってやっている以上、部外者が口を差し挟むことではないと思っていた。
あるときから、栗城さんのなかで、どこか歯車が狂ってきていたのだと思う。最悪の結果になり、とにかく残念――という言葉もしっくりこない。残念というのは、近しい人であったりファンであったり、なんらかの思いを寄せていた人に使うべき言葉であって、2回しか会ったことがない人に対して、軽々しく口にするのは、かえって不誠実な気がする。現段階では、なんともいえず、虚しい、空虚な感情しか抱けない結果である。
それで、森山氏のツイッターで、興味深いツイートがありました。
>今まで読んだ栗城評の中で一番面白い。絶賛する人が多かった理由がちょっとわかる気がした。/大学の先生が栗城史多さんの思い出を語る - Togetter https://togetter.com/li/1230038 @togetter_jpより
上で引用されているまとめはあえて引用しないので、興味のある方はお読みになってください。めったなことは言えませんが、栗城氏という人物は、かなりぶっとんでいるというか、あるいは発達障害、もしくは精神障害とまではいわずとも、かなり特異な個性の持ち主だったのではないかと考えられます。そう考えると、彼の支離滅裂な行動がある程度理解(「いい」とは言いません。念のため)できそうです。
それにしても、たしかにこれらの記事を読むと、彼の遭難死についての感想は「同情」とか「共感」というのとはまた違いますね。私はとてもこのような人を支持することはできませんが、しかし森山氏も書いているように、たしかに彼のような人物にすごい魅力を感じる人がいるというのもある程度は理解できます。けっきょく栗城氏は、自分の暴走を止めることができなかったんでしょうね・・・。