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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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さすがに抜本的な改革を必要とする時期に来ているんじゃないか(不要な外出は控えるんじゃなかったっけ)

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昨今の猛暑はすごいですね。岐阜県では何年振りかの40度越えになりましたし、私の住んでいるあたりでもひどい暑さです。いう価値もないですが、職場でも「暑いですねえ」がお約束のあいさつです。

さてさて、そうとなると、日本の夏の風物詩、高校野球のことも考えないといけません。もうだいぶ前の記事ですが、これはどうでしょうか。

>埼玉大会で熱中症相次ぐ 熊谷38・3度

[2013年7月12日10時4分 紙面から]

 埼玉大会は11日、熊谷市で最高気温38・3度を記録したのをはじめ、県内全域で酷暑となり、熱中症で倒れる球児や関係者が相次いだ。

 川越初雁球場の第3試合では、川越西のエース井原彰吾(2年)が1点リードの9回2死で、突然マウンドにうずくまった。熱中症で右手にしびれを感じ、そのままグラウンドを後にした。熱中症による交代はチームで3人目。3回に横手優樹外野手(3年)、6回に森田京介内野手(3年)が、それぞれ暑さから両足をつり、救護室で治療を受けた。筒井一成監督(41)は「試合で倒れるなんて初めてです。何をやっているのか」とあきれ顔だった。

 試合後も川越西のダンス部員、熊谷西のマネジャーが倒れ、2台の救急車が出動する騒ぎとなった。川越西の主将、野村真吾外野手(3年)は「水分と塩分の対策からやり直しです」と猛省した。

 同じ光景はここだけではなかった。市営浦和球場では所沢西の応援に駆けつけた生徒5人、さいたま市川通公園野球場では越ケ谷の野球部員1人、生徒1人が救急車で搬送された。埼玉県高野連・高間薫専務理事(58)は「ちょうど期末試験が終わり、体が慣れていないんじゃないかな。対策を考えないと。毎日これでは困る」と話した。

この記事読んですげえなあと思ったのが、これを書いた記者に危機感が感じられないということです。危機をあおるような記事が、高校野球主催者である朝日新聞系列の日刊スポーツに掲載されることもないでしょうが、監督も、主将も、高野連の人も、どういう見解なんだよと呆れますが、書いている記者もそれをたんたんと報じているだけじゃないですか。実に問題意識がない。この監督は、炎天下でスポーツをやるのは危険だという認識に欠けていますね。主将も、

>「水分と塩分の対策からやり直しです」と猛省した。

はないでしょう。このような環境で試合をするということが根本的に誤っているということです。本人その他の自覚や準備の不備とかそういう話ではない。埼玉県の高野連の幹部に至っては、

>毎日これでは困る

だそうです。てめえ! 当事者だろ! と思います。無責任な人物です。

それにしてもこの記事、つい先週くらいの記事みたいですが、日付でわかるように2013年の記事です。5年前のものです。5年たって対応は少しはましになりましたかね。一応

熱中症対策で工夫  地方大会で高野連

毎日新聞2018年7月20日 19時00分(最終更新 7月20日 20時30分)

大会日程や試合時間の変更など
 連日の猛暑を受け、第100回全国高校野球選手権記念大会の出場校を決める地方大会で、熱中症対策で大会日程や試合時間の変更などを行う高校野球連盟が相次いでいる。

 暑さが強まる時間帯での試合を避けようと、滋賀では21、22日に4試合ずつ行う予定だった3回戦を午前開始の2試合のみとし、21~24日の4日間に分散した。準決勝の試合開始時間も当初より1時間半早め、逆に決勝は午後0時半から午後3時に遅らせた。

 ただ、準々決勝は25日に4試合を行う。滋賀県高野連の大久保雅生理事長は「暑さ対策も大事だが、2日間に分けると準決勝に進出したチームの中で公平性を欠く」と理由を説明した。

