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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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有本嘉代子さんに限らず、横田滋氏もけっきょく巣食う会との泥船に乗っちゃったから、お孫さんとの再会も墓参りなどもできなかったのだと思う

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読者の皆様もご存知の件を。

>拉致被害者 有本恵子さんの母 嘉代子さんが死去

2020年2月6日 16時12分

留学先のヨーロッパから北朝鮮に拉致された神戸市出身の有本恵子さんの母親の嘉代子さんが今月3日、兵庫県内の病院で亡くなりました。94歳でした。

有本嘉代子さんは、昭和58年、イギリス留学を終えてヨーロッパを旅行中に北朝鮮に拉致された有本恵子さんの母親です。

昭和63年に、恵子さんが北朝鮮にいることが分かって以降、30年以上にわたって、夫の明弘さんとともに救出活動を続けてきました。

平成9年に拉致被害者の家族会が結成されてからは、全国を回って署名活動や講演を行うようになり、被害者の一刻も早い帰国を訴えてきました。また、横田めぐみさんの母親の早紀江さんと親交が深く、定期的に連絡を取り合っては互いの健康を気遣う仲でした。

毎朝、神戸市内にある自宅の神棚に手を合わせて被害者の無事を祈り、夜は食卓に娘の分の食事を用意して恵子さんとの再会を誓っていました。また毎年1月12日の恵子さんの誕生日にはケーキや赤飯などを用意して祝い救出への覚悟を新たにしていました。

94歳と拉致被害者の家族の中で最高齢だった嘉代子さんは、数年前から持病の心臓病が悪化し、平成28年4月に手術を受けて以降は活動に参加することがほとんどできなくなりました。

その後は入退院を繰り返し、去年9月に一時退院した際には自宅でNHKの取材に応じ「恵子を取り返してほしい。それ以外は何も思い残すことはありません」と話し、肉親の早期帰国に結び付く政府の取り組みを求めていました。

嘉代子さんはその後再び入院し療養を続けていましたが、家族などによりますと、今月3日の午後、心不全のため兵庫県内の病院で亡くなりました。

平成14年の日朝首脳会談以降政府が認定している拉致被害者の親で、子どもとの再会を果たせないまま亡くなったのは嘉代子さんで7人目となります。

夫の明弘さんは「北朝鮮に拉致された恵子を取り戻すために、嘉代子と二人三脚で頑張ってきましたが、妻は力尽きてしまい、今は全く気持ちの整理もつかない状態です」というコメントを出しました。

嘉代子さんは当時体調が安定したため一時退院し、神戸市長田区の自宅で夫の明弘さん(91)に付き添われながらベットに横になった状態で短時間インタビューに応じました。

嘉代子さんは恵子さんについて「あの子たちも大変な目にあってきたんですから日本に帰ってきてもう一度、生活してほしい」と語りました。

そのうえで「とにかくこの問題だけは今の時代に片づけていただきたい。とにかく恵子を取り返してほしい。私は一生懸命生きて、一生懸命子どもを育てて、まあ、一生まともなことができたから、何も思い残すことはないんです。だから恵子のことだけです」と述べ、娘との再会への強い思いを語っていました。

また夫の明弘さんは当時、嘉代子さんを元気づけようと、20代のころの嘉代子さんの写真の、破れたり折れて痛んだりした部分をきれいに修復して、額に入れて見せるなどしていました。

明弘さんは「それはもういままで見たことのない、顔を見ることができた。恵子というのが1番気になってるわけ。それのためにこの何十年間ずっと晩も寝られんだよなぁ、そんなことばっか考えて生きてきてんやからなぁ。できるだけ長いこと生きてもらわなあかんさかい、いろいろなことをしようねんけれどな、今」と話しました。

そして「国と国が安心してつきあえるように持って行くのが政治の仕事やねん。恵子は生きているはずやねん。早いところよい話しを聞かせてやりたい」と訴えていました。


飯塚繁雄さん「政府には全力で取り組んでほしい」

有本嘉代子さんが亡くなったことについて、田口八重子さんの兄で拉致被害者家族会代表の飯塚繁雄さんは、NHKの取材に対し、「被害者の帰国を待つ家族が亡くなられたのはとても悲しく、残念なことだ。しかし、長く時間がたてばこうしたことが起きるのは当然のことで、この事態をいちばん深刻に受け止めなければならないのは日本政府だ。毎回『一刻も早い帰国を』と伝えているが、被害者の帰国に向けて全力で取り組んでもらいたい」と話しています。

