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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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私に「保証人になってくれ」と頼む人間の保証人にはなりたくない

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映画「アニー・ホール」だったかで、グルーチョ・マルクス(グラウチョのほうが発音は正しい。「セサミ・ストリート」に出てくるオスカーの「グラウチ」と同じ)の言ったというセリフで、「おれをメンバーにするクラブには入りたくない」というのがありました。この出典は知りませんが、でも確かにそういうことはありますよね。自分みたいな人間をメンバーにするクラブなんかろくなクラブなわけがない、ということでしょう。

しかしそういう類のことを考えると、いろいろ当てはまりますね。それで私が考えたのが、この記事のタイトルです。すなわち、

>私に「保証人になってくれ」と頼む人間の保証人にはなりたくない

です。Bill McCrearyに借金の保証人になってくれなんて頼む人間は、よほど(ありとあらゆることに)困っている人間でしょうから、そんな人間の保証人なんか引き受けられるわけがありません。

そもそも借金の保証人(借金の保証人は、自動的に連帯保証人です)なんてはじめからなるべきではありませんが、ましてや私のような人間に保証人を頼むような危険な人間とはつきあえません。当たり前な話です。

幸い(あるいは当然にも)私はいまだかつて他人から保証人になってくれと頼まれたことはありません。だからいまだかつて保証人になったために損害を受けたことはありませんが、これは死ぬまでそうありたいですね。たぶん世間で人を見る目のある人は、私にはそんなことを頼まないでしょうから、やはり私が保証人になることは絶対なさそうです。よかった、私そういう性格で。

そもそも「迷惑はかけない」なんていわれるときはだいたい迷惑を受けるし、「形式的なものだから」といわれたときは形式ではすまないし、「名前を貸すだけだから」なんていわれても名前を貸しただけでは話が終わらないのです。それが世の中です。


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