コロナウイルスの関係で外に遊びに行くとかができないので、もっぱら家にいます。それで、CSで録画した昔の映画やドラマを観たりしています。するといろいろ気づくこともあります。今回は、1978年に放送されたドラマ『顔』(松本清張原作)についてちょっと記事を書いてみたいと思います。なお同じ年に大空真弓主演で同じ原作のドラマが放送されていますが、私が観たのは、倍賞千恵子主演で11月18日にテレビ朝日系列の「土曜ワイド劇場」枠(21:00-22:24)にて放送されています。まだこの時期は枠が90分でして、CMをのぞくと正味73分の作品となります。
それではストーリーを。私が観たのは5月7日のホームドラマチャンネルでの放送です。この記事では、いちおうラストの落ちまで書いちゃいます。今回は1回こっきりの放送のようなので。また放送されるとは思います。上の写真も、同じHPより。
静岡県に在住する女性(倍賞千恵子)が、暴力団系の悪質な金貸しから金を借りて、ひどい目に遭っています。山奥で返済の交渉をしようとしますが、はずみでその金貸しをがけから突き落としてしまいます(どちらかというと、殺したというより過失で金貸しががけから落ちたという感じです)。怖くなった女性は、静岡を離れて横浜に行きます。そこで彼女は、料亭か何かの調理場で働きます。ところで事件の直前に、その暴力団金貸しと女性の姿を、これも金貸し(兼不動産業)をしている男(財津一郎)が目撃します。彼は、あの女が怪しいとにらみ、付き合いのある静岡県警の刑事(柳生博)にその話をし、モンタージュ写真作成などにも協力します。
さてさて、料亭ではたらく女性は、人目につかないようにしていますが(同僚に泉ピン子がいます。出世する直前の時期ですかね)、ひょんなことから見知らぬ子ども(男児))の事故に遭遇し、子どもを病院に送り届けます。するとその子どもは、最近離婚した俳優(山口崇)の息子で、駆け付けた俳優と一緒にいるところを新聞のカメラマンに撮られてそれが新聞に載ってしまいます。
このあたり、昔は肖像権とか個人情報が適当だったんだなあとか(昔のドラマを観ているとよく思います)、いくら1978年でも、いきなり無名の一般市民をそういうふうに写真を新聞に載せるかなあとか(載せたんですかね?)、この時代は写真週刊誌はまだなかったからなあ(雑誌『FOCUS』を、新潮社が創刊したのは1981年)とかいろいろ考えますが、それはさておき。
その新聞を観た不動産屋兼金貸しは、あの女だと考えて、これは使えそうなネタになると直感します。一方、女性を気に入った俳優は、ちょうど奥さんと離婚したこともあり、ぜひ同居してほしいと頼みます。子どもも彼女に懐き、では結婚してくれということになります。女性は、それはまずいといろいろ固辞しますが、こういうドラマの都合上、やっぱり結婚することになります。そしてめでたく結婚式をあげますが、彼女の動向を追っていた不動産屋兼金貸しは、彼女と連絡を取り(彼女がまとまった額の金を用意できるのを待っていたのです)、金をゆすります。彼女も断ったりしますが、所詮向こうは彼女のかなう相手ではありません。追いつめられた彼女は、自殺しようかともいいますが、それを隣の部屋で俳優が聞いています。
事情を知った俳優は、静岡の不動産屋兼金貸しの事務所に談判に行き、静岡の山奥で再度会うことになります。不動産屋兼金貸しは、どうも怪しいと考えて、刑事に一緒に行ってくれと頼みます。まったく抜け目のない野郎です。
それで女性ら3人家族は山に行きます。俳優はあえて1人で不動産屋兼金貸しに会い、向こうを殺そうとします。が、不動産屋兼金貸しもさるもの、すぐ反撃して、俳優をがけに落とします。途中でかろうじて踏みとどまる俳優の手を踏んだりしていると、女性が駆けつけます。お前も殺してやるといって殺そうとすると、刑事が走ってきて拳銃を威嚇射撃をしたら、あせった不動産屋兼金貸しはがけから落ちてしまいます(このシーンは、かなり拙劣でした。もうすこしうまく落ちないと)。何とか助かった女性と俳優は、あらためて愛を確かめ合い女性は「自首します」といって、ドラマは終わります。
