すみません。しばらくぶりの名古屋の闇サイト事件に関する記事です。ただ今回は、いつも私が批判する被害者の母親の件ではありません。最終的にはつながりますが、母親を直接批判・非難するものではない。
もう何か月も前の話ですので、時事性には欠けますが、知ったのが10月15日ということなので記事にします。左翼系出版社で、死刑関係についての著作も多く出版(年報・死刑廃止は、死刑への賛否を超えて基礎資料として重要なものです)しているインパクト出版会のサイトを見ていて、次のくだりで驚きました。
>2019/05/24朝日新聞が広告掲載を拒否<朝日新聞が広告掲載を拒否>
5月21日23日で『鎮魂歌』の配本を終えました。
(『鎮魂歌』インパクト出版会刊 - http://impact-shuppankai.com/products/detail/282)
25日の朝日新聞の書評欄下の5段10割スペースに『鎮魂歌』を筆頭に5点の本の宣伝原稿を入稿したのは20日、22日に校正が出て校了、ところが23日朝、朝日新聞広告部の審査が通らなかった、この本を他の本に差替えてくれと広告代理店から電話が。
理由を聞いても要領を得ない。
直接、審査部に電話して話を聞こうと担当者名を聞いてしても、ニュースソースは教えられないと代理店は言う。
これがニュースソースなのか?
かつて死刑囚の本を朝日に広告していた資料を自宅にわざわざ帰って探し出しファックスし、なぜ今回はダメなのかを問う。
代理店は、
1、闇サイト事件だからダメだ
2、受刑者であって刑を償ってないからダメだ
3、過去にどうしたかではなく、その時々の判断で決める
と審査部が言っている、審査部が言うことは変えられないと言う。
天下の朝日新聞が、その時々の気分で広告掲載審査やるようでは、記者がどんなにいい紙面を作ろうと頑張っても足下から表現の自由が崩壊していく。理不尽な審査が、小さな権力者によって行われているのだ。
事件を真摯に悔い、いのちを削って書かれたこの本が、広告掲載できないほど恐ろしい本なのか?
詳しくはこちら
けっきょくこの件は、朝日新聞社側が非を認めて掲載されるということになったそうです。それならよかった。なお、問題となっている本はこちら。
それにしてもこれもひどいですね。そもそも死刑囚による手記、あるいは著作などはたくさんありますが?
有名どころを上げただけでも、すでに刑死していますがかの永山則夫氏や名古屋での連続殺人事件の勝田清孝氏(のちに藤原姓に改名)、大久保清氏、名古屋で誘拐殺人事件を起こした木村修治氏(インパクト出版会から手記が出版されました)、執行はされませんでしたが(獄中で病死)、警視庁の元警部が強盗殺人を犯したので有名だった澤地和夫氏、またこちらは冤罪ですが、かの袴田巌氏も死刑確定後に著作が出版されています。なお上にあげた人たちは、すでに死亡あるいは冤罪と考えられますので、敬称を付けました。
死刑囚というのは、基本的にそれなりの衝撃や話題、議論を社会に提起したわけで、彼(女)らが著書を出すのは特に意外ではないし、また彼(女)らをモデルにした小説、ルポルタージュ(ノンフィクション)などもたくさん出版されていますし、映画やドラマも制作されています。かの吉永小百合だってそのような映画に出演しているくらいです。
この件は、たぶん死刑囚が著者であるという側面のほかに、上にもふれられているように、この事件が闇サイト事件であるという点も問題となったんだろうなと思います。おそらくですが、被害者遺族(ら)がうるさいので広告を出すことを嫌がった・・・という部分がありそうですね。
上に引用した「週刊金曜日」での報道が正しければ、これは朝日新聞社の組織的な問題というよりは、担当者の忖度、勇み足だったんでしょうか。朝日新聞側もすぐに対応・撤回したのだから確かにそうなのかもですが、やっぱり朝日新聞社側としても、広告拒否というのはやりすぎでも、それでも積極的にはかかわりあいたくないというところもあったんですかね。そのあたりについて朝日新聞社に「どうなんだよ」と聞いたところでお答えはないでしょうからこれ以上詮索するつもりもありませんが、タイトルにもしたように、そんなに「闇サイト事件」というのは、扱うことを慎重にしなければいけないのか、遠慮しなければいけないのかなあと思います。私は、あの事件で死刑というのは不当に重い刑罰だと考えますが、それはともかくとしても、いろいろな意見を述べたり発表したりすることは重要じゃないですかね。この事件の犯人の1人で死刑執行済みである死刑囚だって、控訴すれば減刑になった可能性は十分あったし、これは私が何回も批判をしたことですが、被害者の母親のめちゃくちゃな発言を、法科大学院(!)で講演させたり毎日新聞がそのまま垂れ流したりするわけです。そういう話は、もしどうしてもしたいのなら、「犯罪被害者・家族・遺族の集い」(仮称)とかでやればいいし、自分の著書やHPですればいいのです。そうでもなければ傾聴ボランティアに話せばいい。あんなものをマスコミがそのまま垂れ流していてはどうしようもありません。いくら最愛の娘を理不尽に殺された気の毒な犯罪被害者遺族であっても、あのような発言を法科大学院でさせてあげることはないし(当たり前です。なおこの法科大学院は、すでに募集停止をしています。こんな愚劣な講演会を開く法科大学院なんて、募集停止になって当然です)、ましてやマスコミが報道してあげるようなレベルのものではない。そこにはなんら、合理性や妥当性がないじゃないですか。犯罪被害者(家族、遺族)にだって、彼女よりまともなことを話す人はたくさんいるわけで、あのような人物の話を垂れ流したり拝聴したりすることはないわけです。
裁判官が判例に固執することを批判して、なにがどうなってほしいんだか
まあでも、右翼が安倍晋三のことを批判しないのと同じように、闇サイトの被害者の母親、というか闇サイト事件というのは、扱いが難しい事件なんでしょうね。私のような人間は、「この母親の言っていることおかしいじゃん」と考えれば批判をしますが、世の中「母親がかわいそうだ」とか言って、批判をしないわけです。いまさらマスコミにどうこう言うつもりもないですが、批判すべき点は批判をしないといけません。そういう融通がきく部分は、私たちネット論客の強みです。犯罪被害者遺族であろうと何であろうと、上の記事で私が批判したようなものは、どんどん批判しなければいけません。