映画の記事を書く場合、どうも追悼記事が多くなってしまうのが残念なんですが、当然「このようなすごい映画監督が誕生しました」なんて記事を書くことはできないので、けっきょく亡くなった人の追悼記事を書くことになってしまいます。映画監督の降旗康男氏がお亡くなりになりましたね。記事を。
>降旗康男さんが死去 映画監督「鉄道員」「新網走番外地」
2019/5/26 20:08
映画「鉄道員(ぽっぽや)」「あ・うん」などを手掛けた映画監督の降旗康男(ふるはた・やすお)さんが5月20日午前9時44分、肺炎のため東京都内で死去した。84歳だった。連絡先は東映総務部。告別式は近親者で行った。喪主は妻、典子さん。
1957年に東京大仏文科を卒業、東映東京撮影所に入社。66年「非行少女ヨーコ」で監督デビュー。高倉健さん主演の「新網走番外地」シリーズや菅原文太さん主演の「現代やくざ 与太者仁義」などで、東映の任侠(にんきょう)映画路線の一翼を担った。
74年の独立後も「冬の華」(78年)、「駅 STATION」(81年)「あ・うん」(89年)「ホタル」(2001年)など、いずれも高倉さんとのコンビで人間ドラマの秀作を残した。浅田次郎さん原作の「鉄道員(ぽっぽや)」(99年)も高倉さん主演で大ヒットし、日本アカデミー賞最優秀監督賞・最優秀脚本賞を受賞した。02年に紫綬褒章、08年に旭日小綬章。
東映によると、遺作となった17年5月公開の「追憶」を撮影後にパーキンソン病を発症し、療養していた。
先ごろ、次のような記事を書きました。
これが2月18日付の記事で、佐藤監督が1932年生まれ、降籏監督が1934年生まれですか。2人とも高倉健主演の映画をたくさん作り、そして高倉の死から間もなく旅だったわけです。佐藤監督は、遺作が2010年の後悔だったわけで、2017年公開の作品が遺作となった降籏監督のほうが、映画監督人生はまっとうできたのかと思います。
それで佐藤監督の追悼記事で引用した記事に、彼が監督した「北京原人 Who are you?」について
>同時期に公開された『タイタニック』、『メン・イン・ブラック』などの強力な競合作の前に、興行成績も芳しいものではなく、採算割れが発生した。当初より上映日数が縮小され、当作品上映期間終了後の2月公開予定だった『極道の妻たち 決着』が1月17日公開に繰り上げになるなどの東映系の上映スケジュール変更が発生した。映画会社社員による覆面座談会形式の取材を基にするとした1999年のゴシップ誌の記事によれば、この損失は1999年の『鉄道員』のヒットによって補填できたと記されている。
とありまして、その映画を監督したのが降籏氏だったわけです。佐藤監督はそんなことは思い出したくもないことでしょうが、そういう変な因縁(?)もあったわけです。2人とも東映を退社してからずいぶん経っていましたが、けっきょく降籏さんは東映を救ったことになります。同じく当方を退社した高倉健さんともども。
余談ですが、これはご存知の方が多いと思いますが、黒澤明の「乱」に、高倉健はオファーされていました。彼の役は、映画では井川比佐志が演じた鉄修理というものでしたが、ちょうど降籏監督の「居酒屋兆治」と被ったため、出演がかないませんでした。後に高倉は断ったことを後悔したというのですが、あるいは仲代達矢の演じた主人公一文字秀虎の役だったら受けたのかもとか考えます。が、そんな私の論拠のない憶測はともかく、高倉にとって降籏監督の存在はそれほど大きかったわけです。
なおWikipediaにもありますように、降籏監督は、日本共産党の支持を鮮明にしていました。そういう点では山田洋次監督とも共通しています。共産党に賛同したり激しく反発したりした人たちが多い世代ということなのでしょう。山田監督は1931年生まれで(おっと、今年米寿じゃないですか)、降籏監督の3歳年上です。それでおそらくですが、彼が共産党に近づいたのは、父親への反発ということもあったのでしょうね。産経新聞の記事にも次のようにあります。なお会員限定記事ですので非会員の私は読めませんから、bogus-simotukareさんのブログより引用します。
>父親の徳弥氏は、吉田茂内閣で逓信大臣を務め、その後故郷の長野県松本市の市長となる。
とあり、それは降籏監督としてはあまり支持できるものではなかったのでしょう。そういう意味では、やはり父親に反発した堤清二氏に近いかもしれません。
ところで降籏監督は、主に70年代から80年代にかけてはテレビドラマの演出も手掛けていました。上の記事では触れられていませんが、他の訃報記事では、「赤いシリーズ」の演出もしていたことが記載されていましたし、また刑事ドラマなどのアクションものも手掛けていました。先日私が記事にした「87分署シリーズ・裸の街」も2エピソード演出をしています(第8話と第23話)。いわゆる職人監督としても手堅い実力を発揮していたわけです。
「封印作品」というのは、思った以上に多い(理由も、差別表現ばかりでなく著作権や出演者の不祥事などいろいろ)記事を書いていたら、高倉健主演の降籏監督の映画を観たくなりました。上の「居酒屋兆治」でも観ようかな。降籏康男監督のご冥福を祈ってこの記事を終えます。写真は、2017年5月4日、「追憶」の公開直前イベントでの降旗康男氏です。こちらからいただきました。またbogus-simotukareさんに感謝を申し上げます。