 21日以降は三、七回終了後には5分程度の休息を取る。守備時間が約20分続くか、10失点したのを目安に試合を一時中断し給水時間の確保も決めた。三、七回終了後の給水タイムは、岐阜や和歌山でも21日から導入し、岐阜ではベンチへの扇風機の持ち込みやうちわの使用を認める。三重では球場に業務用扇風機を設置する。

 東愛知、西愛知の両大会も22~25日の準々決勝と準決勝の試合開始を各1時間早め、準決勝と決勝を行う岡崎市民球場の外野席には日よけ用テントを設置。各チームには経口補水液を提供し、必要に応じて選手らの給水のための試合の中断を行う。京都でも21、22日の4回戦2試合ずつの試合開始をそれぞれ1時間早めた。

 19日に熊本市のリブワーク藤崎台球場で34人の観客が熱中症の症状を訴え、搬送されたことを受けて、熊本では21、22日の準決勝、決勝での全校応援の自粛を要請した。福岡は応援団の学ラン着用の原則禁止や帽子着用を求めたほか、山口では生徒の応援に中止や規模縮小を含めた態勢の見直しを呼びかけている。

 日本高野連は19日付で都道府県高野連に熱中症対策に万全を期すよう呼びかけている。【安田光高】

>2018.07.21.

大阪府教育長が朝夕の試合検討要望 高校野球の北大阪、南大阪大会で
 大阪府の酒井隆行教育長は20日の記者会見で、全国高校野球選手権の北大阪、南大阪大会での熱中症対策として、比較的気温が低い朝や夕方に試合時間をずらすことを検討するよう府高野連に要望したと明らかにした。

 夏の高校野球については、松井一郎知事が19日の記者会見で「状況の変化に応じてイベントも見直されていくべきだ」と開催時期の変更に言及。知事からの指示を受け、府教育庁として「時期をずらすのが難しくても、今の枠組みで工夫できることがある」と朝夕開催を提案した。

などある程度の改善もみられます。しかしやっぱり、遅々とした、牛歩の歩みじゃないですかね。

それにしてもこのままじゃ死者が出ますね。今年は出ないかもしれませんが、いずれ出るでしょう。そうなったらさすがに抜本的に改善されるんですかね? 組体操も、事故連発でさすがに問題になり、ある程度改善がされているようですが、しかし私が引用した非常識な事故を起こした学校の校長は

>今後の実施について検討する

なんていうこれまた他人事をほざいていた始末ですからねえ。この前年にも、この学校は組体操で事故を起こしています。なんかこの校長の無責任さと高野連の幹部の無責任ぶりが酷似しているように感じるのは私だけ?

タイトルにも書いたように、昨今不要な外出は控えるようなんていうことも言われているじゃないですか。それで運動して応援ですか。野球をしてもいいですが、するべき季節と時間が違うでしょう。

いいかげん真夏の炎天下の兵庫県西宮市で野球の試合をするなんてことはやめたほうがいいんじゃないんですかね。北海道でするとか大阪ドームを活用するとか、季節をずらすとか、ナイターにするとか、やれることはいろいろあるでしょう。死人が出てその人が人柱になって、それで改善されるというのなら、どんだけ野蛮な社会なのよです。地区予選だって、春の大会でそれをすればいいし、いろいろ改善はできるでしょう。

死者や一生寝たきりの人間が出なければ改善されないんですかね。そうなのでしょうが、お話にもならないとはこのことです。ちょうど参考になる事故がありました。

>伊勢神宮周辺の石灯籠、バス接触で落下 直撃の男性死亡

2018年4月15日20時48分

 三重県伊勢市楠部町の県道で14日、道路脇の石灯籠(どうろう)に路線バスが接触し、石灯籠の上部が落下。歩行者の男性の頭を直撃し、男性が死亡する事故があった。伊勢神宮周辺には民間団体が約60年前に建てた石灯籠が400基以上残る。地震などで倒壊のおそれがあるとして、県が随時、撤去を進めていた矢先だった。

