Quantcast
Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4143

「最悪の誘拐殺人事件」に関する記事をご紹介(ほかの死刑囚についての情報もあり)

$
0
0

前にこのブログで、1984年に福山市で起きた誘拐殺人事件についての記事をいくつか発表したことがあります。

最悪の誘拐殺人事件 「最悪の誘拐殺人事件」の現場を歩いてみることにする(改題しました) 「最悪の誘拐殺人事件」の現場へ行ってきた 「最悪の誘拐事件」の現場を歩く(1) 「最悪の誘拐事件」の現場を歩く(2) 「最悪の誘拐事件」の現場を歩く(3)

なぜ私がこの事件を「最悪の誘拐殺人事件」と考えたかは、一番上の記事にその理由を書いていますので、興味のある方はご覧になってください。

それで先日、この事件についてちょっとネットで調べていたところ、興味深い記事を発見することができました。死刑制度への賛否を超えて、なかなか貴重な内容かと思いますので、ぜひお読みになってください。東京新聞が、昨年(2018年)大晦日の12月31日に発表された記事です。

><死刑を考える>教誨師 「加害者にも目を向けて」

2018年12月31日 朝刊


「死刑囚にも目を向けてほしい」と話す広島拘置所の教誨師山根真三さん=広島市西区で


 広島拘置所のボランティアとして三十年間、死刑囚に寄り添ってきた教誨(きょうかい)師がいる。日本キリスト教団広島西部教会牧師の山根真三さん(74)。これまで三人の死刑囚を支え、刑執行の現場も立ち会った。「死刑囚も同じ一人の人間。被害者や遺族はもちろん、加害者にも目を向けてほしい」と願う。 (奥村圭吾)

 一九八八(昭和六十三)年、知人の牧師の紹介で教誨を引き受けるようになった。直後に担当したのが、八四年に広島県福山市で発生した「泰州(やすくに)くん誘拐殺人事件」の津田暎(あきら)元死刑囚=執行時(59)。自分が指導する野球チームの男児を身代金目的で誘拐、殺害して死刑判決を受けた。

 「人は誰しも心の中で怒り、憎しみ、人殺しをしているようなもの」「あなただけが特別ではなく、皆同じ土俵の人間なんです」

 一日一時間、月二回の教誨を続けるうち、津田元死刑囚はキリスト教の考えを受け入れるようになり、四年後には洗礼も受けた。

 九八年十一月。体調を崩した山根さんが、翌日の教誨中止を拘置所に申し出ると、職員から思いも掛けない言葉が返ってきた。「実は明日、執行があるんです」

 急いで拘置所に向かった山根さんが持ち込んだのは、津田元死刑囚がファンだった歌手マライア・キャリーとセリーヌ・ディオンのビデオ。「ものすごく、ええなぁ」。十年間で一番の笑顔でスクリーンを見つめていた。

 翌朝、教誨室で再会した津田元死刑囚の顔色は蒼白(そうはく)だった。それでも「神様のところに行きます」と言い残し、旅立った。

 執行後、刑務官らの顔はこわばり、刑場は極度の緊張感に包まれていた。「とても悲しく、後味が悪かった。もう二度とない方がいいと思った」と振り返る。

 ◇ 

 「確定から一年たったんで。早く執行してください」。九九年に山口県下関市で通行人らを車で次々とはねるなどして十五人を死傷させた「下関通り魔殺人事件」の上部(うわべ)康明元死刑囚=執行時(48)=に言われた言葉を、山根さんは忘れられない。

 「病気の余命宣告をされたようなもの」「生きる努力をしないといけない」。説得は二時間に及んだ。納得してくれたかと思ったが、その日を最後に教誨を頼まれることはなくなった。拒否の理由は「あなたは私を殺してくれないから」。三年後の二〇一二年三月、刑は執行された。

 今も自ら死刑を望み、事件を起こす凶悪犯は後を絶たない。現在、三人目の死刑囚を受け持っている山根さんは「死刑が重犯罪の抑止につながっているかは疑問」と話す。

 死刑に反対するのは、日本が憲法九条を通じて非戦を誓う国だから。「国家が人を殺す点では戦争も死刑も同じ。戦争を否定して、死刑だけを認めるのは矛盾していないか」

<教誨師> 拘置所や刑務所、少年院を訪れ、希望者に宗教の教義に基づく話などをボランティアで行う宗教家。1872(明治5)年7月、真宗大谷派の僧侶が名古屋監獄(現・名古屋刑務所)の前身である徒場で囚人に対する説教を行ったのが始まり。今年1月現在、全国教誨師連盟に1846人が登録。内訳は、仏教系1199人、キリスト教系262人、神道系222人、諸教163人となっている。

この事件の犯人である死刑囚が、キリスト教に帰依したのは私も知っていましたが、この教誨の関係は、この記事で初めて知りました。昨年の「報道特集」で、この死刑囚が執行の瞬間「皆さんありがとうございました」というような趣旨のことをのべて旅立ったということは、たしか報道されていました(番組では、彼の固有名詞は出てきませんでしたが)。また私が入手した

年報・死刑廃止99」に、この件の記事があり、それによると

>死刑執行の前日、「師の風邪の不肖の弟子に染されず」と読まれたのが最後になりました。師と仰ぐ教誨師の先生が、風邪をひかれていたのに、彼のために教誨に来られたことへの、心から感謝の気持ちを歌われたものでしょうか。(p.118)