田口八重子さんの長男で、母親が拉致された時1歳だった飯塚耕一郎さんは「訃報に接し悲痛な思いです。こうなる前に被害者の帰国が実現できなかったのか、悔やんでも悔やみきれません。40年にわたって家族が会えないまま永遠の別れを迎えるようなことは、もう最後にしなければなりません。北朝鮮の最高指導者は、これ以上、むだに時間を使わず、すべての拉致被害者を帰す決断を今すぐにすべきだ」と話しました。

また、横田めぐみさんの弟で家族会事務局長の横田拓也さんは「残念でなりません。恵子さんに一目でもよいから会わせてあげたかったです。家族としては、政府にぶれずに強力な交渉を求めるしかなく、北朝鮮のキム・ジョンウン(金正恩)委員長には、残酷なことはすみやかにやめ、お互いが明るい未来を築けるよう被害者を帰国させる決断を求めたい」と話しました。


有本恵子さん拉致の経緯

神戸市出身の有本恵子さんはロンドンに留学中の1983年(昭和58年)、行方が分からなくなりました。

当時23歳。

旅行先のデンマークのコペンハーゲンから家族に手紙が届いたのが最後でした。

その5年後の1988年(昭和63年)、突然、消息が明らかになりました。

同じ拉致被害者で、ヨーロッパを旅行中に行方不明になっていた石岡亨さんから札幌市の実家に手紙が届いたのがきっかけでした。

手紙には、有本恵子さんと赤ちゃんの写真が同封され「事情があって北朝鮮に長期滞在するようになりました。有本恵子くんともども、助け合ってピョンヤンで暮らしております」などとつづられていました。

有本さんの家族は娘の帰国に力を貸してほしいと政府や国会議員に働きかけましたが、当時は拉致事件とは判断されず、事態が動かないまま10年以上がすぎました。

新たな情報が寄せられたのは2002年3月(平成14年)。

北朝鮮に渡った、よど号ハイジャック事件の実行犯の元妻が、有本さんの拉致に関与したと法廷で証言しました。

その年の9月に行われた日朝首脳会談で北朝鮮は、初めて有本さんの拉致を認めましたが、よど号グループの関与を否定したうえで、「石岡さんと結婚し子どもも産まれたが1988年11月、一家でピョンヤンの北にある招待所に移った翌日に、暖房用の石炭ガス中毒で家族全員が死亡した」と説明しました。

しかし、それを裏付ける具体的な証拠は示されず、政府は幼い子どもを連れて突然、不便な場所にある招待所に移動し、その翌日に死亡したとする北朝鮮側の説明は極めて不自然で、信ぴょう性が疑われると判断しました。

有本さんの両親の明弘さんと嘉代子さんは1997年に(平成9年)被害者の家族会が結成されるとこれに加わり、救出を求める署名活動や講演を行ってきました。

毎晩、神戸市内の自宅の食卓に娘の分の食事を用意し、誕生日にはケーキを買って娘の救出を誓ってきました。

有本恵子さんは先月(1月)60歳の還暦を迎えました。


拉致問題の解決は時間との闘いに

政府が認定している拉致被害者のうち安否が分かっていない12人の親で、子どもとの再会を果たせずに亡くなった人は、平成14年の日朝首脳会談以降だけでも、有本嘉代子さんで7人になります。

最近では平成29年12月に拉致被害者、増元るみ子さんの母親の信子さんが90歳で亡くなりました。

拉致問題は、ことし、最初の事件の発生から43年、被害者の家族会が結成されてから23年となり、解決にあまりにも長い時間がかかる中「生きているうちに再会を果たしたい」という家族の思いはこれまで以上に強くなっています。

嘉代子さんの死去で、今も健在な親は、有本恵子さんの父親と横田めぐみさんの両親の3人になりました。めぐみさんの父親で、活動の先頭に立ってきた滋さん(87)も入院生活が続くなど、全員が老いという現実に直面していて、拉致問題の解決は時間との闘いになっています。