 伊勢署によると、現場は外宮と内宮を結ぶ県道で、14日午前10時ごろ、三重交通の路線バスが道路左側にある高さ約2・5メートルの石灯籠に接触した。その衝撃で落下した灯籠の上部(幅約70センチ、高さ約60センチ)が、近くにいた同市神田久志本町の西沢政信さん(81)の頭部に当たった。西沢さんは間もなく死亡した。上部はボルトや鉄柱などでは固定されていなかったという。

 三重交通によると、運転手はバス停から約4メートル先の歩道上に、西沢さんら2人の男性の姿を発見。乗客かもしれないと思い、停車しようとして左に寄り、サイドミラーを石灯籠にぶつけたという。

 遺族によると、西沢さんは日課の散歩中で、居合わせたのは県外からの観光客だった。遺族はこの観光客から「石灯籠を珍しそうに眺めていたら、道路の反対側から駆け寄って声をかけてくださり、親切に説明をしてくださったところだった」と聞いたという。

 伊勢神宮周辺では、昭和30年代、民間団体が寄付を募って石灯籠を建てた。その後、団体が解散してからは所有者や管理者が不明のまま、老朽化が進んだ。

 2016年、県は伊勢志摩サミット開催を前に、特に危険だった32基を撤去。その後も年1回安定性を調査し、17年度は28基を撤去した。

そうしたら行政側も早急に動いたわけです。記事を。

>お伊勢さんの石灯籠見納め 死亡事故受け夏までに撤去
安田琢典2018年5月16日16時02分

 伊勢神宮(三重県伊勢市)周辺の沿道を彩ってきた石灯籠(どうろう)が、今夏までにすべて撤去される。路線バスのサイドミラーが接触して上部の石が落下し、歩行者に当たって死亡した事故を受け、国、県、市が話し合って決めた。住民や観光客からは、安全に配慮した決定を支持する意見がある半面、半世紀以上にわたって「伊勢らしさ」を醸してきた石灯籠の撤去を惜しむ声も聞こえてくる。

 ゴールデンウィーク中、伊勢神宮には多くの参拝客が訪れた。年に数回参拝するという三重県松阪市の奥山幸司さん(72)は「当たり前だった景色がなくなるのは寂しい」。愛知県岡崎市から初めて伊勢を訪れた会社員山田広輝さん(19)は「撤去を知り、残念に思った。危険なものだけ取り除くか、全体的に修繕するかして残せばよいのに」と惜しんだ。

 住民の反応は複雑だ。内宮近くで飲食店を営む男性(62)は「東日本大震災以後、撤去すべきだという声が増えたと思う。観光資源として生かすなら、行政はもっと早く対処すべきだった」と話す。自宅前に石灯籠がある男性(69)は「人命が失われた事実は重く、撤去は仕方がない。ただ、伊勢の雰囲気をより情緒的なものにしていたのも事実」という。

 市監理課などによると、石灯籠はJR伊勢市駅前から内宮までの間に500基以上が残る。1955年に設立された民間団体「伊勢三宮奉賛献灯会」が寄付を募り、道路の占有許可を得たうえで順次、建設した。高さ2・4~6メートルの4種類があり、柱には元首相の吉田茂や岸信介、東急電鉄創始者の五島慶太ら寄進者の名前が刻まれている。

 当初は内宮の別宮・伊雑宮(三重県志摩市)を結ぶ16キロへの「奉献」を目的としたが、団体は64年に解散。以後、管理者不在のまま道路を占有する「不法状態」が続いていた。

事故があって1か月でこうですか。つまり私物を公金で撤去するのはどうよというので行政が積極的に動かなったわけですが、死亡事故が起きてはそうもいっていられなくなったということでしょう。それもどうかですが、なにはともあれ一歩前進というべきなのでしょうか。


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