昨日(3月15日)読んで、これはすごいと思った記事を。
医学部受験で9年浪人 〝教育虐待〟の果てに…
母殺害の裁判で浮かび上がった親子の実態
2021/3/15 10:30 (JST)
詳細については、記事をご自身で読んでいただければいいとして、私が印象に残ったのがこちら。医学部受験をやめて看護学科に進んだ娘ですが・・・
> 落ち着いていた環境が一変したのは大学2年生の終わりごろ。助産師課程の進級試験に不合格になったのを機に、束縛は再燃した。17年の夏には、当時4年生の被告に医大の付属病院から就職の内定が出ていたが、母は辞退して助産師学校に進学するよう迫った。受験に失敗したとしても看護師にはならずに、再受験を約束する誓約書まで書かせていた。同年12月に被告が母親の許可を得ずにスマートフォンを隠し持っていたことが分かると、庭で土下座させ、その様子を撮影した。スマホはブロックでたたき壊し、所有を認めていたもう一つの携帯電話に「ウザい!死んでくれ!」とショートメールを送って罵倒した。
▽疲弊の末…「モンスターを倒した」
のぞみ被告の心は疲弊しきっていた。母から解放されるために、殺害したいと思うようになった。事件直前の18年1月にはインターネットで、刃物で死ぬ自殺方法や、頸動脈を切って即死させることができるかなどを調べた。
「いろいろと追い詰められてきたなあ。チャンスは何回もあったのに決め切れてなかったことが悔やまれるぞ」「早く決めよう。怖じ気づくな。やっぱり明確で強い思いがないと無理だということがわかった。一応準備だけした」。メモ帳代わりに使っていたGメールの下書き機能を使い、そんなメモも残した。
1月中旬に受けた助産師学校の試験は不合格だった。大学病院への就職手続きの期限が1週間後に迫り、母に「看護師になりたい」と本音を打ち明けた。だが「あんたが我を通して、私はまた不幸のどん底にたたき落とされた」と一蹴される。その後、母は夜通し怒鳴り続けた。被告の我慢は限界に達していた。1月19日のことだった。
以前私は、このような記事を書きました。
教育虐待に陥らないために、親が自分に問いかけることそしてその記事に、とある本からの引用として、私は次のようなことをご紹介しました。
>教育虐待に陥らないために、親は自分自身に次のように問いかけてほしいと坪井さんは訴える。
(1)子どもは自分とは別の人間だと思えていますか?
(2)子どもの人生は子どもが選択するものだと認められていますか?
(3)子どもの人生を自分の人生と重ね合わせていないですか?
(4)子どものこと以外の自分の人生をもっていますか?
これができていないということは、親が子どもの人生に依存しているということ。「共依存から虐待は始まる」と坪井さんは指摘する。
滋賀県のケースをみてみると、(1)は、まったくもってこの母親は子どもと自分を同一視しているし、(2)は、そんなものは全く認めていないとしか言いようがないし、(3)は、完全に自分の人生に重ね合わせているし、(4)も、どうもこの母親にとっては、自分の子どもへの干渉が、人生のすべてとまでは言えないのかもですが(言ってもいいような気がします)、ほぼそれに近いと言えるのではないですかね。
ただ最悪だったのは、これが娘が30歳を超えるまで続いちゃったということですね。さすがにこんなのは、たいていの場合は親元から子どもが離れるとか親もあきらめるとかで、この母娘のケースのように30過ぎまでこんな関係が続くということは多くないのでしょうが、この件の場合それが続いてしまい、しかも記事にあるように
>被告が母親の許可を得ずにスマートフォンを隠し持っていたことが分かると、庭で土下座させ、その様子を撮影した。スマホはブロックでたたき壊し、所有を認めていたもう一つの携帯電話に「ウザい!死んでくれ!」とショートメールを送って罵倒した。
というようにかなり極端な状況だったようです。もちろん殺人を肯定するつもりはないし、私が何回も書いているように、娘が親から逃げ出せばよかった事例かと思いますが、娘も共依存だったのか、そのあたりは定かでありませんが、逃げられなかったというのは非常に残念ですね。
ただもしかしたらですが、母親は何らかの精神疾患があったのかもですね。それは確認不可ですが、そういう可能性もあったのかもしれません。そして、懲役20年の求刑に対し地裁の判決の15年もだいぶ割り引いた判決でしたが、高裁がさらに5年刑期を短くしたのは、相当この母親がひどいという認識に立たざるを得なかったということでしょう。
それにしてもこの女性によれば、
>浪人生活で囚人のような生活を10年近く送っています。拘置所はルールさえ守っていれば叱責を受けることはありません。今のほうが気持ちとしては楽ですね。細かいルールが煩わしいこともありますが、刑務官は私に対して『うざい』とか『死ね』とか言うことはありません
ですからねえ(絶句)。それで識者の方の、次の解説も大変参考になります。
> 明治大の諸富祥彦(もろとみ・よしひこ)教授(臨床心理学)は教育虐待について、「子どもが別人格であることを認められず、親が自らの職業選択や進路の願望を押しつけてしまう。子どもが勉強しないと罵倒し、教育面で支配したり、拘束したりすることが起こる」と解説する。こうした問題は、特に同性の親子間に見られるようだ。
諸富教授は「親の人生の願望を子どもに押しつけてはいけない。だが親はその自覚を持つのが難しく、外部の人間が介入できないと、対処は困難となる。子どもの立場からできるのは、外部に助けを求めること。スクールカウンセラーや児童相談所などを積極的に利用してほしい」と話している。
もちろん引用しなかった部分にも指摘されていますように、ここまでのケースはさすがに極端でしょう。しかしそれにしてもです。諸富教授の指摘にもありますように、
>こうした問題は、特に同性の親子間に見られるようだ。
というのは、確かにそんな気が私もしますね。前記事でもご紹介したように、安倍晋三は安倍晋太郎から殴られたようだし(息子の出来があまりに悪いので、激怒した模様)、有名な金属バット殺人事件も、殺害したのは両親ですが、父親のほうが彼にとっては重荷だったようです。私も、母より父のほうが重荷でした。もちろんそうでない場合もたくさんあるでしょうが、どちらかというと、親子も異性であるほうがよかれあしかれ子どもを客観的にみることができ、必然としてあまり過度の期待をかけないという傾向はあるのかもです。
ともかく母親もかなり論外だと思いますが、やはり娘のほうが最悪の事態に陥る前に逃げ出してほしかった事例だなと思います。これも、市役所の生活保護ケースワーカーが、生活保護受給者の殺害した被害者の死体遺棄を手伝ったり、動画撮影などに付き合わされたことに耐えられなくなり殺人未遂をしてしまったりといった事件(下の記事参照)とそんなに遠くないと考えます。犯罪でなくても、自殺する人も同じように追いつめられたのでしょう。私たちは、最悪の事態になる前に逃げ出したいものです。
あの事件どうしたと思ったら、ちょうど判決だった(生活保護ケースワーカーを巻き込まれた京都府向日市の傷害致死事件