これも一種の資料になると思うので、長い記事ですが全部引用したことをお許しください。

記事中にあるように、横田滋さんも現在体調不良です。現状では、彼はもうお孫さん、曾孫さんとはお会いになれないんでしょうね。体調がいいうちに、何回も繰り返し会っておけばよかったのにね。そのためには、訪朝だってどんどんすればよかったのです。で、けっきょくそれは、家族会への義理だか巣食う会への依存だか、奥さんに頭が上がらないからとかいろいろな理由はあるのでしょうが、なされませんでした。はっきりいって、滋氏は非常に愚かだと思いますね。チャンスを自分の弱さで失ったのだから。家族会も巣食う会も横田の奥さんも、みなろくでもない連中だと私は思いますが、そういう悪い連中に引っ張られて自分がとうぜん享受すべき権利を放棄しちゃったのだから、横田滋氏に同情する気には、私はあまりなりません。それは彼自身の責任でしょう。

そしてそれは、現状安否不明ということになっている有本恵子さんほかだって同じじゃないですか。北朝鮮の発表には証拠がない、生きているんだなんていうめちゃくちゃな強弁をして、それから18年もたった2020年までそんな話が続いている。2002年と今日ではまたずいぶん事情も違うし、事実安否不明者の消息は、何ひとつ伝わりません。そういう現実をいいかげん直視すべきじゃないですかね。ていいますか、こういう意見は、かの荒木和博ですら昨今主張しているくらいです。拉致被害者家族が気の毒だという話や、北朝鮮が非道国家だとかいう話とこれは、別に考えなければいけないでしょう。

荒木和博(ら)も、いよいよ拉致問題に関するスタンスの変更を余儀なくされるのか

それで巣食う会やその取り巻き(櫻井よしこほか)の連中がこういう非現実的な意見に固執するのはなぜかといえば、つまりは拉致問題を反北朝鮮言説に徹底的に利用しつくすためだけです。安倍晋三も、そういうところに悪乗りしている。それで有本明弘氏は、

>この6年半、拉致問題は進んでいないが…、北朝鮮にモノが言える政治家は安倍首相しかいない

なんていう寝ぼけたことをほざく始末。私も拉致被害者家族の彼(女)らに「子ども(兄弟姉妹ほか)のことはいいかげんあきらめたほうがいいんじゃないんですか」というつもりはありませんが(いったって聞く耳は持たないでしょう)、少なくとも安倍晋三に「あんた、もう少し動いてくれ!」くらいのことをこの人たちは言うべきでしょう。いまさら家族会が安倍を支持するいかなる理由もないでしょう。つまりは、安倍と仲良くしていれば、役人ほかが丁重にもてなしてくれるなどの便宜がはかられるとか、そういうたぐいのくだらん話でしかない。あまりに愚劣すぎて言葉もないですね。

それでですよ、今回もそうかもですが、とくに横田滋氏、あるいは奥さんが死んだら、前にも書きましたけど、家族会、巣食う会、その取り巻き連中は、「北朝鮮ゆるすまじ」の大合唱なんでしょうね。はっきりいって、有本さんたちだって訪朝して北朝鮮側が主張する娘が死んだ場所に行けるものなら行ったっていいのでしょうが、お孫さん(曾孫さん)が存命の横田さんたちに関しては、さらに「許せん!」なんでしょうねえ。てめえらが、「北朝鮮はまもなく現体制が崩壊するから、急いで会わなくても大丈夫だ」みたいなデマ(こういう話が、横田さんたちが訪朝しないようにさんざん吹き込まれたのであろうと私は信じて疑いません)をさんざん唱えて横田さんたちをけん制したんじゃんというところですが、巣食う会はもちろん家族会も、「これならお孫さんらにもっと逢えるようにこちらも応援すればよかった」なんてことはぜったい言わないんでしょうね。個々の人間がそういうことを全く考えないということはないと思いますが、組織としてはぜったいそんなことはおくびにも出さないでしょう。どんだけ非人間的な連中なんだか。

そして決して遠くない将来に、今回のような報道がまたされて、とくに横田さんたちの場合は、産経新聞ほかは大喜びで報道するのでしょう。そういうことがほぼ完全に予想できちゃうので、実に愚劣な光景が見られそうです。その時はまた記事にします。

それにしても家族会や巣食う会の泥船に乗り続けることを拒否したのが蓮池透氏のみというお寒い現実はいつ打破されるのか。一応断っておきますと、家族会に入っていてもフロントに出てこない人たちの中には、巣食う会と家族会に批判的な人もいるということは私も仄聞しています。しかしその人たちも、公然と巣食う会と家族会の盟友関係を批判することはできない。ほんと蓮池透氏追放は、荒木らの巣食う会側の完全な政治的勝利だったと痛感させられます。そしてその政治的勝利によって、家族会が徹底的に利用される。世の中ここまで無様で無残で愚劣な光景もないと思います。


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