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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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シルヴィア・クリステル 1975年のインタビュー(1)

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原田美枝子主演の『大地の子守歌』についてちょっと調べていまして、やはり『キネマ旬報』の当時のBNを参照したいなと考えて、なんとか入手しました。1975年12月下旬号です。シナリオから、スチール写真、撮影風景スナップ、原作者、監督、脚本家のコメントもある大変貴重な号です。

それで、この号のメインは、シルヴィア・クリステル主演の『続エマニエル夫人』の特集でして、シルヴィアさんや監督ほかのインタビューから採録でなく翻訳されたシナリオまで掲載されているというこれまた優れものの特集です。

そういうわけで、シルヴィア・クリステルのインタビューを採録することとします。これはけっこう貴重かも。どっかですでに採録されているかもですが、まあいいでしょうと無責任に考えて記事にします。以下前振りも一緒に採録します。執筆者である西村雄一郎氏は、映画についていろいろ本を書いています。ユミ・ゴヴァース氏は、アラン・ドロンの本を出版したり、寺山修司の映画のコーディネーターをしたりしている記録があります。なお西村氏のブログのこちらの記事では、シルヴィアのインタビューについて書かれています。それでは…。なお、「シルビア」ほかの表記はすべて原文のまま、また質問と答えには、スペースをあけました。便宜上、シルヴィアさんの答えは、青文字に、質問は緑にします。

 >パリ現地取材による特集!(採録者注・原文は、斜めのマーク)

「続エマニエル夫人」を作った三人へのインタビュー

西村雄一郎/ユミ・ゴヴァース

シルビア・クリステル

六つのシナリオ

 クリュニー美術館の、横のカフェで地合わせを終えて、指定の時間にシルビアのアパルトゥモンへ向かう。彼女のアパルトゥモンは、カルチェ・ラタンのなかにある。

 古めかしいエレベーターに乗って、三階へ。ベルを押すとメイドさんが出てきた。「どうぞ」とドアが開いて、部屋のなかにはいる。いったい、シルビアはどこにいるのか?

 そう思った時、正面のソファにすわって煙草をすっていた一人の女が、暗い光線のなかから、スッと立ち上がって、こちらに向かって来た。そして、「ボンジュール」と言って手を出し、握手して我我を迎えた。ああ、この人がシルビア・クリステルなのだなと、その時、ようやく気がついた。

 私はちょっと驚いてしまった。黒いソファーの上に、赤いとっくりのセーターと、ブルーのジーンズをはいてすわっている彼女を見ていると、あの映画の上の妖艶な彼女とは、まるで違う人を前にしているような気がする。スラッとした細おもてで、髪をむぞうさにあげて、化粧も何もしていないクリステルが、そのへんのパリの街角を歩いていたら、人は、おそらく、それが彼女だとはわからないだろう。素顔のクリステルは、まったく普通の女の子だった。

 彼女は写真を写すことを、かたくなに拒否した。「白黒ですから」とか、「グラビアじゃないですから」とか、「後ろからとりますから」とは言っても、一切、彼女は受け付けなかった。

 横のゆりかごのなかに、生後九ヵ月のアーサー君が寝ていた。「アーサー王からとった名だ」と、彼女は言った。インタヴューのところどころで、アーサー君が泣くと、そのたびに、彼女はそちらの方を気にしていた。

 インタヴューのなかで、手まねをいれたり、眼をクルクルまわしたり、そのリアクションを思いめぐらせば、やっぱり彼女はかわいい雰囲気をもった人なのだなと、思った。

 十一月七日、午後五時である。

 

 ―クリステルさんは、第一作と第二作の「エマニエル夫人」に出演されたわけですが、その間にかなり大きな変化がありましたか?

 クリステル(以下K) 第二作目は大騒ぎでした。これには最初六つのシナリオがあって、最終的には、その六つを混ぜ合わせたような映画になっちゃったわけ。この映画、なんていうか、行きあたりばったりで撮られたみたいなところがあるのよ。といっても、スタッフの人達は、みんないい人ばかりで、意気投合しました。撮り終わった後の感想は、悪くないですね。

 ―香港ロケはどうでした?

