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Channel: ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
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橋田壽賀子が文化勲章をもらえるのなら橋本忍だってもらうべきだと思うが、やはりあの映画がまずかった?

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まずは記事を。

>橋田壽賀子さんら文化勲章 功労者に西川きよし氏ら
2020年10月27日11時37分

 政府は27日、2020年度の文化勲章を脚本の橋田壽賀子さん=本名岩崎壽賀子=(95)ら5人に贈ると決めた。文化功労者には漫才の西川きよし氏=本名西川潔=(74)、作曲のすぎやまこういち氏=本名椙山浩一=(89)ら20人を選んだ。

 文化勲章の親授式は11月3日に皇居で、文化功労者の顕彰式は同4日に東京都内のホテルで行われる。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、天皇、皇后両陛下が受章者らを招かれる茶会は行わない。
 文化勲章を受けるのは他に、工芸(人形)の奥田小由女さん(83)、日本文学の久保田淳・東京大名誉教授(87)、物性物理学の近藤淳・東邦大名誉教授(90)、彫刻の澄川喜一氏(89)。
 他の文化功労者は、科学哲学の伊東俊太郎(90)▽応用数学の大石進一(67)▽スポーツの加藤沢男(74)▽撮影の木村大作(81)▽マクロ経済学の清滝信宏(65)▽放送文化(テレビ)の今野勉(84)▽作曲の三枝成彰=本名三枝成章=(78)▽音楽文化振興の酒井政利(84)▽文化振興の鈴木幸一(74)▽美術一般の高橋秀=本名高橋秀夫=(90)▽パブリックアートの滝久雄(80)▽物性物理学の十倉好紀(66)▽文楽三味線の鶴澤清治=本名中能島浩=(75)▽メカトロニクスの原島文雄(80)▽能楽ワキ方の福王茂十郎=本名福王輝幸=(77)▽発生遺伝学の堀田凱樹(82)▽工芸(染織)の森口邦彦(79)▽社会学の山口一男(74)の各氏。
 脚本、人形、物性物理学の分野での文化勲章は初めて。文化功労者では漫才、パブリックアートなど9分野で初の顕彰となった。

やはりどこのマスコミも、橋田壽賀子の文化勲章受章を中心に報じていますね。あとは、文化功労者の西川きよしか。西川は国会議員をやっていたので、それってどうもなあと個人的には思います。いや、別に私は、彼にうらみはありませんが(苦笑)。

さてさて、記事にもあるように、脚本での文化勲章受章は初めてだそうです。ただ実際には、すでに文化勲章を受章している映画監督の黒澤明新藤兼人山田洋次は、いずれもきわめてすぐれた脚本家でもあります。特に新藤は、自分の監督作品以外にも膨大な脚本を提供しています。彼の場合、脚本を書いたギャラで自分の撮りたい映画を監督し、また近代映画協会を経営したわけです。だから、橋田のWikipediaにも、

>2015年(平成27年)10月30日、日本政府より脚本家として初(監督作品も存在する脚本家を除く)となる文化功労者に選出されたことが発表された

とあるくらいです。

文化勲章というのも、やはりある程度先駆者がでて地ならしをしないとなかなか新しい分野からの受賞者は出ないわけです。黒澤が受賞するのなら、溝口健二小津安二郎らだって当然もらうべきでしょう。しかし彼らの時代は、まだ映画監督が受賞できる時代ではありませんでした。黒澤が受賞したのが1985年ですから、1898年生まれの溝口、1903年生まれの小津なら、1970年代半ばから後半くらいでしたら受賞できる時代だったかなという気もします(黒澤は1910年生まれ)。脚本家としてなら、溝口映画の常連依田義賢の受賞は難しかったかもしれませんが、小津の片腕である野田高梧は、長生きすれば受賞も可能だったかもしれません。野田氏は1893年生まれの1968年没です。

