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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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私も、そもそも裁判員が量刑にも参加するという考えが間違っていたと思う

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先日私も記事を書きましたが、12月に死刑求刑事件が無期懲役判決に、また1審の裁判員裁判で死刑だった事件が高裁で雨期懲役に減刑された事件の最高裁判決がでて、無期懲役が確定するということがありました。

裁判員裁判の判決を、重罰(死刑)の正当化に利用しないでほしい

で、この問題で最近私が読んだ記事の中で興味深かったのがこちら。

新潟女児殺害、死刑判決とならない事情
最高裁が求める「慎重さ」「公平性」、裁判員を説得か

2019/12/7 10:30 (JST)12/7 13:28 (JST)updated

>新潟女児殺害事件の一審判決で、新潟地裁は4日、小林遼(はるか)被告(25)が下校途中の小学2年女児に車を背後から衝突させ、首を絞め気絶させて連れ去った上、車内でわいせつ行為をした際、女児が声を上げたことから首を絞めて殺害し、遺体を電車にひかせて遺棄、損壊したと犯罪事実を認定した。これだけの罪を犯し、求刑通りの死刑ではなく、無期懲役と判断したのはなぜか。そんな疑問を持つ人も多いだろう。最高裁の判例で求められた「慎重さ」と「公平性」がキーワードとみられ、背景事情も含めて考察する。(共同通信編集委員=竹田昌弘)

記事は長いので、ラストの部分(たぶん筆者が一番強調したかったところ)を引用します。

>裁判員2人は判決後の記者会見で「裁判の公正性という部分を考えて今回判決を出した」「選べる範囲で一番重い判断をした」「感情としては遺族と同じ状態」「自分の思いと折り合いを付けなければならなかった」「犯罪は多様化し、考えられない犯罪もある。今後基準は見直していかないといけないのではないか」などと語った。裁判員と裁判官は、最高裁の判例に従い、永山基準で示された考慮要素とそれぞれの重みの程度・根拠を順次検討し、評議では、裁判官が裁判員に「慎重さ」と「公平性」を強調し、死刑回避を説得したのではないか。

■裁判員が量刑担当する意味かすむ

 [ア]の最高裁判決後、検察側は殺害被害者1人の殺人事件の裁判員裁判で、今回の事件を含め6人に死刑を求刑し、[エ]以外の5人は続けて無期懲役とされた。その中には、福岡県豊前市で小5女児をわいせつ目的で連れ去り、殺害したなどとして殺人罪などに問われた土建業者や、千葉県松戸市でベトナム国籍の小3女児を車に乗せて連れ去り、わいせつ行為をした上、殺害したとして、殺人や強制わいせつ致死などの罪で起訴された小学校の元保護者会長らがいる。

 これらの事件でも、裁判官は最高裁判例に従い、裁判員に「慎重さ」と「公正性」を説明し、同様の事件と同じ傾向の量刑を促しているのだろう。裁判員が有罪かどうかに加え、有罪のときは量刑も担当している意味がかすんでいる。裁判員は被告が無罪や一部無罪を主張する事件で、有罪かどうかを判断し、量刑は裁判官に任せた方がいいのではないか。

記事での[ア]とは   >妻子殺害や自宅放火などで服役後の強盗殺人   という事件であり、[エ]は   >[エ]わいせつ目的で小1の女児に声を掛けて自宅に誘い入れ、首をビニールロープで絞めた上、首の後ろを包丁で突き刺して殺害した。   という事件です。[ア]はこちらの事件ですね。最高裁の判決文も。  

>裁判員裁判の死刑判決を破棄 無期懲役に
東京高裁 南青山の強盗殺人事件
2013/6/20付

妻子を殺した罪で服役を終えた半年後、東京・南青山で男性を殺害したとして強盗殺人などの罪に問われた無職、伊能和夫被告(62)の控訴審判決公判が20日、東京高裁であった。村瀬均裁判長は一審・東京地裁の裁判員裁判判決について「前科を過度に重視しすぎている」と指摘して死刑判決を破棄、無期懲役を言い渡した。

(後略)

[エ]は、こちらです。

>神戸女児殺害、無期懲役確定へ 最高裁が検察の上告棄却

北沢拓也 2019年7月3日19時10分

 神戸市長田区で2014年に小学1年の女児(当時6)を殺害したとして、殺人などの罪に問われた君野(きみの)康弘被告(52)について、一審の裁判員裁判の死刑判決を破棄し、無期懲役とした二審判決が確定する。最高裁第一小法廷(山口厚裁判長)が1日付の決定で、検察側の上告を棄却した。

 09年にスタートした裁判員裁判で、一審の死刑判決が二審で無期懲役となった例はこれまでに5件ある。今回の決定により、うち4件は二審判決が確定することになる。残り1件は、最高裁で審理が続いている。

 君野被告は、わいせつ誘拐や死体損壊・遺棄の罪にも問われた。第一小法廷は決定で、殺害の計画性がなく、他人の命を奪った前科もない点を考慮し、「生命軽視の姿勢は明らかだが、甚だしく顕著だとまでは言えない」と指摘。「究極の刑罰である死刑は慎重に適用しなければならないという観点と公平性の確保を踏まえ、死刑の選択が真にやむを得ないとまでは言い難い」と判断した。5人の裁判官の一致した意見。

(後略)