とありました。津田死刑囚の弁護人の方が書かれたものですが、上の記事と合わせ読むと、いろいろ考えさせられます。なお本の中にも、マライア・キャリーとセリーヌ・ディオンの歌を楽しみにしていたということは紹介されていました。

それで、津田死刑囚以外のことで私が興味を持ったのが、

>「下関通り魔殺人事件」の上部(うわべ)康明元死刑囚

です。彼が、早く執行してくれと求めていたとは知りませんでした。弁護士と再審の打ち合わせなどもしていたようですが、けっきょく再審申し立てには至らなかったようです。そのせいでもありますが、彼が確定後4年での執行という早い執行だったのは、彼が早急な執行を希望していたということもあったのかもしれません。

ところで記事に出てくる山根氏ですが、どうも大杉漣の遺作である「教誨師」にも、取材対象者として協力したようですね。「朝日新聞」の記事より。

>死刑囚役の「ありえなくない?」 光をあてた大杉漣さん

阿部峻介、山田暢史 2018年10月6日16時08分

写真・図版

 故・大杉漣さんの遺作となる映画「教誨師(きょうかいし)」が6日、公開された。大杉さんが演じる牧師と、6人の死刑囚との対話をひたすら描く異色の会話劇だ。取材をもとに脚本も手がけた佐向大(さこうだい)監督(46)は「死刑の是非が議論になるなか、制度を考えるきっかけになれば」と話す。

 気のいいヤクザの親分、関西弁でまくし立てる中年の女性、冤罪(えんざい)をうかがわせるホームレスの男性……。映画で牧師は、拘置所の教誨室で6人の死刑囚と向き合い、その言い分にときには戸惑いながらも、「魂は生き続ける」となだめる。

 一つの山場は、挑戦的な態度を崩さない若者との対話だ。「そもそもさ、国が国民の命奪うなんてありえなくない?」「なんの情報も公開しないくせに(死刑制度の)支持も何もないでしょ」。次々と問いを浴びせる若者に、牧師も翻弄(ほんろう)される。

 「社会復帰を手助けするのが教誨師のイメージだった。じゃあ死を待つだけの人に対する教誨は何の意味があるんだろう、と興味があった」と佐向監督。死刑を執行する刑務官を題材にした「休暇」(2008年公開)の脚本を書いた経験から、制度を取り巻く現状に対する関心が強くなった。

 「世界では廃止の流れがあるようだけど、日本では8割の人が容認しているという。なぜなんだろうと」。死刑囚の実態に近づくことで考えを深めようと、今度は教誨師に焦点を移した。複数の教誨師や元刑務官に取材し、実在の事件も参考に脚本を書き上げた。

 日本キリスト教団広島西部教会…

これは有料記事ですので、朝日新聞のサイトでは残念ながらここで途切れていますが、こちらのブログさんに、その続きが引用されていました。

日本キリスト教団広島西部協会の山根真三牧師(74)は映画について「なかなか報じられない死刑の一側面に光を当てようとした。社会的に意義のある取り組みだ」と語る。

これまで3人の死刑囚の教誨をした。
月1回、10年以上にわたって対話を続けた相手もいる。
「欲望は誰にもある。あなたと私はちょっとしか違わない」。
そんな話を続けるうちに、相手は自ら聖書の原典にあたり、洗礼を受けるほどだった。
変化を見せた末に、刑を執行された。

「彼は『死刑囚は公人でもある』と言ったが、社会に教訓を還元させる存在という意味では、その通りだと思う」と山根牧師。
「取り返しのつかないことをした人が、死んでいくまでに何をし、どう変わったのか。
映画は6日から東京、名古屋、大阪などで先行上映され、全国57か所の劇場で順次公開される。

(阿部峻介)

いろいろ差しさわりがあるので取材に協力したとは記事にはありませんが、この記事に登場するということは、たぶん何らかの形でこの映画に協力しているのだろうと考えます。上の記事での、「月1回、10年以上」教誨を受けた死刑囚というのが、津田死刑囚というわけですね。現在教誨中の死刑囚が誰かはわかりませんが、この記事を書いている2019年12月10日現在広島拘置所にいる死刑囚は、6名です。広島では昨年オウム事件の死刑囚の死刑が執行されています。

それにしても死刑となる犯罪というのもいろいろですが、ほんと前に記事にした宮崎の家族3人殺しやこの福山の誘拐事件は非常に残念な事件ですね。犯人は、特に素行不良はなはだしいとかサイコパスとかいうわけではない。事情はさまざまとしても、精神的に異常に追い込まれて論外の事件を起こしてしまい、宮崎のほうはまだ執行されていませんが、被害者ばかりか加害者まで法の名で殺されるのですから、まったくもってご当人の不徳の致すところとはいえ、実にむなしく感じます。加害者が、ほんのわずかでも冷静さを保っていたら、人を殺したり、自分が死刑になるよりははるかにましな解決方法があったわけで、まさに最悪の事態になってしまったわけです。

なお上で紹介されている「教誨師」という映画はなかなか面白かったので、興味のある方は是非ご覧になってください。

教誨師


Viewing all articles
Browse latest Browse all 4143

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>