が、しかしです。脚本家として別格の存在という意味では、やはりこの方は図抜けているでしょう。橋本忍です。

橋本がいなければ、たぶん黒澤は文化勲章なんかもらえなかったかもです。彼の場合映画監督もしているので、橋田のような純粋な脚本家というわけではないですが(ついでに「橋本プロダクション」なんてのも経営していましたから、映画プロデューサーでもあります)、やはり彼は、脚本家としては他のすごい才能の持ち主たちよりも格の違う天才といって過言ではないのではないか。

が、しかしです。橋本は、1982年、彼の黒歴史となる作品を監督作品としても制作してしまいます。「幻の湖」です。

この映画は、Wikipediaの記述を借りれば

>「ネオ・サスペンス」と称し、雄琴ソープランド嬢の愛犬の死を発端とする壮大な物語が展開される大作であったが、あまりに難解な内容のため客足が伸びず、公開から2週間と5日(東京地区)で打ち切られることとなった。その際、その年の夏休み映画だったたのきんトリオの『ハイティーン・ブギ』(1982年)、『ブルージーンズメモリー』(1982年)が急遽再上映されることとなった。この映画の5週後に続いて公開されるはずだった映画は、橋本と共に『八甲田山』を作った森谷司郎監督、高倉健主演の『海峡』(1982年)である。都市部のロードショーのみで打ち切りとなったため、舞台である滋賀県の映画館では、同県の大津市内の映画館『教育会館』などでの地元先行公開だけで終わった。

以降、1996年に「映画秘宝」で紹介されるまで名画座でもめったに上映されず(1993年10月11日~13日、大井武蔵野館が封切り以来11年ぶりに上映。東宝がフィルムを出したがらなかったためと言われる)、ビデオ化もテレビ放映もされなかったという、文字通り「幻の」作品だった。また、日本を代表する脚本家であった橋本は、この作品の失敗で映画界での信頼を失ったとされ、1986年頃に2本の映画の脚本を執筆したがどちらも興行収入が振るわず、事実上の引退状態となった。

というのものであり(注釈の番号は削除)、東宝創立50周年記念作品、第37回文化庁芸術祭参加作品という鳴り物入りの映画だったのですが、お話にもならない惨状でした。橋本は2年前の2018年に100歳でお亡くなりになりましたが、彼は1918年生まれで、この映画公開時点ではまだ64歳だったわけです。しかしWikipediaにもあるように、事実上引退、映画界追放、けっきょくオリジナルの脚本は2本くらいしか書けませんでした。彼がこの後もまともに脚本家をしていれば、たぶんですが、長生きもしたことだし文化勲章くらい余裕でもらえたんじゃないんですかね。しかし彼は、けっきょくは文化功労者にもなれませんでした。それがすべてだとまではいいませんが、やはりこの映画が非常によろしくなかったのは間違いなかったかと思います。いや、文化功労者や文化勲章なんかどうでもいいですが、この作品の最悪の評判は、橋本のその後の脚本家人生をも事実上奪ったわけです。それはいろいろな意味で、ご当人ばかりでなく私たち映画ファンにもとてもよろしくない影響をもたらしたと思います。橋本忍の死に際しては、次のような記事を私も書かせていただきました。

橋本忍氏が亡くなった(一部でカルト的知名度のある『幻の湖』を観てみようか)

橋田壽賀子の話から橋本忍の話にシフトしてしまいましたが、やはりトンデモの作品をつくるとこのような事態になるのだなということでしょうか。そう考えると、次なる脚本家の文化勲章受章者というのは誰になるのか、私は大変興味があります。Wikipediaの文化功労者の一覧を見ても、現段階脚本家では橋田以外にいないわけで、個人的には、倉本聰あたりはなってもいいような気がするんですが、やっぱり難しいんですかね? 文化功労者にならないと原則文化勲章の受賞はないので(ノーベル賞を受賞すれば話は別です)、当分の間脚本家の受賞はなさそうです。


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