検察が上告した際の記事を。なお、この記事によれば、ミナミの通り魔事件の犯人と同時に上告があったのですね。Wikipediaもご参照ください。

>2017.3.23 19:20

死刑破棄2件で大阪高検が上告 裁判員裁判の結論変更「承服し難い」


 大阪高検は23日、いずれも裁判員裁判による1審の死刑判決を破棄し、無期懲役に減刑した大阪・心斎橋の通り魔殺人事件の礒飛(いそひ)京三被告(41)と、神戸市の小1女児殺害事件の君野康弘被告(50)に対する大阪高裁判決を不服として、それぞれ最高裁に上告した。

 大阪・心斎橋の路上で平成24年6月、通行人2人を無差別に刺殺したとして殺人などの罪に問われた礒飛被告について、9日の2審判決は、凶器を購入したのが犯行直前だったことなど計画性の低さに加え、精神障害の影響も考慮して極刑を回避した。

 一方、神戸市長田区で26年9月、当時6歳の女児を殺害したとして殺人や死体損壊・遺棄、わいせつ目的誘拐の罪に問われた君野被告について、10日の2審判決は、計画性がないことや過去の量刑との公平性を重視し、1審判断を覆した。

(後略)

私は死刑制度反対なので、そもそも論として浅原彰晃だろうがヒトラーだろうが、やっぱり死刑はまずいんじゃねえのと考えますが、しかし死刑を認めるにしても、やはり「先例」「判例」は重要ですよね。裁判員裁判という新しい制度が始まったんだ、だから先例、判例にとらわれずにどんどん(死刑?)判決を下していいんだとかいうことにはやっぱりならないと思います。法の名で人を殺すのは、仮に認めるとしても最大限慎重でなければいけないですから、そんなにホイホイ死刑判決を下すわけにはいかない。だから、そういう意味でも私は、闇サイト事件の母親が法科大学院(!!!)の講演で語ったという

>裁判所は判例に固執して殺害された被害者の数にこだわり

なんていう発言は、「なにこの女こんな馬鹿なことほざいているんだろ」としか思えないわけです。うんなもん裁判所に判例に基づかない裁判をしてほしいなんて、どこの馬鹿がそんなことを主張するのか。ただこの件に関しては、この母親よりも、こんな馬鹿で愚劣な発言を講演させた法科大学院と、それを垂れ流す新聞社のほうにより大きな問題があると私は考えます。世の中馬鹿なことをいう人物より、その発言機会を提供したりする側や、それを大々的に報じるマスコミのほうが社会にとって迷惑です。世界広しといえども、判例もそうですが、被害者の数を考えない裁判なんかあるわけがない。こんなことをどうしても講演で話したいのなら、「犯罪被害者家族・遺族の集い」(仮称)とか、重罰重刑大好きな人たちがする集会とかですればいいのです。法科大学院がしてあげることではない。こんな愚劣な講演会を開催しているから、この法科大学院も閉鎖してしまうわけです。どちらにせよ迷惑な犯罪被害者遺族、法科大学院、大新聞です。まったくこの女性のことを考えると、ほんと腹が立ちます。この女性より、この女性のことをとりあげて、それを垂れ流す連中にです。

裁判官が判例に固執することを批判して、なにがどうなってほしいんだか

闇サイトの母親の話はともかく、「市民感覚」と「判例」のどちらを優先すべきかといえば、それはやっぱり「判例」「先例」ですよね。裁判というのは別に被害者(家族、遺族)の復讐代行ではない。被害者遺族とかが、「判例にとらわれない判断を」とか「これでは裁判員裁判の意味がない」とか言いたくなる気持ちは、私も理解しないではないですが(私個人がそういう立場になったら、絶対そういうことは言わないでおこうと決意しています)やっぱり信頼できる裁判は、市民感覚より集積された判例だと思います。前にも書きましたが、私も裁判を受ける立場になったら、市民感覚より裁判官と判例で判決を下されることを望みます。

それでそういうことを考えると、やはり記事でも指摘されているように、

>裁判員は被告が無罪や一部無罪を主張する事件で、有罪かどうかを判断し、量刑は裁判官に任せた方がいいのではないか。

ていうことなんでしょうねえ。裁判員がはたして量刑に関して妥当な判断を下せるのか、甚だしく疑問ですね。それで死刑か無期かというのは、裁判官ですらブレブレで、なかなか厳しい判断を強いられるのに、素人さんにそれをさせてもしょうがないですよね。もともと裁判員制度は、量刑まで担当させるのはまずいんじゃないのという意見が少なくなかったかと思いますが、理由は知りませんが、けっきょく担当することになりました。しかし「市民感覚」なんていう美名はあっても、とても一般人の手におえるものではないなあと思います。

で、こういう点は改善されるんですかね。妥当性や現実性より、最初にやっちゃったことを撤回したくないとかいう独特の考えで一向に改善されない可能性が高いような気がしますが、どうなのか。被害者遺族や重罰大好きな人たちが、裁判員裁判での死刑を撤回するなといったって、現在裁判員裁判も明らかに死刑の適用に慎重になっています。そういうことは遺族などには許しがたいことでしょうが、けっきょく裁判員が量刑も判断するというのがよくないということに話は尽きると思いますね。私はそれ以前に裁判員裁判なんて愚劣にもほどがあると考えていますが、量刑についてはなおさらです。


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