京都の祇園祭といえば、日本でももっとも知名度の高い祭りでしょうが、私はまだ行ったことがありません。実のところあんまり祭りhが過ぎ出ないので、地元の祭りも、客としてもスタッフとしてもその他担い手としては最大限かかわらないようにしているのですが、祇園祭くらいは、社会勉強で行ってみてもいいかなと考えています。
が、そういった一般論というより、私には祇園祭の時期に京都に行きたいという理由があるのです。それは、この時期に、京都で映画『祇園祭』を観ることができるからです。ちょうど半世紀前の1968年に制作された映画です。
この映画は、Wikipediaを引用すれば、
>製作:日本映画復興協会、協力:京都府・京都市・映画「祇園祭」製作上映協力会、配給:新日本興業・松竹映配。原作は西口克己の同名小説「祇園祭」(1961年、中央公論社刊)。イーストマンカラー、シネマスコープ。168分。著作権は京都府が保有し、原則的に1回50,000円の上映料金で貸与している。祇園祭の時期には京都府京都文化博物館で数回上映される。
というわけです。原作者の西口氏という人物は、小説家であるのと同時に京都市議、京都府儀もつとめた日本共産党の政治家であり、そう考えると蜷川府政時代の京都では、おあつらえ向きではあったのかもしれません。
さらにWikipediaの引用を続けますと、
>「祇園祭」の映画化が再浮上し、製作が具体化したのは、京都府政百年記念事業として京都府及び京都市の協力が得られる見通しが立った1967年7月で、「日本映画復興協会(代表中村錦之助)」の名の下に同年8月に製作発表された。監督伊藤大輔、主演中村錦之助、製作費1億5千万円、同年11月クランク・イン、翌年4月公開の予定だった。しかし、脚本の問題、スタッフの降板、製作費の調達などで難航し、ようやくクランク・インしたのは1968年8月だった。その後も、脚本完成の遅れ、伊藤大輔から山内鉄也への監督の交代、出演者の日程調整、製作費の増大(約3億円)、さらには政治的介入、ロケ現場での暴力団による妨害もあり、まさに艱難辛苦の末に完成した映画であった。最初の企画から完成まで実に7年を経た労作でもある。
そうした一方で大手映画会社の主導ではなく、新たに設立された独立プロの日本映画復興協会による自主製作であったため、五社協定に縛られた映画会社の枠にとらわれず、東映、東宝、松竹出身のスター俳優が進んで参加し、フリーの新劇俳優も加わり、豪華で異色な配役となった。また、群衆シーンのエキストラとして、京都市民も数多く参加している。
新日本興業・松竹映配の配給で、封切りは1968年11月23日。通常の邦画系映画館ではなく洋画系映画館にてロードショー公開され、大ヒットを記録した。東京では新宿ミラノ座、渋谷パンテオン、松竹セントラルの3館で翌年1月10日までの7週間上映され、観客動員数30万9,800 人、興行収入1億1,441万円を上げ、それまでの邦画ロードショーの新記録を樹立している。ロードショー終了後はフリー・ブッキングで日本各地の映画館や市民ホールで上映された。この成功は、日本の観客が時代劇に関して興味を持ち続けていることを証明し、また、映画会社大手5社によるブロック・ブッキングの配給制を打破したという点で、日本映画産業の将来に大きな影響を与えた。
作品の上映権は現在京都市が所持しており、その他権利関係が複雑に絡んでいるためソフト化の機会は得られておらず、祇園祭のシーズンに京都文化博物館・映像ギャラリーで行われる上映会が唯一の一般公開である。
つまり、その他の機会ではなかなかこの映画を観ることができない、しかし祇園祭のシーズンならこの映画を観ることができるわけです。それなら、祇園祭見学にかこつけて、この映画を観るのも私のような人間にとっては非常に楽しいというものです。
さらにフィルムの劣化褪色への対応もされています。新聞記事の写真を引用します。
なお、上の2枚の写真は、こちら様からいただきました。感謝を申し上げます。
それで今年はもう観ることは私はできませんが、今年の上映はつぎのような予定だったようですね。
そういうわけで、来年は何とか都合をつけて観てみたい気がします。明日が今年の最終上映ですので、都合がつく方がもしいらっしゃいましたら、ご覧になってはいかがでしょうか。
来年観たら、レポート記事を書きます。気の長い話ですが、乞うご期待。またWikipediaの脚注の番号は、削除しましたことをお断りしておきます。