 K とても楽しかったですよ。ちょっとアムステルダムに似てて、ちょっと危険で(笑)、魅力のある街だと思いますよ。撮影は大変だったけど…。例えばこういうことがあったわけ。明日50人の子供を乗せたトラックが欲しい、というわけね。それを香港の人々にたのむと、彼らは「ハイ、ハイ」と言ってニコニコ笑ってるのよ。その日になってみると、トラックが来ない。「どうしたんだ、トラックは?」と聞くと、彼らは「今、来ます。今、来ます」と言って、いつでも笑ってるわけ。一日じゅう待って単だけdも、待てどくらせど50人を乗せたトラックは来なくて、とうとうその日の撮影は、全部オジャンになったことが、ありました。私たちも、中国人はいつも笑ってるんだなと、だんだんわかってきたけど、最初のうちはニコニコ顔にだまされて、こっちは正直に待ってたのね。(笑)そんなことは、ザラでしたよ。

 ―なるほど、笑ってばかりいたら撮影は進みませんね。

 K でしょう? そんな意味じゃあ、製作者にとっては、香港ロケは、大変むずかしかったと思うな。まあ第一作と第二作と比べると、二部のほうがより深くなっているけれど、一作にもあった甘い美しいイメージでまとめるという点は、変わってませんね。“夢”っていうのかな。(採録者注:太字部分は原文は傍点)

 ―そうですね。女性の夢っていうのが、描かれているんでしょうね?

 K とんでもない! 女性の夢じゃなくって、あれは男性の夢、ですよ。

 ―男性的な夢ですか?

 K そう。でも男性の理想像としての女、というもが、こおえいがでは描かれているのかもしれないけれど、これは不可能ですよ。自由も結構、あっちこっちで寝るのも結構だけれど、パートナーがいる場合、この映画みたいなわけにはいかないわよね。独身生活してフリー・セックスをとるか、ある一人の愛する人との共同生活をするか、どちらをとるかの問題、でしょうね。私は夫婦生活とフリー・セックスをゴタゴタにすることは、できませんね。

 ―ところで、映画のことにもどりますが、第一作のジャキャン、第二作のジャコベッティと、カメラマン出身の二人の監督と仕事をされたわけですが、二人を比較して、どうですか?

  K ジャキンは「エマニエル夫人」の前に、テレビや短編をつくっていたので、カメラをどこにおいたらいいか、そういう映画のつくり方については、よく知ってたみたい。それに対してフランス(ジャコベッティ)は映画の技術的なことは全く知らず、そちらの方に強い助監督をいつもつけてたみたいね。でも、彼はそのかわりに、非常に大きな美的センスをもってる人だと思うわ。彼はエロティシズムという感覚では、最高ね。ジャキャンの方の愛の描写は、もっとリアリズムなんだけれど、ジャコベッティの方が、よりエロティシズムがあふれている、と思うわ。ジャキャンは、もっとルポルタージュとか動きのある映画の方に向いている人じゃないですか。そういう意味で、彼が「O嬢の物語」をとったことに対して、残念な気がするわね。商業的にはどうなるかわからないけれど、私としては二作目のほうが、美しくできてると思う。

 ―ジャコベッティはエロティシズムの写真かとしては、有名な人ですかもね。

  K そう、でも、私は彼のエロティシズムのイメージに、同感しているわけじゃないのよ。つまり、どういうものかな。ソファーにすわってまたをひらけとか、エロティック・フィルムの写真家は、すぐそういう姿勢を要求sるけれど、隠されている所、見えない所にこそ、エロティシズムはあるんですよ。私はそう思うわ。フランスは、家具とかアクセサリーとか、いろんなものを画面の中におきたがるの。それに、私のお尻を写したがるのね。

 ―あなたは、それに賛成しないわけですね?

  K 私にとってエロティシズムってのは、肉体的なことじゃなくって、そうもっていくための雰囲気なのね。(採録者注:太字部分は原文は傍点)

(つづく)


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