すみません。本日の記事は、「音楽関係(CD、コンサート、歌手、楽器その他)」のカテゴリーのほうが妥当なのかもですが、映画中心のブログですので映画のタグで。
1日記事にするのが遅れましたが、イタリアの作曲家エンニオ・モリコーネが亡くなりました。記事を。
>映画音楽の巨匠 エンニオ・モリコーネさん死去 91歳
2020年7月6日 20時16分
イタリア出身の世界的な作曲家で、映画「ニュー・シネマ・パラダイス」をはじめ、数々の映画音楽を手がけ、アカデミー作曲賞も受賞したエンニオ・モリコーネさんが死去しました。91歳でした。
エンニオ・モリコーネさんは1928年、イタリアの首都ローマで生まれ、名門の音楽院で学んだあと、作曲家として数多くの映画やテレビの音楽を手がけました。
映画に魅せられたイタリアの少年と、映写技師との心のふれあいを描いた「ニュー・シネマ・パラダイス」や、アメリカ・シカゴを舞台にギャングと捜査官との闘いを描いた「アンタッチャブル」などの音楽の作曲で知られ、4年前にはアメリカの西部劇、「ヘイトフル・エイト」でアカデミー賞の作曲賞も受賞しています。
また、2003年にはNHKの大河ドラマ、「武蔵 MUSASHI」のテーマ音楽を担当し、映画音楽の分野で日本とイタリアの交流を深めたことなどから、去年、外国人叙勲で旭日小綬章を受章しました。
イタリアのコンテ首相は、ツイッターで「私たちは巨匠、モリコーネ氏の芸術的な才能を多くの感謝とともにいつまでも忘れない」と述べて、その死を悼みました。
地元メディアによりますと、モリコーネさんは数日前に倒れて大たい骨を骨折し、6日未明、入院先のローマの病院で亡くなったということです
彼は、6回アカデミー賞にノミネートされましたが、受賞には至らず、ついに2007年、第79回アカデミー賞において名誉賞を受賞しました。そしてようやく、2016年に『ヘイトフル・エイト』の音楽で第88回アカデミー賞 作曲賞を受賞することになります。彼が本格的にイタリア国外で映画音楽を担当するようになったのは、1980年代半ば過ぎかと思いますが、もっと早くから英米映画に進出していれば、より多くのアカデミー賞受賞も可能だったのではと思います。
彼は、たぶん映画作曲家という点では、(以下順不同)ニーノ・ロータ、ジョン・ウィリアムズ、ヘンリー・マンシーニ、モーリス・ジャール、フランシス・レイあるいはもっと世代が上のバーナード・ハーマンでもいいですが、彼らと同様ちょっと別格の映画音楽家だったと思います。映画を多少なりとも「好き」と自称しているのなら、彼の音楽はどこかで聞いているはずで、いわゆる代表作でなくても、「すごい音楽」と感動した経験のある人は多いのではないでしょうか。
それでは私が好きな彼の作品を。1990年の映画「ステート・オブ・グレース」より。
Ennio Morricone - State of Grace - Terry Noonan
Ennio Morricone - State of Grace (1990) closing titles theme (St. Patrick's Day)
映画は、ニューヨークのアイリッシュ・ギャングにまつわる話で、イタリア人が主たるテーマでもありませんが、実に映画の雰囲気をよくとらえた音楽です。
それで記事を書いていて突然思いついたのですが、そう考えていくと、武満徹が海外の映画の音楽をあまり担当しなかったのは、非常に残念ですね。晩年の「ライジング・サン」なんかやっぱり日本がらみの映画だしね。武満が海外からのオファーを受けていれば(あったのを断ったのか、はじめっからなかったのかは知りません。武満だからないということもないか)、モリコーネみたいな立場になっていたかもです。彼は、あれだけ多忙な人間であっても大変な映画好きであり、ATGとかの金にもならない映画にも作曲と買って出た人物ですから、海外の映画に音楽を付けていたらなあと夢想してしまう私。なお、黛敏郎は、「天地創造 」の音楽を1966年に担当していますが、彼も海外の映画はこれくらいですかね? なおこの映画のWikipediaによると、
>音楽は当初イーゴリ・ストラヴィンスキーに依頼されていたが、それが断られたため、最終的に黛敏郎が大抜擢された。黛敏郎はこの映画でアカデミー作曲賞とゴールデングローブ賞 作曲賞にノミネートされた。
とのこと。黛でそうなら、武満ならもっと(いや、比較にならないくらい・・・すみませーん、黛嫌いなもので(苦笑))活躍で来たんじゃないんですかね。いやまちがいなくそうなはず。なおWikipediaによると、モリコーネ自身は、左派系の人間のようです。
エンニオ・モリコーネ氏のご冥福を祈ってこの記事を終えます。