それで原作を読んでいる人は、たぶんこう思うんじゃないんですかね。
「原作と全然違うな」
原作の主人公は男だし、また同情するには値しない設定です。それに対してやはり倍賞千恵子に、そんな血も涙もない人間は演じさせるわけはないよね(苦笑)。ましてやこのドラマは、彼女が所属する松竹の制作です。
また原作は、詳細には書きませんが、助かったと思った主人公がひょんなところから犯罪がばれるという落ちです。前にこんな記事を書いたことがあります。
1965年の加賀まりこその記事で取り上げた山田風太郎の小説「棺の中の悦楽」も同じようなものでしょう。助かったと思ったらやっぱりだめだったという落ちです。もっとも「棺の中の悦楽」の落ちはあんまりうまいとは思いませんでした。主人公を裏切るのが、彼が関係した女だったら、映画では加賀まりこが演じた人物以外にありえないし、そしてやっぱりそうだったわけで、これはネタがすぐばれちゃいます。
しかしこのドラマの方は、ラストでやっぱり自首しようということになり、俳優の夫の方も「待っているよ」と言ってくれるわけです。これは上のあらすじ紹介のところではあえて書きませんでしたが、俳優が離婚した元奥さんが、息子を無理やり車で引き取ろうとしたり(子どもも実の母親と一緒に行動するのを嫌がっているくらいだから、相当ひどい母親の設定です)するというシーンが2回もあります。いくら原作が長くないとはいえ、73分のドラマでこのエピソードは不要だなと思いますが、これも倍賞千恵子を引き立たせるためのものなのでしょうね。
というわけで、このドラマは、松本清張の小説を原作にしているというよりは、ほとんど「悪いことをした人間が、たまたま犯人であることを知っている人物に顔を見られたので困る」というようなコンセプトをいただいただけで、ほぼオリジナルといっていいものだと思います。原作とは、ほとんど関係ないドラマです。むしろ原作の名をいただいただけかも。
さっそく他の映像化を見てみますと、Wikipediaによれば、映画化が1回、ドラマ化は、最初が1958年(原作発表の2年後)、以後1959年版、1960年版、1962年版。1963年版、1966年版、1978年版(TBS)、1978年版(倍賞版)、1982年版、1999年版、2009年版、2013年版と実に12回もテレビドラマになっています。
それで、映画、78年の2作品、1982年版、1999年版、2013年版が女性が主人公です。映画で女性が主人公なのは、岡田茉莉子を売り出すためでした。78年から女性が主人公になっているのは、たぶん時代の変化なのでしょうね。他の作品を観ていないのでめったなことは言えませんが、たぶんこの倍賞千恵子バージョンが、いちばん原作から自由な内容なのではないかという気がします。ほかの作品は、主人公はなんらかの世俗的な成功を勝ち取ろうとしている過程でのつまづき、とでもいうべき立場でしょうが、この作品は、もちろん裕福な人間との結婚というのは、主人公にとっても良いことですが、むしろ主人公が自分の秘密を隠し切れない苦悩とかを前面に出してきています。そういうのも、松本清張の基本コンセプトとはずいぶん違います。だいたい清張の作品は、『ゼロの焦点』とか『砂の器』などのように、自分の地位、立場を守るために犯罪をする、というのが1つのパターンですが、このドラマでは、主人公はこのままでは夫らに迷惑がかかるということに苦しむわけです。
そういうのも時代背景の違いとかいろいろ興味深いですね。ここはやはり、山田洋次監督で倍賞千恵子主演の1965年版『霧の旗』と西河克己監督で山口百恵主演の1977年版『霧の旗』を見比べてみようかなと思います。こういうのも面白そうです。山口百恵の映画は原作ものが多いので、他の女優が演じてるものを見比べたりするのも面白いものがあります。『伊豆の踊子』なんていう古典的なものでなくても、『泥だらけの純情』での吉永小百合との比較もしてみようかなと思います。なお『泥だらけの純情』には、渡辺満里奈のバージョン(テレビドラマ)もあります。1991年放送とのこと。